人間の多様性について
ネット社会では、色々な情報が出てくる。そこでは、人間の多様性も見えてきた。
例えば、罪を犯した人の行動に関しても、その後に自らの非を認め、しっかり償おうとする人、自分の犯したことに向き合わない人、色々な人がいる。
これを見たとき、昔カウンセリングについて習ったときの『性善説』的な発想
「人は自ら良くなろうとする潜在的な力がある」
だから
「自分のことを受け入れてくれる人の力があれば良くなっていく」
の限界を感じてしまった。
しかし、一部でも
「自分のしたことに向き合い反省し、善くなっていく人もいる」
ことも確かである。これは、学問と関係する(高学歴補でも品性下劣者はいる)問題ともいえない。ただし、周りの扱いで、少しでも善くなる場合もある。本人が気づくことでの変化も大きい。
これができない人が一部いるが、その一部に捕らわれて、救える人を救わないのはだめだろう。このような、「悪の多様性」にもきちんと目をむくれるべきだろう。
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