主観的と客観的だけか
先日から読み直している、NHK出版の「仏像ー心とかたちー」の最初の章「仏像のこころ」の中に、仏像の見方を
- 叙情詩を描く主観的な見方
- 美術史などの観点から客観的な見方
と二つに分けていた。私たちはこのように、主観的/客観的と対比することが多い。しかし、この二分法でよいのだろうか。私はもう一つの見方があると思う。それは
- 創造者の観点から見る
見方である。これは法華経の教えがヒントになるが
「世界を造る親の立場で皆を見る」
と言う見方である。仏像の見方では、
- 仏の教えを伝えるために、どのような仏像を造るべきかを考える
- 仏像にどのような思いが込められているかを考える
- その仏像が造られた時代の状況を考える
等を考え、
「自分で仏像を造るならどうするか」
と言う風に「主体的」に考える。この発想があるのではと思う。クリエイター達は既にこれを行っている。
現在社会を本当によくするのは、このような考え方ではないかと思う。
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