学校的社会等の単一価値観への過剰適応について
昨日、テレビ朝日のしくじり先生山口真由先生編を見た。私は、山口真由氏については、知性面では尊敬すべき人と考えているし、テレビ画面で時々見せる『かわいい!』雰囲気には好感を持っている。
しかし、彼女の話を聞いていると、このブログで近頃注目している
「単一価値観への過剰適応」
「感情を学校制度などで押し殺す危険性」
の副作用についての典型例として、色々考えるべき問題が見えてきた。なお、山口真由氏は、彼女のたぐいまれなる能力(努力する力も含めて)により、現在社会への適応問題をクリアしているが、彼女ほどの力(努力)がない人のトラブルが問題と考えている。
さて、「単一価値観への過剰適応」という硬い表現を書いたが、もう少し掘り下げると
「学校の成績だけで、全ての順位を付ける。極端な話、恋愛対象も成績で決める。仕事も成績対応で決める。」
つまり
「自分が『ほしい』と心から思う、ことではなく成績という客観的なモノで決める」
という、学校の運営側には非常に便利な特性である。
しかしこれが行き過ぎていると、
「大学の成績が全て」
さらに
「研究生活に入らないと存在価値なし」
「研究成果が人間の価値全て」
と言う、大学文明への過剰適応人材になった人もいる。実は、私も数十年前に、大学から企業に入ったとき、そのような挫折感を持っていた。
このような、過剰適応を避けるためにも、
「人間の多様性に触れる」
「多様な立場を理解する」
機会を子供の時から与えて、また成人になるときにも、継続した人間関係による育成を考えるべきだと思う。
なお、山口真由氏に関しては、テレビ番組での言動を見ても、少なくとも現在は、
「他人の立場に関して、きちんと思いやりができている」
と思う。
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