「アベノマスク」に関する議論
政府からの、布マスク配布について、色々な意見が出ているが、私の意見は
「これがクルーズ船トラブル直後か、せめて3月頭の配布なら、国民への意識付けとして意味があった」
である。マスク二枚程度なら、大したことにはならないが、
「政府がここまで危機感を持っている」
と言う意識付けにはなったと思う。しかしながら、
「緊急事態宣言」
と言う、より強いカードを切った後には、
「効き目が薄い無駄遣い」
となる可能性が高い。このよう考えると、コロナ対策全般に見える問題は
「政府の対応の遅さ」
「硬直した政策運営と、修正能力のなさ」
である。これは、大阪の吉村知事・松井市長のコンビが
「朝令暮改と言われても対応していく」
と言う覚悟と実行力に比べれば格段に見劣りする。
さて、この問題に関して、今朝の朝日新聞の耕論に三人の意見が載っていた。
私はその中でも、山口真由さん(信州大特任准教授)の意見が大切だと思う。なお、彼女の肩書きを、ニューヨーク州弁護士と書いた方が、この記事には説得力があると思う。
批判すべき点はありますが、政府と国民の互いの期待の高さが浮き彫りになったことは指摘すべきです。
政府は、欧米のように罰を科したりしなくても、国民が自主的に自粛をしてくれると期待しています。一方の国民も、政府への不満の裏には、「お上が何とかしてくれる」という強い期待があるのかもしれません。これは「政府にはそもそも期待しない」という米国の伝統的な価値観とかなり異なります。
相互の期待の高さを信頼に結びつけていけないか――。これがコロナ後を見据えた課題ではないでしょうか。
私は、山口真由氏の待機した問題に関しては、「日本教的発想」で答えることができると思う。
西洋文明を体感している人に、日本の今までの伝統が「プラトンの洞窟の比喩」の呪縛を超える可能性を示していきたい。
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