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2020年4月 9日 (木)

解っていないという評価 学会報告の事例

 昔、学会の研究会で報告するとき、

「自分の報告は、だめではないか?」

と悩んだことを思い出した。この悩みには、大きく分けて二つの要素がある。

 一つは、研究の論理展開の弱さなどである。議論の飛躍があったり、証拠不足だったりして、研究者としての手法の問題がある場合である。これは、自分の未熟と言うことで、自己責任という面が大きい。

 さて、もう一つがやっかいな問題で、

「この研究は,報告に値するか?」

と言う悩みである。極端な事例は、発表内容に対して座長などから

「XXが既に報告している。」
「教科書のXXに書いてある。」

と一蹴される場合である。

 これは、研究分野の全体的な見通しと、最先端研究への見識がないと、

「自信を持って,大事な研究である。」

と言えないからである。更に踏み込めば、

「科学哲学の立場で、研究の新規性や価値を評価できるか?」

まで考えないといけない。

 ただし、ここで指導者の役割が出てくる。

「研究の価値を決めるのは指導者の責任」

と言う割り切りも有る。多くの研究者は、若い間は指導教官や先輩の指示に従って、分担した研究を行う。この立場では、研究の価値の責任はない。

 ただし、この立場なら、「先輩には服従」という縦社会になってしまう。そこで、研究者としてのスキルが身につくまでは,先輩の指示通りの研究が必要だろう。しかし、ある程度手法が身につけば、自力評価を行える力も必要になる。そのために学会の各種資料を広く読んで、見識を広げていくことも大切だと思う。 

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