コロナ感染対策に見る『日本教』的な発想
今回のコロナ感染対策において、日本政府の対応は、世界の大勢からは外れている。しかしながら、
「死者数の造化は、タの国と比べてよく抑えている」
と言う面では、
「失敗とは言い切れない」
レベルである。今回の政府の対応は、
「検査数を抑えて、感染者数を少なく見せることで、問題を先送りした」
その間に
「国民の間に自粛ムードや、手洗いうがいの励行で、感染を抑える行動を定着させ」
さらに
「医療体制の立て直しを図った」
と言う風に見える。この対応は
「国民に協力してもらえるという確信があった」
からできたのだと思う。ここで
「問題先送りは悪いのか?」
と言う観点でもういちど議論すると
「時間稼ぎをすれば体制が整う」
ならば、
「先送りは立派な戦術である」
ただし、
「解決策がない場合の先送りはじり貧となる」
(先の大戦の日本)
と言う危険性がある。
ただし、今回の対応に関しては
「多くの国民の協力と、地方自治体など各部門の努力ができる」
と言うある程度の勝算があったと思う。この一面として『日本教』の
『皆の良識を信じる。話せば解る。」
と言う根本的な信念が大きく働いたと思う。
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