心に届く言葉とは
今回のコロナ騒動において、東京の小池知事と比べて、大阪の吉村知事の言葉が、心に届くように思う。この理由を少し考えてみた。
私の結論は、
「現実への直面ができていて、しかも感情がこもっている。」
ことが、心に届くのではないかと思う。もう少し考えると、そもそも『心』とは何だろう?仏教の智慧でもう少し考えると
- 心:感情など
- 意:考えるための場面(舞台か?)に載せたもの
- 識:意の上で判断する、識別の働き
と3つの働きを分けてみる。これは納得しやすい。
つまり、根底にある感情がエネルーギーを与えて、意識の働きを動かしている。
このように考えると、
「感情がこもった言葉が人を動かす」
のは当然だと思う。
また今回の大阪府の対応は、
「ネットカフェへの自粛を要請するが、そこで宿泊せざるを得ない人の救済措置として、安価な宿泊施設を手配する。」
と言う現実の厳しさへの対応も見える。
このような現実への目配りも、心に響く条件だと思う。
なお私の個人意見だが、
「所得保障と生存権保障は分けるべき」
だと思っている。生存のための保証はなんとしても行わないと行けない。しかし、所得の保障は、本当に必要か議論があると思う。よく言う、
「一度座るとXX万円の○地のクラブ」
の高給ホステスの所得保障に税金というと、少し考えるモノがある。しかし『ネットカフェ難民』の生存には、できるだけ応援したい。このような現実感が、心に響くのではないかと思う。
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