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2020年4月29日 (水)

プラトニズムと日本教

 昨日思いついたが、プラトンの「国家」を本当に読むのは大変なことである。私は、マクルーハンの「メディア論」を読んで、一つ見えて来た。

 日本大奥の教科書には、

プラトンは国家で「洞窟の比喩と哲人政治を説いた」

と書いている。しかし、私はこれは日本の西洋文明吸収の悪い面が出ていると思う。つまり

思考過程を追うのではなく、結論だけを欲しがる

学習姿勢の問題である。私は、プラトンの「国家」を読むならば、

「何故イデア論になったか」
と言う問題意識で読み
「哲学者の教育が、詩人による教育より優れている」
と言う議論展開を見いだす

段階まで進んでほしい。もう一つ言えば、

プラトンのイデアは、幾何学の抽象的概念の普遍的汎用的であることの一般化

と言う状況を掴み、

抽象化して、きちんとして定義のある概念で議論する効果

が西洋文明の科学的思考法につながっていくことを見いだしてほしい。この文脈で、

教育は詩人でなく哲学者が行うべき

と言うプラトンの主張は理解すべきだと思う。

 さて、私が今まで何回か議論した日本教では、

物語で人を導く

と言う、プラトンが否定した、「詩人の教育」が「和魂漢才」や「和魂洋才」を通じて行われている。この教育が何故日本で成立したのか、これは日本語の「仮名漢字交じり表記」の力が大きいと思う。

 長くなるので言ったここで休憩する(続く)

 

 

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