コロナ危機以降の社会について 続き
昨日書いた、『コロナ革命』について、もう少し考えてみた。
今回は、かなり過激な内容になるが、全体を読んで判断をしてほしい。
まず一つ目の論点は、『淘汰』という概念である。ウイルスと共存という生物学者や歴史学者は、ウイルスの機能としての『淘汰』と言うことを明示しない場合がある。しかし極論を言えば
「ウイルスとの共存と言うときには、免疫ができるまでの間に死者が出る。」
と言う事実に向き合い、更にその裏にある
「そこで死ぬのは弱者である。」
と言う『淘汰の原理』を含んでいる。この厳しい側面を忘れて、軽々しく
「ウイルスと共存」
と言うべきでは無いと思う。
さて、次の論点は
「淘汰が、起こるにしても何を淘汰すべきか?」
と言う議論である。私が考えていることは
「淘汰の対象は、不適切な社会システムである」
具体的には
「既得権益にあぐらをかいている、人々やシステム」
加えて
「人間を大事にしないシステム」
を淘汰の対象にすべきと考える。もう少し具体的な施策を言えば
「企業の休業補償は行わない」
しかし
「個人の生存保障はしっかり行う」
と言う考えである。企業に関しては、
「この危機を乗り切る、智慧ある経営者が生き残れば良い」
が
「働く人の生活はきちんと守る」
と言う考えで、淘汰が行われても良いと思う。このため、具体的には、ベーシックインカムの制度が良いのではと思う。
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