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2020年4月 5日 (日)

西洋文明の論理的思考と大乗仏教の『即』の発想

 西洋文明と『日本教』の発想の違いについて、『論理的』という切り口で議論したい。

 西洋文明は、ユークリッドの幾何学、ギリシャの哲学そしてローマ法を経由して、現在の自然科学の体系に至る、論理的思考の成果である。このような論理的思考は現実の複雑な世界を抽象化し

原因->結果

の単純な関係に帰着させることで、一般的な法則を見いだし、これで多くの自然現象などを説明、予測することで現在の文明社会を生み出している。

 一方、『日本教』を含む東洋文明の思考法は、このような西洋文明の単純化を取らず、

比喩の積み上げ

で思考し、教えている。

 さて、ここで以下の疑問が出る。

「比喩や、体験の積み上げから、一般的なモノを得ることができるか?」

この問題に対して、西洋文明的な発想ならば

「実例から、基本的要素を見いだし、帰納的に法則性を見いだすことができる。」

と言う答えがある。

 しかし、大乗仏教の教えは、これとは別の答えがある。

『即』

の教えである。これは

「そのものになりきる。その世界を生み出したものになる。」

と言う発想である。例えば

「『慈悲』を体感するには、慈悲を行う観世音菩薩に即なる」

と言う発想である。それを色々な場面で実行できる、菩薩の立場に、即座に至る。

 理論的な規則性でなく、色々な状況で実行できる力を、自分の中に見いだす。これが大乗の教えだと思う。

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