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2020年4月26日 (日)

心に響く言葉で反省する時の注意点

 このブログでは、何回か反省について書いている。例えば

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-7943c3.html

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-738b.html

である。

 今回は、反省するときに『日本教的な実体観』を持つ危険について考えてみたい。このブログで先般書いた、心に響く言葉の問題である。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-56b96d.html

このように、日本語のコミュニケーションには、心に響く言葉があることが少なくない。このような言葉には、具体的な体験などの生々しい感情がつながることが力を生むことが多い。

 さて、こうした実体験を思い出すことは、色々な傷を負うことになる。いわゆるフラッシュバック問題である。

 特に反省という状況は、

「昔の状況をきちんと思い出す」

必要がある。これを客観的に観ることができれば、心の傷を生むことは少ないだろう。しかし、

「具体的に詳細を再体験する」

形での思い出しには、色々な危険性が出てくる。一つの問題は、多くの事態では、一方的な加害者と被害者という区分でなく、どちらにも悪い面がある。このため、反省の前に自分の被害を思い出し、潰れて行く危険性である。もう一つは、自分の罪の重さに潰れる危険性である。

 この問題は、西洋文明的な、『客観的記述』の場合には起こりにくい問題である。これは、学校などでも起こり得るが、上っ面の言葉での反省なら、直ぐにできる。しかし、心のそこからの反省の時には、加害者としての自分と被害者としての自分、そして償いのできる自分の三者ときちんと向き合う必要がある。

 ここまでできないと、本当の反省にはならないと思う。

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