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2020年5月 1日 (金)

『日本教』を儒教との関係で考える

 日本の文明を考える時には、千年以上の中華文明との関わりと向き合う必要がある。中華文明は、やはり儒教の影響が大きい。しかし、日本人の思っている儒教と、中国および韓国での儒教には大きな隔たりが亜あると思う。私たちが儒教というと

「孔子・孟子の教え」つまり「論語の一節を読む」

である。しかしながら、中国の儒教は、科挙を用いた政治体制に組み込まれている。つまり、

「支配者の正当化手段としての儒教」
「徳のある皇帝の支配の正当性」
「儒教に従っての法等の統治制度を作る」

と言う一貫したシステムである。しかも、孔孟の時代から、千数百年の時間をかけて、朱子などが作り上げた大家だった教えである。

 それを日本の人たちは、

「和魂漢才」

と言うことで、自分たちに必要な

『孔子の話の断片』
だけを切りとって
『儒教の素晴らしい教え』

と言う風に教えている。

 この姿勢は、

「ソクラテスがどのように考えたか」
を無視して
「プラトンが筆記した哲人政治と言う概念だけ学ぶ」

西洋文明の吸収法と同じである。

 ただし、儒教に関しては色々な弊害があるので、日本的なつまみ食いは正しいと思う。儒教の一番の弊害は

「昔の聖人の統治を理想とする」

発想であり、これでは進歩が期待できなくなる。

 なお、日本教は、大乗仏教の教えを上手く使い

「お釈迦様は今でも霊山で法を説いている」
従って
「現在の状況に応じた教えがある」

と現実的な対応を肯定していることに注意してほしい。 

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