情報不足の昔と情報過剰の現在
先日、Twitterで
新井白石さん、6歳くらいから家庭学習で父親から指示されて毎日「書き取り4000字」をやってるんだけど、白石さんのパパはどうやって子供の集中力をコントロール&持続させたのだろうか
当時のメディア状況を考えると、学問と言えば、論語等の古典を素読し暗記する。紙があれば筆写する。これしかないから集中しやすいですね。現在にある諸々は、集中力の邪魔になります。
https://twitter.com/artartn/status/1259592709234241537?s=20
https://twitter.com/suzyoshi1/status/1259628261333774342?s=20
という議論をした。
この話を考えていると、仏教の教えでは、一二因縁等の教えが、
「その人の視野を時間軸と世の中の関わりという風に広げる」
役割があると思いついた。こうして広い視野を持つと、
「絶対にこれ!」「XXが必然」「XXは存在する」
から
「全ては移り変わる・・・空である」
という風に
「こだわりや恐怖からの自由」
を得る。これが、紀元前の仏が教えを説いた時代に、人々を救う手段だったのではと思う。
しかし、現在では、皆の視野が広がりすぎて、
「コロナウイルスは、XXの失敗でばらまかれた」
というような情報が、私たちまで伝わってくる。
確かに
「疫病の原因がウイルスの作用」
とか
「手洗いや消毒でかなり防げる」
等の知識は昔と比べれば不安を少なくしてくれる。
しかし、逆の情報過剰の現在は、その選択評価をしないことで、新たな不安を引き起こしている。
情報過剰の現在の不安解消は、情報の追加ではなく、自力評価で対応すべきだと思う。
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