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2020年5月12日 (火)

情報不足の昔と情報過剰の現在

 先日、Twitterで

新井白石さん、6歳くらいから家庭学習で父親から指示されて毎日「書き取り4000字」をやってるんだけど、白石さんのパパはどうやって子供の集中力をコントロール&持続させたのだろうか

当時のメディア状況を考えると、学問と言えば、論語等の古典を素読し暗記する。紙があれば筆写する。これしかないから集中しやすいですね。現在にある諸々は、集中力の邪魔になります。

https://twitter.com/artartn/status/1259592709234241537?s=20

https://twitter.com/suzyoshi1/status/1259628261333774342?s=20

という議論をした。

 この話を考えていると、仏教の教えでは、一二因縁等の教えが、

「その人の視野を時間軸と世の中の関わりという風に広げる」

役割があると思いついた。こうして広い視野を持つと、

「絶対にこれ!」「XXが必然」「XXは存在する」
から
「全ては移り変わる・・・空である」

という風に

「こだわりや恐怖からの自由」

を得る。これが、紀元前の仏が教えを説いた時代に、人々を救う手段だったのではと思う。

 しかし、現在では、皆の視野が広がりすぎて、

「コロナウイルスは、XXの失敗でばらまかれた」

というような情報が、私たちまで伝わってくる。

 確かに

「疫病の原因がウイルスの作用」
とか
「手洗いや消毒でかなり防げる」

等の知識は昔と比べれば不安を少なくしてくれる。

 しかし、逆の情報過剰の現在は、その選択評価をしないことで、新たな不安を引き起こしている。

 情報過剰の現在の不安解消は、情報の追加ではなく、自力評価で対応すべきだと思う。

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