「国家神道」の必然性について
明治維新の後に、第二次大戦の敗戦までの間、日本の国を支配した『国家神道』については、あまり良い評価をする人は少ない。
左翼系ー>「戦争に国を導く仕組み」
宗教家->「国家権力による宗教の冒涜」
古神道->「本来の神事を汚す神道もどき」(修行法等の大事なモノが壊された)
と様々な方角から攻撃を受けている。
しかし、幕末から明治初期の日本の国内情勢を考えると、
「国家神道にはそれなりの功績があった!」
と言う見方ができるのではないかと思う。
まず一つ目の論点は、幕末の社会情勢である。特に桜田門外の変以降は、「天誅!」という
「暴力による正義の押しつけ、反対者の抹殺」
が横行していた。この様なとき
「話せば解る!」
と言う解決は、『自分たちの正義』を信じている者には通用しない。
このような者に対しては、絶対的な権力の裁きが、暴力沙汰を収めるためには必要である。徳川幕府にその力が無いなら、
『天皇陛下のお心』
と言う絶対的な力を持ち込む必要があった。
さて、二つ目の論点は、明治の文明開花時に
「宗教戦争を起こさないための解決」
としての、『国家神道』である。これは、逆説的に見えるかもしれないが、廃仏毀釈などの動きからも解るように、神道と仏教各派の争いが起こる可能性は、当時かなり大きかった。更に、キリスト教の布教が解禁になれば、キリスト教の排他的教えがまたもや、宗教対立を激しくなる。宗教対立は、お互いが『信じている』というモノだから、『神秘体験などでの回心』を除けば、説得などは通用しないことが多い。
このような対立を避けるために
「宗教を超える日本国民としての国家神道」
と言う仕組みは、明治の混乱を避けるためには有効に働いたと思う。
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