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2020年5月18日 (月)

本を読むということに関しての議論 その1

 Twitter上でちょっと気になる話があったので、少し突っ込んでみたい。

塾で教えていて、わりと衝撃的だったことの一つが「国語の教科書以外で、まとまった文章を読んだことがない子」の存在を、リアルに目の当たりにしたときのことだ。

この議論は、まだ色々と展開しているが、今回はメディア論の立場で、この問題について考えてみたい。なお、このブログではメディアの議論になるので、『本』という形で議論するが、元のTwitter上の話は、本にこだわっていないことをあらかじめ断っておく。

 一つ目の論点は、本による情報伝達や、教育は絶体的なモノではないという議論である。これは、現在の日本では『教科書』の存在を、当然と考えていることへの批判である。例えば、グーテンベルグ革命以前の西洋では、本は貴重品であり、庶民の手に入るものではなかった。また江戸時代の庶民を考えても、限られた手習い手本を写す、四書五経の素読をするという方法で学んでいた。

 そのような状況では、口頭での伝承の比重が多かった。

 二つ目の論点は、現在のメディア状況を考えると、文章以外での教育や体験ができるのではないかという議論である。明治から、昭和の時代までなら、活字による伝承の力は大きかった。そこでは、本をしっかり読みこむことで、人の考え方の多様性なども学んでいく必要があった。しかし、現在のようなメディアの多様化が実現したとき、本に頼るべきであろうか?それ以外で伝える方法があると思う。

 例えば、人間の考えの多様性、行動の影響で、人がどのように感じるか?これらは、映像・音声の総合的なメディアで伝える方法がある。更にゲームの世界でのシミュレーションもある。このような育成もあるのではないかと思う。

 もっと言えば、本においても、文字情報だけでなく、漫画なども活用すべきだと思う。一人の人物を想像する時、具体的な絵で与えられた場合に、人物としての具体化や、多面性が生きてくると思う。

 これを見て思ったことは、空海が日本に密教の色々な法具や曼荼羅を持ち帰ったとき、多様なメディアによる布教を実現した。今このような変革期ではないかと思う。

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