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2020年5月11日 (月)

「日本教」と持続可能性について

 「日本教」について、色々と書いているが、今回は

持続可能性は、一所懸命の発想から出る

という観点で議論する。これは逆に言えば、

侵略国家やフロンティア探しの流動性は、持続可能性に合わない

ということで、具体的には

欧米文明と持続可能性は相性が悪い

という議論である。単純に言えば

「だめだったらリセットする」
「上手くいかないなら余所に行く」

という発想に、持続可能性が求めることができるのだろうか。これの一例として

「日本には数百年持続の老舗が多くある」
「欧米に企業の寿命は数十年体ぐらいしかない」

という事例が、

「一所懸命」

で頑張った結果だと思う。

 さて、ここでお隣の四千年の歴史を持つ大国を見てみよう。この国は、内部で革命を何度も起こしているので、そこでリセットが入っている。しかも、儒教の精神は、

「過去の聖人を理想とする」

ことで、現状への適応力が無い。日本の老舗は

「秘伝のXX」
を守りながら
「新しい試み」

「九敗一勝」
の割り切りで行う

という、守るべきモノと、新陳代謝を上手く組み合わせている。これが、一つの場所で必死に生きる智慧ではないかと思う。

 一所で生きる、これこそ持続可能性だと思う。

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