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2020年6月 6日 (土)

高学歴社会と『日本教』

 『日本教』について、色々と考えていると、今までぼやっとしていた

「高学歴社会への反発」

の理由が見えてきた。

 私自身、大学院での思考法の訓練を受けて、論理的な思考法も、ある程度は判っている。そうして、大学から企業に入ったときは、情報化社会の幕開けの時であり、研究成果の実用化の時代でもあった。その時に私が悩んだことは

「研究成果を受け入れるほど企業社会が成長していない」

というもどかしさであった。もっと言えば

「情報工学系の大学院出身者が過半数を占めれば、もっと効果的に改善できるのに」

というもどかしさであった。

 しかし、今にして思えば、私の知識は

「点と線の骨格だけ」

であり、実現するためには

「多くの具体的経験を積み上げながら肉付けする」

必要があった。私自身は、当時の環境でソフトウエア生産や保守の現場に長く身を置いたので、このような現場体験での肉付けもできた。

 こうした体験から、

「実体験などのイメージにより充実した議論は、単なる理論より強い」

ことは経験的に判っている。

 一方、

「理論的体系を共有している人の間のコミュニケーションは効率的」

ということも判る。

 この一例が、MBAの世界である。MBA所有者同士なら、ある程度の情報交換で、企業の強み弱みは判る。しかし、それで十分かどうかは別物である。

 このように考えると、『日本教』の、

「お互いが話せば判る」

という発想には、場面共有などの総合的な観点があるのだと思う。これがない、『高学歴者の理論』はの反発は、日本人の多くが持っているように思う。

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