ご縁のあった人たち

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2020年7月31日 (金)

究極の自己責任論

 法華経を読むと、

「自分の中に仏の知見がある」

と書いてある。

 これは、とてもありがたいことであるが、ある意味では、とても厳しい、残酷とも言える言葉である。

 つまり、

「仏の知見があるなら、自分が解決しろ。」

と鋭く迫って来る。

 会社で、

「課長が馬鹿だから成果が出ない」

と愚痴を言っている時に、

「明日からお前が課長、成果が出ないなら責任取れ。」

という感じである。

 しかも、法華経の続きには、懺悔経と言われる、普賢菩薩のお経がある。このような

「社会が悪い」

という逃げが許されない、懺悔の厳しさは、真面目な人間には、特に鋭く迫って来るだろう。

 法華経を説いたとき、このお経には、厳しい反発があったと聞く。確かに、このような、懺悔はある意味で残酷である。そこで、法華経信者への迫害が出ることも、当然ながらあったと思う。

 しかし、

「自分の力、可能性を開き、社会全体として良くしていく。」

この気構えが、日本の「神様」と言われる人には、必要だろう。

 専門家に、責任転嫁せずに、自分の責任で、コロナ対策を行っている、大阪府の吉村知事等の生き方が、これに当たると思う。

2020年7月30日 (木)

人間を機械と見る

 人間を機械と見る、この様な発想は、工業化の過程で、起こって来る。

 農業のように、自然が相手の場合には、どうしても

「個々人の対応に依存」

する事が多い。

 しかし、工業の場合には、

「決められた作業で、規格通りに作れ」

と指示する。

 この発想は、

「人間を機械と見る」

ことに繋がっている。

2020年7月29日 (水)

コロナ対応は自衛隊の本務ではないか 

 先日、読売テレビの「関西情報ネットten」で、コロナ対応の自衛隊の力について、報道していた。そこで、気になるコメントがあった。

「自衛隊に頼りすぎ、本来の仕事ではない」

と言う。

 私は、これは間違いだと思う。

 コロナ等に対応するのは、国防の重要任務である。

 何故なら、国防には

「生物化学兵器対応」

という要素がある。

 確かに、戦時国際法は、生物化学兵器を禁止している。

 しかし、現在の国防は正規軍相手とは限らない。テロリストが戦時国際法を守る、等と考えるのは、

「北朝鮮は理想の国レベルのお花畑発想」

である。

 このように考えると、自衛隊は、生物化学兵器の実戦経験を積んでいる。地下鉄サリン事件から、多くの蓄積がある。

 これは、鉄砲玉を撃つことに、匹敵する実戦経験であり、NATO等でも、自衛官は胸を張って言える事だと思う。

 河野防衛大臣は、このような発想はないのだろうか。

2020年7月28日 (火)

入院中の感想

 とうとう入院生活が四週間になった。今の所、様子見という感じで、点滴もなく、薬を飲むことが主体の、退屈な日を過ごしている。

 パソコンを持って来なかったので、タブレットしか使えない。

 そこで、一つ思ったことは、

「これある意味、出家状態」

という感じがしてきた。

 特に家族の面会も、コロナの影響で、禁止になっている。

 また、パソコンや家に置いている本と切り離されることで、少ない事を集中して考える機会になる。

 こう考えて、よい方を見て生きたい。

2020年7月27日 (月)

納得というレベルを大切にすべきではないかと思う

 物事を考える時に、全てを理解するレベルが望ましい、というのは正論である。一方、これが出来ない人間は黙っておけ!という発想が見え隠れする。

 今回のコロナ危機に対しては、色々な専門家が発言している。そのような専門家に対しては、素人が口出ししては、いけないという空気がある。

 実は、この問題に関しては、古くはプラトンが、大著「国会」の中で、

「船の舵取りに対して、本質の見えない素人が口出しする危険性」

と書いている。

 確かに、素人が口出しする危険性はある。しかし、専門家の暴走の危険性もある。そもそも、プラトンの思想は、哲学者の支配であり、権力の独占の危険性がある。

 さて、このような問題に関しては、

「説明を受けて、納得するレベルが、存在する」

という配慮が有効ではないかと思う。

 大衆の納得、これは民主主義の原点だと思う。

2020年7月26日 (日)

本当の幸福とは

 「幸福」について、少し考えて見た。自分が「幸福」と考えるのは、どのようねな時だろう。自分の欲望が満たされた時だろうか?これは、ひとつの答だろう。但し、その欲が出世欲のような、他人が介入するものや、競争の勝ち等の、他人と相対的なもののとき、これが継続的なものになるだろうか?

 ここでもう少し視野を広げてみよう。他人を助けて、感謝を受ける。これが、一つの幸せではないかと思う。

 もっと言えば、社会全体がよく出来ないか、これが仏教なら、「仏様の智恵」というこで、できるはずである。

 これが、持続可能な、本当の幸せではないかと思う。

2020年7月25日 (土)

コロナ危機がもたらすモノ

 今回の、コロナ危機では、政治の意思決定機構が、ある程度大衆に見えるようになってきた。特に、大阪府の吉村知事の苦悩等が、SNSやマスメディアでも見えるようになってきた。

 この効果は、本当の大衆参加政治を引き起こすだろう。

 医療の現場や、大雨災害後の治水に関しても、本当の大衆参加ができるようにしていけば、この国はもっと強くなるだろう。

 一部の専門家の政治から、全員が納得できる政治に進めるべきである。

2020年7月24日 (金)

人材の配置に予備の発想を

 昨日書いた、

「給与着き訓練」

を行って、予備人材として、プールする発想は、予備自衛官が一つの前例である。元々軍事組織には、戦時下と平和な時では、必要人員が大きく異なる。しかし、軍事組織で活動する人材には、しっかり訓練する必要がある。

 そこで、必要な訓練を行い、その後は別業務につくなどしている人材を、予備自衛官として確保している。

 しかし、現在のコロナ危機のように、医療関係でも、ピーク時には多くの人を必要とする。このような人達は、安全性等から、やはりそれなりの訓練をすべきである。

 また、災害後のボランティアにも、同様の発想がある。

 こうした、予備的な人材の育成、確保は現在の社会資本として、政治的な確保も必要ではないかと思う。

 昭和の時代なら、このような予備力を含めて、企業に被せていた。例えば、災害後の対応でも、多くの土建業界からの動員があった。逆に言えば、企業がそれほど溜め込む力があった。しかし、現在に至っては、経営の透明化がすすみ、このような余裕がなくなる。

 こうした現状を考えると、社会としての予備人材確保を、真剣に考えるべきだろう。また、訓練と採用を分けることも必要だろう。

2020年7月23日 (木)

ベーシックインカムに対して一つの考え

 先般から書いている、貧困者問題について、

「ベーシックインカムで対応すべき」

という主張がある。

 私は、この発想には一理あると思う。

 しかし、もう少し別のアイデアとして、

「ボランティア予備」

「医療支援者予備」

という、人材プールとして、給与着きの訓練という発想はどうだろう。

 無償提供よりも、社会貢献に繋がる形での支給は、受ける側のモラルにも、よい影響を与えると思う。

 政治家の皆さん検討してください。

2020年7月22日 (水)

「夜の街問題」の続き

 昨日に書いた、「夜の街問題」について、もう一つ思い着いた。それは、人の評価というか、受け入れに関する議論である。

 私の考えでは、基本的に、

「誰もが人間として尊重されるべき」

と土台があるべきと思う。これは、その人の基本的な所属で認められるべきである。地縁、血縁社会等がこれに当たる。

 一方、その人が

「ある機能を要求される集団に属する」

場合には、

「その機能ができない。不適合。」

という判定もある。

 これが、学校社会等で、皆を押し込めて、成績という機能を、万能視するから、色々なトラブルが発生しているのではないか?

2020年7月21日 (火)

いわゆる「夜の街問題」についてもう少し

 先日も書いたが、いわゆる「夜の街問題」の根底には、社会の分断の問題がある。

 そこでは、

「底辺労働」

等の表現もあるし、さらに

「一部のホストは社会に適合できず、それしかできない」

という表現もある。

 さて、このような表現は、差別的と、糾弾したり、言葉を禁止する向きがある。しかし、これは問題の覆い隠しである。

 本当の解決の為には、このような表現を引き出す、価値観を明らかにすべきである。

 私の考えでは、この根底には、

「学校成績重視、企業所属重視」

という、単一化路線の、価値観の支配があると思う。

 このような、価値観の影響を明らかにすることが、価値観から自由になり、根本的な解決に結ぶ付く。


2020年7月20日 (月)

夜の街問題に対する政治家の覚悟はあるか

 コロナ感染問題において、いわゆる「夜の 街」の叩き的な発言が色々な立場から出ている。確かに、感染原因となっている場合がある。

 しかし、この

「夜の街問題」

の根底には、本質として、貧困者の問題がある。更に言えば、社会の分断問題がある。

 ここまで踏み込んで、対応する覚悟のある政治家が、どれだけいるのだろうか?

 単に、「休業命令」を出すだけでは、済まないと思う。極端な話し、貧困者の死者が出る可能性もある。

 排除の論理や、目をつぶる対応ではよいのだろうか?

 大阪府や大阪市は、橋下時代から特定地域等の貧困問題に向き合ってきた。小池都知事にそのような感じがしないのは、私が目が悪いからだろうか。無策で放置するのは、殺害した場合とどれだけ違うか、政治家の覚悟の問題がある。

2020年7月19日 (日)

コロナ対策に置ける現場主義

 今回のコロナ対策について、東京都と大阪府では、大きな違いが出ている。東京都知事の言葉は、

「夜の街」

等の一括表現しか聞こえない。

 一方、大阪府吉村知事は、

「XXの店は、クラスタを出しても協力的」

と具体的なるメッセージを出している。彼は、テレビ出演を通じて、

「協力的なところは助ける」

と強い伝え方をしている。

 このように現場を知って対応するのが大阪府の強みだろう。

 さて、ここでもう少し踏み込んで見よう。小池都知事の

「夜の街」

一括表現である。夜の街の店にも、一流もあれば、三流もある。これは、心意気の問題である。特に、性風俗店の、一流は、今までも

「性感染予防策」

を緊張感を持って対応してきた。

「一度でも感染させたら終わり」

という覚悟があるのが一流店である。従って、今回は

「警戒対象が一つ増えた」

というレベルでキチンと対応できるだろう。

 但し、これができない三流店もある。悲しいことだが、ホストにも、一流と三流があり、

「外の仕事ができないからホスト」

という三流レベルが、コロナ感染したら、確かに問題が大きい。

 ここまで見通して対策して、初めて

「夜の街」

の問題というべきだろう。

2020年7月18日 (土)

日本の災害後の復興力のありがたさ

 今回の豪雨災害後の避難所は、コロナの影響を考えても、かなり改善されている。

 私は、阪神大震災の時、少し避難所のお世話に関わったが、大きく進歩した。しかし、阪神大震災でも、ボランティアの活躍が始まっている。

 このように考えて見ると、現在の日本社会では、災害後の対応が少しでも良くなる。

 これは、当たり前と思う人が多いかもしれないが、実は素晴らしい事である。

 色々な難民を出している、国や地域を見れば、一つの災害後潰れる例も多くある。また、国を捨てる例もある。

 我が国の継続した存在のありがたさを考えるべきだろう。

2020年7月17日 (金)

専門家の意見が重視される高度の学力社会

 コロナ関連の議論を聞いていると、専門家の意見が強くなったと思う。しかも、極端な話、

  「数式等がそのままメディア公開」

という事態が起こっている。

 これは、現在の日本社会が、

  「ある程度の高度の学力集団」

を含んでいるからだと思う。高学歴と書いていないのは、実際に実力ある人達だから。

 このような人達は、少なくとも数式化した情報である程度納得する。例えば、

  「感染予防策が不十分なら、患者は指数関数で増加」

等で脅威を感じる。

 このような文明の人は、彼等の間でのコミュニケーション効率が高い。例えば、経営状況の議論がMBAの持っている数値で行われるようなものである。

 しかし、一般大衆全ての納得を目指すなら、非効率に見えても

       「その意味」

をわかり易く伝える努力が必要である。

2020年7月15日 (水)

明日から午前中はアクセス不可になると思います

 明日から午前中は、点滴予定です。ネットアクセスが不可能なのでレスが遅れるかもしれません。ご容赦ください。

現在社会に必要な専門家の扱い方

 現在の社会において、高度の技術や、高学歴化が進んでいる為に、数学的知識等がしっかりしている、専門家の意見が重視されている。いや、されすぎているように思う。

 しかし、現在の専門家は、自分の分野での専門家である。

 私は、専門家の意見は、顕微鏡や望遠鏡、または延長線を引く定規のようなモノだと考えている。

 従って、これを使いこなす力は、別にあるべきと思う。

 ヘイグの理論構築の方法論等が、これのヒントになると思う。

2020年7月14日 (火)

「日本教」的な「神様」について

 前から書いているように、日本教的な世界では、西洋文明的な「リーダー」とは、少し違う指導者がいる。

 これは、従っている人が「神様」と思う、存在である。

 確かに、全てを見通して、皆を正しく導く、しかも、大衆の個々人の力を認めてくれ、伸ばしてくれる存在は、

「神様」

という言葉が相応しい。

 また、西洋文明の契約的な発想と比べて、支配している人々を思いやる心があるし、思いやりに対する

「感謝」

で力を得ることは、神様の信仰に通じるものがある。

 日本教的なリーダー育成には、神様への道を考えるのも一案かもしれない。

 そのためには、日本の今までの神様への信仰をもう一度見直すべきだと思う。

2020年7月13日 (月)

感染者数の増加議論についてもう少し  

 先ほどは、数値の信頼感について、議論した。今回は、目的について、もう少し考えて行きたい。

 私が考えている、感染者数の発表の目的は、大衆向けの行動誘導と、安心を与える事である。もう少し大きく言えば、大流行を避け、医療崩壊を予防することである。

 こうした目的を意識して、データを加工して発表することは、政治家やマスメディアの重要な任務だと思う。

 例えば、大流行防止なら、

「経路不明の感染者比率」

を重視し、これが急速に増加したら、大流行の兆しである、と言うふうな説明が欲しいと思う。

 一方、大衆向けの安心感を求めるなら

「今まで死亡者数が、ほとんど増加していない」

「重症患者向けベッド数にはXXだけ余裕があるから、医療崩壊していない」

という情報が効果的だろう。

 政治家やマスメディアは、このような考えを明確にして、上手に説明してほしい。

コロナ感染者数報道の不満

 東京都で、一日のコロナ感染者数が200を越えたと騒いでいる。しかし、この数値に付いては、色々な検討をすべきである。更に、それを上手に大衆向け説明をして、見当違いの不安を煽ってはいけない。

 まず大事な話しは、現在も全員のPCR検査が行われていないという事実である。全員の人口から見れば、とても小さな部分である。

 ここで、政権の支持率等の調査では、もっと少ない比率の情報から、結果を出している、という反論が出るかもしれない。しかし、アンケート等では、一応バラバラな対象を選ぶ事になっている。特定の集中がなく、一様な集団からバラバラに選ぶと、少ない比率でもある程度傾向が見えるかもしれない。

 しかし、今回のコロナ感染は、発生源から繋がる場合が多く、一様なる集団とは言えない。そのことを考えると、感染者数の増加は、検査対象が見事に当たった、という前向きの評価もある。

 これぐらいの説明が欲しいと思う。

2020年7月11日 (土)

「日本教」の指導者の条件 

 「日本教」の指導者は、全体的な像を持って、多くの人を導く、しかし自分が導く人達の能力を信じている。

 このような人材について、明確な議論が見えない。もっとも、「日本教」の議論と言うモノが成立するか?という突っ込みはあるだろう。

 そこで、一つの切り口は、大乗仏教の仏の智恵を、自らのモノとする方法である。

 この切り口からもう少し考えて行きたい。

7月12日追記

 昨日の記述を訂正して、もう少し「日本教」の指導者の条件を明確にしておく。

 まず大事なことは、現実性への配慮が必要である。もう少し言えば、

   「各現場には血の通った人間がいる」

ことをキチンと考える人である。確かに、大局的判断では個人を見ることはない。しかし、ここで目を閉じたままでなく、必要に応じて、その場の人を思いやる心が必要である。

 西洋文明は、現実性のごたごたを抽象化して、数値化することで多くの成果を得た。しかし、それで落ちたモノもある。

2020年7月 9日 (木)

高度技術や専門家の活用について

 現在の技術は高度なモノになり、専門家が扱うようになった。そこで、専門家の一部には、自分達の権威を重視して、部外者の口出し禁止の空気を作る向きもある。

 一方、政治家等も、自分の決断責任を逃れるため、専門家の意見を垂れ流す場合もある。

 しかし、ここで大事なことは、現在の高度技術の多くは、

   「ある前提で理想化した状況で成立」

している。このことを、きちんと評価する、

   「専門家を生かす」

能力が必要である。

 但し、京大の線状降水帯の研究者は、降水予測の上方外れを利用して、現状のモデルを超えた現象発生として、線状降水帯の予測に使おうとしている。

 このような、現在の高度技術の限界を活かす専門家もいる。一つの救いである。


追記

逆転の発想なら、西浦モデルに関しても、感染者の爆発が起これば、途中で医療崩壊が起こり、外の病気での死者数が爆発するのではないか?このような、モデルの限界の議論が見えない。

2020年7月 8日 (水)

天皇制を守る言い訳 

 承久の乱の後、天皇の権威を守る為に、考えた理由の一つが、崇徳院の祟りである。

 天皇の権威を守り、しかも天皇の権威失墜の理由は、同じ天皇の力が有効であった。こうして、

  「天皇の不徳」

を上手く覆い隠していく。

 こうした、建て前が、明治維新の後でも崇徳院を鎮める動きになっている。

2020年7月 7日 (火)

承久の乱のもう一つの見方 

 今までの「日本教」の、神様落としの事例は、承久の乱にある。負け戦での後鳥羽上皇の対応は、まさしく

  「不徳の振る舞い」

であり、武士達が権威と、心情的に受付なくなった。

 この機に乗った、北條氏の判断力は凄い。そこでは、御成敗式目という、独自法まで作ってしまった。これは、山本七平が言う

  「日本的革命」

といってもよいかも知れない。しかし、ここで注意すべきは、律令制の残骸まだ残っている。つまり革命的に変えることはできず、ローカルの追加という形になった。

 この不思議な構図は江戸時代まで残っている。出羽守という名称だが、出羽の国の支配はしていない。

 このあたり、まだ天皇の権威が微妙に残っている。

 こうした曖昧さが、日本教と言うべきだろう。

2020年7月 6日 (月)

太平記の秘密 すねに傷ある武家政治が広めた

 日本教の世界では、権威を引きずり落とす為には、

    「不徳を暴く」

ことが行われることが多い。

 ここで、一番の権威である「天皇」に関して、不徳を示した事例が幾つか見えてくる。一番は、承久の乱に於ける後鳥羽上皇の振る舞いである。もう一つは、後醍醐天皇の一連の振る舞いである。

 これは、少なくとも武家の価値観からすれば

    「裏切り」

というものである。

 さて、ここで「太平記」という、作品に関して考えてみよう。この中では、楠木正成を中心に、忠義でかっこよい武士の活躍が描かれている。しかし、良く読むと、後醍醐天皇の、御都合主義というか、困った面が目に付く。

 これでは

               「太平記は天皇親政の失敗を知らしめる」

    為に、武家政治の関係者が広めたのではないか!

と考えてもよいのではと思う。

 もう少し言えば、武家政治の側にも

    「権威に対し、すねに傷を持っている」

為に、天皇政治の悪い点を広げる意図があったのではないか。

2020年7月 5日 (日)

「日本教」の陥る罠

 先日、日産に関する記事を読んでいたら、あの会社は、ゴーンだけでなく、歴代の独裁者が支配し、それ以外が思考停止となる、といっていた。

 これは「日本教」の悪い面が出た時には十分起こりうる。

 特に、意見対立が出ると、議論ができず、「神様の裁定」に頼る性格がある。こうした、神様依存症の人達が「忖度暴走」をして悲劇に至ることも少なくない。

 もう一つの悪例は、「忖度暴走」と関連する、

   「自分に都合がよい神様」

を作る人達である。彼らの特徴は、自分の都合のよい情報を見出だし、自分の思い込みを、セルフループで強化していく。例えば、「念仏」の信者は、念仏を、唱えることで、仏に護られていると感じる。それでますます念仏を唱える。このような信仰がある。

 山本七平が指摘した「空気」は、このようなモノだと思う。

 なお、このような「神様」と眷族を、是正するには、初期なら、現実性という方針で「水を差す」手段が有効である。

 しかし、神様自身が、酔ってしまうと、水も効きにくくなる。その時は、

            「神様の不徳」

を追求した、追い落としが使われる。

追記

 このような、困った「神様」には、

   「神棚に祭り上げる」

という手もある。祭り上げて、口出しさせないようにする。

   「触らぬ神に祟り無し、敬って遠ざける」

これも「日本教」の悪知恵である。

追記の追記

 天皇の祭り上げは、既に平安時代に藤原氏が行っていた。武家政治はこれを突き進めた、という感覚だったのではないか?

「ヘイグの理論構築の方法」の利用について

 昨日書いた、「理論構築の方法」についての議論で、抜けていたことがあるので補足しておく。

 まず、この本は社会学等の研究者等が読むことが多いと思う。確かに難しいので、一般的に読まれるまで至っていない。しかし、この本の使い方は、学者の価値観である、新規の発見よりも、説明的な扱いの方で効果を生むと思う。

 研究者の価値観では、説明的な扱いは、新規性が無いので評価が低くなる。しかし、現実の世界を動かすなら、説明が大切だと思う。政治家等もこのような説明を活かしてほしい。

 次に、この本では、「連結」という言葉を使っている。しっかりした論理展開の為には、原因ー結果等の明確な命題や、検証可能な仮説が重要である。しかし、説明の為には、因果関係が見えない時も、同時に起こる等も、まだ不明瞭なモノも、記述しておくと、他人の協力で関係が明確になるかもしれない。

 このような実用を考えることが大切ではないか。

2020年7月 4日 (土)

新型コロナ対応の責任ある説明はどうあるべきか

 今回の、新型コロナ対応の政府、学者の説明は何か、個別の話という感じになってまとまっていないように思う。特に学者の説明が個別に出ている。これは、

「専門があるから」

と割り切るべきだろうか?

 そこで、昔読んだ社会学の古典を思い出した。

「理論構築の方法」J.ヘイグ著 小松陽一、野中郁次郎訳

が展開している方法論で、現在の状況を説明できるのではないか?

 例えば、定性的な理論概念とその連結での説明と、特徴抽出を行った、オペレータとその数値的な扱い。グラフの形、特に外の要因が入った時に起こる折れ線グラフ等がある。

 このような説明が現在の状況では大切だと思う。

2020年7月 3日 (金)

医療従事者という言葉の力

 今回のコロナ対応で「医療従事者」という言葉が多く聞くようになった。

 医療の話なら、まずは医師そして看護師を考える人が多いのではないか?しかし、入院中の経験は、医療が多くの人によって支えられている。薬剤師や医療事務、栄養士等の食事提供に係わる多くの人達、病室やベッド等の清掃や維持管理、こうした多くの面を見ないといけない。

 そういう意味で、

    医療従事者への尊敬!

という表現はよいと思う。

2020年7月 2日 (木)

コロナ専門家会議に欠けているもの

 コロナ専門家会議については、いろいろな議論があるが、一つ見えて来たモノがあるので、忘れないよう書いておく。

 私は現在、皮膚科の病気で入院中である。そこで一つのハプニングがあった。同じ病室の患者さんが、立ちくらみでこけて、頭を少しぶつけたらしい。その時、近所で作業していた方が、看護師を呼び、自分が聞いた音の状況等を上手く説明し、協力してベッドに戻していた。その後、当直医も来て、頭を打ったということでCTをとり、

「一応大丈夫だが、放射線科の専門医に読見取りを願う。」

という話になった。

 その後、皮膚科の主治医が様子を見に来た。そこで

「CTの状況は私も確認します。」

と、凛として言い切った。

 読図の専門は放射線科だろう。しかし、その分野に近い専門家は、隣接分野の専門家を評価出来る。これが、ポランニーが言った、専門分野の繋がりでの保証だろう。更に、患者の立場で考えると、信頼感のある主治医の説明が受け入れ安いだろう。こうした安心への配慮ができている。

 さて、コロナ専門家会議は、これができているか?まず、隣接分野の相互評価が、あったか?あってもそれが大衆に伝わっただろうか?も一つ言えば、大衆を信頼させる「主治医」の役割を誰が担っただろうか?

 もっとも、大衆相手は政治の仕事という発想もある。それなら、政治家に対する「主治医」役は誰が担っただろうか?

 このような議論も必要かと思う。

2020年7月 1日 (水)

正しいものは作られたもの

「正しいと言い切れるモノは作られたモノだけである」

この言葉は、社会学の祖と言われている、ウ゛ィーコが、デカルトの厳密なる思考方に対立して言った言葉で、人間の力の限界を示している。確かに、自然界の物事で

「正しい」

と言い切れるだろうか?何らかの不確定要素が存在する。これに対して謙虚な対応を求めた言葉であろう。

 しかし、これは西洋文明の、人間の力を有限とする立場である。仏教の一部では、人間の力を仏の力と同じと見る。

 法界体性智と言うように、「法界」自らの体であり性である。この力で創造し、その責任を取る。これが仏の力だと思う。だから、「正しい」と言い切れる。

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