究極の自己責任論
法華経を読むと、
「自分の中に仏の知見がある」
と書いてある。
これは、とてもありがたいことであるが、ある意味では、とても厳しい、残酷とも言える言葉である。
つまり、
「仏の知見があるなら、自分が解決しろ。」
と鋭く迫って来る。
会社で、
「課長が馬鹿だから成果が出ない」
と愚痴を言っている時に、
「明日からお前が課長、成果が出ないなら責任取れ。」
という感じである。
しかも、法華経の続きには、懺悔経と言われる、普賢菩薩のお経がある。このような
「社会が悪い」
という逃げが許されない、懺悔の厳しさは、真面目な人間には、特に鋭く迫って来るだろう。
法華経を説いたとき、このお経には、厳しい反発があったと聞く。確かに、このような、懺悔はある意味で残酷である。そこで、法華経信者への迫害が出ることも、当然ながらあったと思う。
しかし、
「自分の力、可能性を開き、社会全体として良くしていく。」
この気構えが、日本の「神様」と言われる人には、必要だろう。
専門家に、責任転嫁せずに、自分の責任で、コロナ対策を行っている、大阪府の吉村知事等の生き方が、これに当たると思う。
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