私たちが学んだ江戸時代は偏っているのではないか?
先日から、日本の歴史を見直していると江戸時代の、町人文明について、私の理解がない事に気がついた。更に言えば、豪農などの文明への貢献についても、理解ができていない。この理由は、学校教育が偏っているからだと思う。
一つは、権力体制を重視し、法制度などのが整ったものを対象に教える。つまり、江戸幕府の支配だから、幕府と各藩の支配が主な話となる。もう一つの偏りは、マルクス主義史観である。つまり、搾取する地主と、支配される小作人という図式である。このような、
「水呑百姓の悲惨な生活」
という一面的な図式で描く農村社会、このようなイメージしか浮かばない。
しかし、よくよく考えてみると、大阪の淀屋橋や道頓堀は、豪商の力でできた。さらに、多くの農地が、豪農の力で開拓されている。これは、当時の豪商や豪農の富裕層が
「将来のための適切な投資を行った」
結果と考えてもよい。つまり、資本主義の基本である
「投資と回収のセンス」
が既にあったと見るべきではないかと思う。
更に言えば、江戸時代は一応鎖国という、かなり閉鎖的な経済状況である。そこで、
「持続可能な経済成長」
を行ったとしたら、これも現在学ぶべき者が大きいと思う。特に、国土環境を護りつつ、持続可能な成長ができたのかは興味深い。
なお、一説によると、
「山の木を燃料として購入する豪商のために、多くの山が荒れ果てた。」
という側面もあるらしい。この観点で見れば、明治維新の新たな意味づけもでるかも知れない。
日本の文明は、環境との共存が大切だと思うが、山を壊した報いが、明治の大変革というのは、一つの可能性である。
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