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2020年8月13日 (木)

いわゆる『大企業型』についてもう少し

 昨日書いた、記事をもう少し補足しておく。なお断っておくが、私自身大企業に所属し、その恩恵を受けた身である。そこで少し割り引いて、この文章を読まれる人がいるのは仕方ないと思う。

 一つ目の議論は、大企業文明が日本社会に対して行った貢献である。これは、明治以降の富国強兵や、戦後の高度成長以降の国力増加に、やはり大企業文明の貢献は大きかった。戦後の社会を見れば、鉄・重工・電機そして車と、大手メーカが活躍している。これに加えて、電力会社やNTTなどの通信等、色々な側面で大手メーカーの技術や技能の蓄積活用は素晴らしい。

 そうして、これらの会社が生み出した利益は、税収という形や、雇用という形で、社会の安定にも大きく貢献している。このような、よいところをきちんと認めないと行けない。

 しかし、これらの関係者が全体の1/4という問題も考えるべきである。

 そこで、残りの立場か、この大企業文明をどのように見るべきだろう。戦後にあった、マルクス主義的な見方で

「大企業悪人論」

を持ち出すのは、困ったモノであるが、現在もまだこのような論調が残っている。

 もう一つは、

   「ドロップアルト組に派生した怨念」

の問題である。

 昨日も書いたが、日本の学校教育は

   「大企業文明に入ることを目的とする」

という側面がある場合が少なくない。乱暴に言えば1/4の枠に対して、1/2程度の人材が、『大企業就職』に向かっている。

 この歪みを改善する方法を、考えるべきだと思う。

 私の考えでは、『地元型』の人財育成を、もう少し強化すべきだと思っている。具体的に言えば、

   「その土地での産業指導を行える『神様』の育成」

が重要かと思っている。 

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