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2020年9月12日 (土)

納得と理解の違い

 昨日の話に関連して、「論争・学力崩壊」では、

  1. 理解型の子供
  2. 納得型の子供

の違いについて、少し取り上げていた。私はこの問題は、社会の分断に関連して議論すべきだと思う。

 まず、理解型の子供は、

先生などから与えられた範囲で、きちんと学んで理解しようとする。

ので、効率よく学校教材を吸収していく。しかし、理解が上滑りになる可能性がある。

 一方、納得型の子供は、

学校で学ぶ事を、自分の体験等に照らし合わせて、納得しようとする。

ために、学問の吸収速度は遅くなる。しかし、一度納得すると、本質的なモノまで解っているので、応用も利くし新しい事を実行する可能性もある。

 さて、社会の分断という観点で、この問題を考えると、昭和の時代、特に高度成長の前には、中学の教育までには、

「納得を重視した面」

もあった。例えば、中学で学ぶ幾何学は、

「まず図形を描き、それを移動して重ねる事で、合同の概念を教える」

という、『直感重視』の教育から、徐々に定義や定理の証明に入っていった。これが、数学教育の偉い先生方が、

「幾何学を厳密に教えないと行けない」
「幾何学ではだめだ、整数論がよい」

等と言い出して、しかも田中角栄の教員の処遇改善で、高学歴教師の増加が起こり、一気に

「厳密なる公理系による学問を理解させる」

流れになったように思う。ここでは、学問は

「専門的手法をきちんと行う」
コトを重視し
「直観的に理解し、納得する」
コトを軽視する。言い換えると
「素人は口出しするな、専門家に任せろ」

 というう空気になってしまった。この結果、

  1. 厳密なる体系での推論を行う専門家
  2. 学問の価値を認めない大衆

の分断が進んだのが平成の時代ではないかと思う。

 しかし、数学の厳密さの前に、直観的な納得を求める幾何学も大事だと思う。更に言えば、

「けんかの道具でなく、社会の全体像を見せる社会学」

等も、必要ではないかと思う。これらが上手く働く事で、大衆参加の社会委運営になり、そのための学問知識を得る人が増えるようになると思う。

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