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2020年9月 4日 (金)

動機付けに関して西洋文明と大乗仏教の文明の発想の違い

 昨日の続きで、動機付けについて、西洋文明的発想と、大乗仏教的発想の違いについて議論しておく。

 西洋文明的発想なら、動機付けならマズローの理論などが出てくる。

https://motivation-up.com/motivation/maslow.html

 しかしながら、この議論の根底には、貨幣経済社会などの西洋文明が前提にあり、しかも

「人間は神の智慧には及ばない」

という諦めがある。又、マズローの5段階説を見ても解るように、

「できるだけ単純な項目で考える」

という発想がある。

 しかし、現実社会をこのように単純化してみる発想がよいのだろうか?

 例えば、会社生活においてて、管理職になる動機付けを考えてみよう。

「出世したい」
「給与が上がる」
「他の皆に遅れたくない」

等の単純な理由だけで出生したがる人間は、どれほどいるだろう。

 管理職の重み、責任を感じたとき、色々な悩みがある。しかし、

「その部門の重要性」
「働いている人たちの個々人の立場」
「他の人間が管理者苦になるリスク」(不適切能力者のリスク)

等色々な事を考えて、悩んだ末に受け入れる人は、よい管理者になる可能性が高い。

 さて、ここで大事な事は、大乗仏教的な発想である。大乗仏教には

「誰もが仏の智慧を持っている」
「仏の智慧とは全てを自分のモノとし、衆生を我が子のように見る智慧である」
「この智慧で社会をよくすることができる」

という発想がある。少なくともキリスト教の

「神の世界への到達不可能限界」

とは別の、可能性を拓く発想がある。

 又、これと併せて、色々なモノを見るとき、具体的に多様な見方をする。例えば、管理職が部下を見るときも、

「契約した機能を果たす部下」

という見方が、西洋文明の経営学敵味方なら、日本的管理では

「個人としての生活のある部下」
「将来的な成長可能性のある部下」

等の、血の通った見方になる。

 こうした、実体観の上で、

「皆のためになる」

という動機付けを行うなら、強い力を得ると思う。

 もっと言えば、仏教では

「皆を救う」

という発願がある。この力は、西洋文明的なモノより強いのではないかと思う。

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