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2020年9月11日 (金)

学力崩壊と社会の分断は関連しているのではないか

 少し古いが、中公新書クラレの「論争・学力崩壊」を読んだ。色々と気づきがあったので忘れないうちに書いておく。

 この本でも指摘しているが、

「日本の高度成長を支えたのは、中流階層の知的な力による」

という観点は、私もメーカーにいた立場で納得する。QCサークル活動など、現場力として色々な人が貢献していた。

 しかし、現在の学力崩壊は、そのような「一般教養」が危うくなっている。この理由は

  1. 教える側の問題としての時間削減
  2. 教わる側の問題としての意欲低下

の両面がある。

 さて、私が注目するのは、教わる側の意欲低下についてである。ここでもう一歩深掘りすると

「高度成長時代ぐらいまでは、一般人の参加の余地があった」

という感触がある。しかし、いつの間にか

「専門家の社会に口出しするな」

という空気が生まれた感じがする。このような

「専門家と素人の分断」

から、

「素人は学問しても発言できない」
「学問の価値がない」

という流れになったのではないかと思う。

 この流れをもう少し見ると、

「昔は、素人に解る直観的説明を大事にしていた」
  例えば、定規とコンパスの幾何学
「現在は、専門家の厳密な議論法を重視いている」
  ヒルベルトの公理系による幾何学

という風に、

「専門家の学問を重視し、一般人の直観的理解を排除する方向へ、教育が向かったため学問の分断を生んだ」

という仮説である。

 専門家の地位は、それなりの評価が必要だろうが、一般の理解という裾野を軽視していると、学問自体の存続が危なくなると思う。

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