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2020年9月 3日 (木)

全体の幸せが自らの幸せになる

 昨日書いた、江戸時代の豪農や豪商の働きに関連して、もう少し踏み込んで考えてみた。

 まず、西洋文明に縛られた私が、先に思いついたのは、

「投資と回収の発想」

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-939bb8.html

である。

 しかし、これは金銭的尺度に縛られているように思う。もう少し言えば、単純化したモデルの思考法で考えている、という西洋文明の

「分けて考える」

という発想を実践している。

 しかし、江戸時代の日本人の発想には、大乗仏教の教えなどが、染み込んでいる。例えば、お経を唱えた後

願わくばこの功徳を持って、遍く一切に及ぼし、我らと衆生と、皆伴に仏道を成ぜん
国土安穏、万民豊楽、功徳の余慶を持っては先祖代々の諸精霊に回向し、それがし家運長久~~

という風に、

「まず全体がよくする、その後個人の事を考える」

と言う発想が体質になっている。

 このように考えると、江戸時代を現在のマルクス史観などで見て

「地主に搾取される水呑百姓」

という図式トは別の世界が見えてくるように思う。

 もっと言えば、動機付けに関しても、現在的な発想でなく、大乗仏教の「発願」という発想で見た方がよいと覆う。

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