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2020年10月25日 (日)

日本学術会議について雑感

 日本学術会議の会員に関して、会議からの推薦者の内6名が総理に拒否されたと言うことで、色々ともめている。

 私は、1980年代頭までの学術会議について、色々の見聞きしたことがあるので、そこから思うことを書いておきたい。一応、私も

『学術会議会員の選挙権』

を一時期取得したが、行使する前に制度変更になった身である。(苦笑)

 また、当時の私は、大学の工学部からメーカに就職した立場なので、文系の話は見聞きしたことがない点をお断りしておく。

 一つ目の経験は、学術会議会員の利権という側面である。これは、噂話が絡むが、私は信じてしまった話である。

「ある大学の研究室が、文部省の特別な研究予算申請を出した。かなりの大規模プロジェクトで、高額の予算であった。」
その時
「学術会議会員を頭に担ぐプロジェクトでなければこれほどの予算は通らない。」
と言う囁きが聞こえた。結果として審査で落ち
「身の程を知れ」
と言う声が聞こえた。

これは噂話だが、少なくとも工学部など理系の設備などが必要で、工学の研究予算が必要な場合には、学術会議会員が絡む方が、文部省の通りがよかったようである。そこで、学術会議会員の選挙には、多くの大学関係者が動いた。

 さて、別の切り口で、学者世界と政治の話を考えてみよう。昔の朝日新聞に、先般内閣と自民党の合同葬が行われた、故中曽根康弘元総理が

「昔と比べて、学者が政治に対して、あるべき姿を言えなくなっている」
(これは、学者側の能力低下についての苦言)

と言っていた。これは本質を突いていると思う。学者の意見をそのまま政治に反映させるのではないが、傾聴すべき意見が発信できていない。このような退化が、元老の目に見えていたのだと思う。

 次に、私が議論したいことは、

「日本の学者は、自力で学問の自由を戦い取ったか?」

と言う観点である。皮肉な見方をすれば、

「江戸時代の学者は、自分の主張のために命をかけていた」

と言えるだろう。しかし明治以降は

「お上の支援での文明開化」

が進み、敗戦後は

「GHQの圧力による『学問の自由』の獲得」

であった。つまり、自力でなく権力頼依存の学問の自由である。

 もう少し別の観点で見れば、日本の学者は

「ラボアジェの死刑」

を経験していない。ラボアジェは『質量保存の法則』を発見した、『近代科学の父』と言われる人材であるが、税金取り立て人の罪で、フランス革命でギロチンで処刑された。

 西洋文明では、『学問の自由』を得るためには、市民の支持が必要と言うことを、このような血のにじむ経験で知っている。一方、日本の学者の多くは、戦時中の戦争協力のあと、自分たちは口を拭って、生き延びて学問世界に復帰している。

 フランス革命の教訓が身にしみていれば、学術会議の会委員選考や東大総長選挙について、一般大衆が納得するような説明が行わるのではないかと思う。

 

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