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2020年10月11日 (日)

日本における大乗仏教の展開に学ぶ大衆参加の道

 先日から書いている、大衆参加に関連して、日本の仏教の広がりで考えてみた。日本の仏教は、聖徳太子などの上からの動きと,行基菩薩などの大衆を巻き込んだ動きの両面から広がっていった。

 しかし、教えの面から見ると、

「大衆の行動はやりやすい向きに展開していく」

と言う一つの流れが見えてくる。もう少し具体的に言うと

  1. 聖徳太子などの法華経の解説
  2. 源信の浄土世界の図式化
  3. 法然の称名念仏

と言う3段階に代表される動きである。

 最初は,法華経の理解など経典をきちんと読む,それを説明してもらう形で皆が聞いていく。しかしこれでは、なかなか解らない。そこで、源信は阿弥陀如来に関するお経の世界を、もっと具体的に展開した往生要集を書いた。

 しかし、この教えは瞑想により、自力で極楽浄土の姿を観る

「観想念仏」

であり、瞑想ができない人には救いにならなかった。これを助けるために、色々な仏像・仏画そして曼荼羅が描かれた。これを観て救われた人もいるが、多くの人には手が届かない。

 そこで法然などが説いたのが

「南無阿弥陀仏」

と唱える

「口称念仏」
「専修念仏」

である。

 このように、集中して想像力を働かせずに、口頭で唱えるだけの易しい行に展開する。これが大衆化の流れである。

 ただし、その世界を伝えるために、曼荼羅や仏像などを作り、多くの人に見せて土台を作っていたことも、忘れてはいけない。

 このような大衆への展開の智慧が、我が国には昔からあった。これをもう一度見直すべきだろう。

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