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2020年10月21日 (水)

論争による思い込みの強化

 強迫神経症等の思い込みについて、少し考えることがある。一部の強迫神経症の患者は、周囲の無理解と戦っていて、かえって症状を悪くする場合がある。例えば、不潔恐怖におびえる患者に対して

「そこは汚くない、触ってみろ」

と強制したとき、患者の方は

「絶対いやだ、そこに汚いモノがある!!」

と強く主張していくようになる。周囲が、

「あなたは、不潔に感じるかも知れないが、他の人は気にしないですよ」

と言うぐらいに軽く流して、争う輪図に流していけば、思い込みが深くなることもないだろう。頭から、否定されると、どうしても自分の言ったことを護りたくなり、より思い込みが深まっていく。

 このような現象は、そう言えば他でも見た気がする。例えば、山本七平が指摘している、

「百人斬り報道論争の新聞社の対応」

等が、一つの事例になる。論争が始まる前は、中立たっだマスメディアが、山本七平に対して、敵対しだすと、戦時中の新聞報道への検証など放り出し、山本七平の論を潰しにかかっていく。この図式は、一度言い出した主張にこだわるという点で、上の話と通じるモノがある。

 私の意見は、

「山本七平の論法は、法廷で議論するには甘い。しかし、マスメディア側が、戦時中の戦意高揚報道への反省をしないのもおかしい。特に『百人斬り』への誇張などは、報道関係者として反省すべき事項である。また新聞記事が原因で、戦犯有罪になった場合には、新聞記事の誇張表現は、それなりの責任があり、マスメディアの反省が必要である。」

である。

 話が少し脱線したが、物事を多様な見方から見ることができない場合には、論争が行われたとき、自分の意見に執着し、思い込みが激しくなる傾向があるように思う。もう少し言えば、多面的な見方をし、全体像を持った上で、自分と相手の意見を客観的に評価できれば、論争においても、自分の考えを修正し、太らせることもできるだろう。このような力が、現在弱くなっているように思う。

 もっとも、多様な見方を育てる教育は、明治以降の教育にあったのだろうか?

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