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2020年10月15日 (木)

人間を個別にきちんと観ていく必要がある 教員の不適切行動について

 今テレビのニュースで、某市の中学校の柔道指導者の暴力行為が話題になっている。さて、この問題の本質はどこにあるのだろう。私の考えでは、

「凶暴なる性格の治療はできるのか?」

が、本質的な問題点だと思う。更に付随する問題点は、

「もし治療できないなら、他の人に被害が出ない対策はどうする?」

が出てくる。

 この両者に真剣に向き合っていないから,同じような問題が何度も起こっている。

 さて、一つ目の議論であるが、今回の暴行教師は,前にも暴行を行っていて、「アンガーマネジメント」の講習を受けている。

 つまり、今回が初犯ではないと言うことである。しかも、怒りの感情が抑えきれない体質、と言うことも明確になっている。さて、犯罪者に対する刑罰の基本発想に

「犯罪者が二度とこのような犯罪を超さないように治療する」

と言う考えがある。そこで、講習などを行っているが、今回の行動を見る限り、そのような講習の効果がなかった。

 さて、このような、

「凶暴なる性格の治療の効果」

に関して、きちんとした評価が行われているのだろうか?

 もう少し踏み込めば

「効果のある人もいる」
(何%まで言えればもっとよい)
「しかし例外的に効果のない人もいる」

と言うような議論ができているのだろうか?犯罪者の再犯に関して、もう少し正面から向き合い、

  • 治療的な効果が出る場合
  • 効果が出なかい場合

の両者を明確にし、効果が出ない人間の対策をきちんとすべきではないかと思う。

 この問題は、暴行だけでなく、性犯罪的な行動でも同じである。学校教師の性犯罪歴についての議論があるが、治療効果の出た人間の再生と、治療効果がない人間からの再犯防止をきちんと分けて考えるべきだと思う。

 なお、この問題をもっと踏み込むと、現在の政策設計者の問題に至る。つまり、

「個別の人間の多様性に向き合っているか?」
もっと言えば
「極端な犯罪傾向や凶暴性がある人間の存在」
「他人の人格を踏みにじっても平気な人間の存在」

等の、逸脱可能性まで観ているか?更にそのような、

「犯罪者によって被害に遭った人の苦しみ」

をきちんと観ているか?

 平均的な人材、理想的な人材だけで、社会設計をしているのではないかと思うことがある。

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