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2020年10月26日 (月)

日本の議会政治について

 昨日書いた、学術会議の記事について、もう少し一般的に考えて見た。学術会議の議論は

「学問の自由を勝ち取ったのではなく、お上から与えられた」

であった、しかしよく考えてみると、

「議会制民主主義も、民衆の力で勝ち取ったのではなく、お上から与えられた」

状況である。特に現在の議会政治は、太平洋戦争の敗戦後の

「アメリカによる指導の民主主義」

であり、

「自分たちが、必死で求めたモノでなく、支配者〈アメリカ〉が認める民主主義」

を求めていた。この結果、

「議会の場での議論は、そこで創造を行うためでなく、観客が満足することを目的とする。」

と言う状況になる。この観客は、多くは議員にとって選挙区の人たちが主体になる。但し、もう一つの観客は

「アメリカの政治家達とマスメディア」

である。これは、1955年体制と呼ばれる、米ソの冷戦構造が大きく影響している。つまり

「日本は,ソ連等の社会主義勢力に取り込まれる可能性がある。」
従って
「アメリカに反発する世論を抑える必要がある。」
なお
「占領中のアメリカの政策による『平和憲法』は国民に染みついている。」

等の状況から、

「アメリカにとって、朝鮮半島で起こったように、社会主義の進出はとどめる必要があり、日本はその最前線である。」
ただし
「占領時の平和憲法の成果で、戦わせることはできない。」
また
「占領時に教えた、思想や学問の自由のため、『マルクス主義』が日本の知識人にはやっている。」

という微妙な立場で、

「アメリカの支援は受けるが、軍事的な貢献はしないで済ませる。」

と言う絶妙な立場を維持していた。

 このように考えると、山本七平が

「勧進帳国会」
と揶揄した
「沖縄の核持ち込み議論」

にも、

「アメリカさん、日本の世論は、これ以上の核持ち込みを、許しません。」

と言う歯止め効果があったと思う。

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