仮名文字の不思議
空海の『吽字義』などを読んでいると、梵字についてもう少し考えたくなった。梵字、つまりサンスクリット語について、少し学んだだけでも、表音文字として、きちんとした構造ができていることが解る。母音と子音等の『音の組み合わせのルール』が、文字の上でもきちんと表現されている。
これを見ると、
「表音文字とはどうあるべきか」
がよくわかる。マクルハーンが、
「アルファベットの発明はメディアの大改革の一つ」
と言ったのも解るような気がする。
さて、ここで一つの疑問が出てきた。私たちは、
「仮名文字は表音文字」
と思っている。しかし本当にそうだろうか?一つの実験事例がある。録音装置で
「あかいとり」
と記録し逆回ししたらどのように聞こえるだろう。表音文字なら文字を逆に読み
「りといかあ」
となるはずである。しかし実際は
「いろちあか」
と言う風に聞こえる。これはローマ字で表現するとよくわかる。
akaitori → irotiaka
と言う風に、ローマ字表現の逆転がきこえる。これでも解るように本当の表音文字なら
「子音を独立して扱えないと行けない」
もう少し言えば
「音に忠実に記述して、その組み合わせルールを明確にする」
が必要がある。
これを考えると、仮名文字という物は、表音文字と言えるのか、怪しくなってくる。
今これを書きながら考えた仮説は、日本に仏教を伝えた人たちが、お経の陀羅尼の部分の
「梵字に対する当て字としての漢字」
と
「当時の日本語の発音を五十音図的に整理」
した結果として
「仮名文字が生まれた」
のではないだろうか。
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