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2020年11月19日 (木)

学者の戦争への関与について

 昨日書いた記事の主旨は、

「じっくり検討して考える力と、現状に応じて機敏に修正する力は別」

であった。その中で、

「アメリカの科学技術に対して、日本人は個人技で対応したから比較的修正が上手」

と書いた。しかしながら、修正できずに泥沼に陥った例がある。それは、太平洋戦争における日本人の対応である。第二次大戦における、日本の戦争責任は、公式発表では

「軍部の暴走に国民がだまされた」
「学者達もいやいや協力した」

と言うことになっている。しかし、これは真実の姿であろうか?ここで、私が『太平洋戦争』と言う表現を使ったことに、注意してほしい。その場では、真珠湾攻撃、マレー沖海戦、そしてシンガポール陥落と、開戦後の数ヶ月の戦勝気分に、全国民が酔っていた。このことを忘れてはいけない。その中では、

「東条英機の弱腰を叩く」

世論すらあった。

 そのような空気に押されて、一部の学者には、『日本民族の優秀性』等の議論を展開し、『戦争協力』を行った人もいる。

 さて、ここで、最初の主題に戻るが

「学者が発表する物は、きちんとした検討が必要である」
従って
「気軽に修正できない」

と言う側面がある。これを考えると、最初の数ヶ月の戦勝気分に酔って、書いてしまった議論が、引っ込みがつかなくなって、最後まで一人歩きしたことは十分起こりうることである。

 学者が、全て

「軍部の脅迫に屈して不本意な意見を発表した」

訳では無いと思う。なお、軍人達には

「戦後の復興のために学者をかばい、自分たちが罪を負った」

人たちもいることも考えるべきだろう。 

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