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2020年11月13日 (金)

「アメリカ教」についてもう少し

 昨日の「アメリカ教」の話をもう少し突っ込んでみる。スミスの作品では

絶対の善も、絶対の悪もない。ただ「最大多数の最大幸福」の原則を守らないといけない

が出てくる。これは、当時のマルクス主義者の

「正義のための革命とプロレタリア独裁」

と言う発想に反発したモノであろう。それほど、当時のアメリカでは、共産主義者への嫌悪感は強かった。逆に言えば、

「共産主義者のスパイがどこに潜んでいるか?」

と言うかなり緊迫した状況にあったらしい。もっとも、この話は私たち日本人の平和ぼけの結果かも知れない。私たちも

「近所に住んでいる人間が、北朝鮮の工作員であって、拉致事件が発生し、同胞が多く連れ去られた。」

と言う痛い経験をしている。それでも

「朝鮮総連の権利を守れ」

と言う声は大きい。

 さて、絶対の善悪に関してもう一つ大事なことは

「キリスト教の教えからの決別」

である。最後の審判での裁き、ここで決まる絶対の善悪、これを否定している。逆に

「神のような全能の立場に、優れた人間が立つ」

発想が出ている。

 これは、

「貴族制度などがなく、誰もが成功できる」

と言う、アメリカンドリームの影響もあると思う。彼らが決めた人間の範囲では

「誰にも機会がある」

と言うのが、アメリカの正義でもある。

 このような、「神の立場」に到達できる可能性を、当時のアメリカ人達は、科学技術に進歩に見いだしていた。この一つのまとまりが、1989年に提案された

「すべてのアメリカ人のための科学」http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf

である。

 しかしながら、このプロジェクトは、盛りだくさんすぎて、実行には移せなかった。ここからも、アメリカの迷走が見えてくる。

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