「照準と修正」という観点から見えてくる
太平洋戦争中のアメリカ軍は
「照準は上手だが、修正は下手」
であった。ここで、照準というのは、最初に狙いを付けることで、敵のいる予想位置に対して、一発目を打ち込むことまで含んでいる。次の修正とは、前に撃った砲弾が外れたときに、狙い直して調整することである。アメリカは日本に比べて優れた、レーダーやアナログ計算機などの技術を活かして、日本の艦船や飛行機の位置を予測する力があった。そこで、
「照準は上手」
となっている。しかしながら、当時のレーダーやアナログ計算機は、大きな設備で操作も大変で、稼働時間もかかる。従って、一度計算が終われば、その後の修正まで計算機を使うことはできなかった。その結果
「修正は下手」
と言う結果になる。このような相手と戦うときには、
「とりあえず一発目を外せ!」
が有効になる。相手の方に突っ込む形なってもよいから、今までの延長した場所にいないようにする。これが生き残りの対策になる。
なお、日本の軍隊にはそこまでの科学技術も資源も無い。アナログ計算機の概念は知っていても、信頼性の高い真空管をたくさん供給できないから、実現は不可能である。従って、
「個人の技を磨き、優れた人間に任せる」
方法で対応した。その場合には
「どちらかというと修正が上手」
な傾向がある。
さて、この話は
「戦争における銃砲を命中させる」
と言う問題としてだけ考えるのは、もったいない感じがしてきた。一般的に
「事前準備をきちんとして、時間をかけて検討する力」
と
「現状を見て機敏に修正していく力」
には、共通する部分と、別の部分がある。この違いをきちんと考えて、使い分けをしないといけない。
また、
「修正下手」
に対して、アメリカが取った
「科学技術的な対応」
と言う発想も、学ぶべきモノがある。つまり、
「照準で近所まで行けば、その後はミサイルが自動的に目標に向かう」
と言う、
「修正を機械に行わせる」
発想での対応がある。このように、
「あくまで科学技術で対応し、個人芸に対する依存を少なくする」
発想は、第二次大戦後中からアメリカ人が得意とした。私たちは、このアメリカ的発想の影響を、意識していなくても受けているように思う。
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