アメリカ人の教育政策の失敗について
昨日書いた、アメリカ人の「科学的思考」教育の失敗に関して、今回は数学教育の事例、特に幾何学で考えてみた。
日本の幾何学教育も色々と迷走したが、教え方には以下のステップを踏むことが有効とされている。
- 小学校高学年か中学の間に、定規とコンパスでの作図とその重ね合わせで「同じ」という感覚を得る
- 三角形の合同と言う概念を学び、定規とコンパスから離れて抽象化して考えるようにする
- 抽象化した考えを組み合わせて証明ができるようにする
- 高校ぐらいでユークリッドの公理系からの展開を学ぶ
ただし、点や線のイメージの助けを借りた推論 - 大学で数学の専門家は、完全な抽象体験としてのヒルベルトの幾何学を学ぶ
ここでは「点」「線」についても、特定の公理を満たす抽象的存在でしかない
しかしながら、効率的な教育と言う観点からすれば、ユークリッドの幾何学や、定規とコンパスの作図は、無駄な時間を費やしていると判断される。確かに、一部の有能な人材は、きちんとした公理系からの議論ができるだろう。このような人材には、
「無駄なモノを教え時間を浪費しない」
と言う発想はある。しかしながら、
「多くの生徒に納得させるためには、定規とコンパスなどの手順を踏むことが大切」
と言う、教育現場の経験則もある。日本の数学教育においては、ある程度湖のような現場の声も届いている。逆に言えば、フィールズ賞受賞学者が、大衆向けの教育を行い、
「一般向けに教えるためには段階を踏むことが大切」
と発言している。
しかし、「すべててのアメリカ人のための科学」を見ると、どうもいきなり「ヒルベルト幾何学」の高みに行こうとしているように見える。アメリカでは、有能な人材は時間を無駄にせずに若くして大学に入っていく。
「そのような有能な人材が考える施策」
には、無駄を省く教育になっていく。しかしそれに大衆がついて行くかは別である。これが一つの失敗要因ではないかと思う。
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