空海が観たモノは?
空海の『吽字義』を理解するために、もう一度サンスクリット語について、見直してみた。サンスクリットでは、母音子音の複雑さ、その組み合わせのルールを、梵字の書き方に反映させている。少数の文字を使うが、組み合わせのルールを上手に使うことで、多様な音声を表現している。
梵字を理解すると、象形文字の系列に属する『漢文』に慣れた人間にとっては、カルチャーショックを受けたのではないかと思う。漢字を『真名』と言って、
「真実の文字は漢字しかない」
と思っていた中華文明に影響された人間が、
「お釈迦様の文字は別にあり、それは見事な体系である」
とシッタ感激というか、ショックは大きいと思う。マクルーハンが
「アルファベットの発明はメディの革命の一つ」
と言ったことが納得できる。
さて、空海はこれを密教の修行という実践に繋いでいく。例えば
「梵字の子音を書くときは、母音の阿を追加する」
と言うルールを、密教の教えに反映させて
「全ての仏の根源である大日如来を『阿』字で象徴する」
とし、他の仏や菩薩を色々な梵字で象徴する。このような
「要素的なモノの組み合わせで理解する」
発想が、曼荼羅などに反映し手、構造的な整理が行われている。
また、梵字の『阿字』をしっかり観る、『阿字観』という修行もある。この修行においても、梵字の構造まで考えて、
「全てに展開する『阿』字を観る」
ことが、空海が観たモノを理解することではないかと思う。
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