ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »

2021年1月31日 (日)

コロナワクチンに対する『空気』の働き

 コロナに対するワクチン接種について、世論が大分変わってきたように思う。今までは

「副反応の危険性があるから控えるべき」

と言う意見が目についたが、逆に

「早く接種してほしいが政府の対応が遅い」

と言う意見が出ている。現実に、アメリカでは、接種予定者が来れなかった時を狙う『ワクチンチェイサー』が出現している。これをマスメディアが放送している。このようなマスメディアの報道と、世論が結びつくと一気に

「ワクチン接種を急げ」

と言う空気が出てくる。

 さて、もう一つ皮肉な見方をすれば、政権の足を引っ張りたい一部のマスメディアにとって、

「ワクチン接種は推進すべきか?反対すべきか?」

と言う迷いがある。もう少し突っ込むと

「ワクチン接種の遅れを叩く方が政権に痛手になる」

と判断すれば、ワクチン接種推進の論陣になる。私は、このような利害関係が絡んで、一気に接種推進に空気が変わると見ている。

 ただし、今回のマスメディアの報道には、ワクチンの効力について

「空気感染を筋肉注射のワクチンでは止められないが、
肺炎の重症化は抑えることができる」

と100%では無いと、欠点を示した上で、ある程度納得のいく説明がでている。欠点も冷静に議論できるなら、『空気』の暴走は予防できるだろう。

2021年1月30日 (土)

編集しないで情報を発信できるネット社会

 昨日書いた話の続きで情報の整理について少し考えた。

超能力への依存ではなく正攻法のスキル習得が大切: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 昨日は、記憶するために関連した情報の整理が重要という話を書いた。一般論と具体例、原因と結果の関連付け、そして典型的なストーリーなどを関連付けることで、記憶しやすくなる。

 さて、私達は『勉強の方法』として、このような情報整理法を学んでいるだろうか?

 私は学校生活でこれを学んだ記憶は無い。しかし、会社に入ってから、自分で学ぶために色々と調べ、結論として

ノートの作成が情報の整理に役立つ

と言うこと体験をした。これは、会社生活で、社員研修などを行って、『人に教える体験』をしたことが大きく影響している。さて、私のように20世紀に情報発信した人間は、

情報を整理してから発信する
つまり
編集作業が重要

が常識であった。

 しかし、現在のSNS社会では、誰でもスマホのカメラで撮影し、その情報を公開することができる。またSNS上には、思いついたことをそのままつぶやくことができる。また、他人の投稿をリンクを紹介する方法で、簡単に『自分の意見として』拡散できる。

 このような違いについて、認識が甘かったと、反省している。

 20世紀の常識では、

発信を考えるだけで情報整理ができる

だったが、現在の『リツイート発信』では、そのような効果が期待できない。

2021年1月29日 (金)

超能力への依存ではなく正攻法のスキル習得が大切

 前に「坂の上の雲」に関連して、『一発逆転の派手なモノ』を求めることの弊害について書いた。

 これは、私達のスキル習得に関しても、あてはまると思う。例えば、知識の習得に関連して、『記憶力』は重要な要素である。そこで色々な記憶力の強化法がある。私も若い頃には、渡辺式記憶術を使って、暗記問題を処理した。

 さて、この記憶力強化の中に、『イメージ記憶』の活用を説く一派がある。これは、古くは弘法大師空海などが修行した『虚空蔵求聞持法』からの伝統があるが、習得できる人とできない人がある。もっと踏み込めば、サヴァン症候群の一部の人たちが持っている力と、同じモノを求めることになる。

 このような、超人的な能力は、習得できれば便利かも知れない。しかし、そのために費やす時間は少なくないし、成功するかも解らない。そのように、派手の技を考えずに、地道に記憶しやすくする工夫が大切ではないかと思う。

 具体的には、習得したい知識をきちんと整理する。整理の中には、

原因->結果

一般論->具体例

典型的なストーリー

等の秩序を見いだして、配置よく描いてみる。このような関連付けを行うと頭に入りやすくなる。

 こうした、正攻法の学習が結果として力を付けることになると思う。 

2021年1月28日 (木)

専門家の閉じた世界を造ったネット化と高学歴化

 先日書いた、メディアの変化の話を、専門家のコミュニケーションの観点でもう少し考えてみた。

社会の分断論にメディアの観点から一考察: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 今回の仮説は

専門家だけでのコミュニケーションが活発化したら
社会の分断が起こる

である。これは逆に言えば

専門家が大衆の中に埋もれたら
大衆向けの説明をせざるを得ない

状況が成立しない。

 しかも、

専門家の間でのコミュニケーションが密になると
専門家の成長は早くなる

効果もある。この理由の一つは

専門家の言葉でのコミュニケーションは効率が良い

にある。例えば、数学的手法で納得する相手なら、数式を示すだけで済む。またMBA同士の会話なら、数値を伝えるだけで、会社の経営状況がある程度伝わってくる。

 しかし、このような専門家の言葉だけでしゃべるようになると

一般大衆への説明の努力を怠る

ようになる。もっとひどくなると

大衆向けの説明の必要性すら感じない専門家

が出てくる。彼らの言い分は

「勉強しないのが悪い」

であり、こうして社会の分断が発生する。

2021年1月27日 (水)

空海は財力と権力の応援を自ら引き出した

 昨日書いた、

「科学者が自分のやりたいように権力や財力の支援を受ける」
科学者の意見が政治に反映されるまで: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

話に関して、E.E.スミスの「大宇宙の探求者」というSF作品を挙げた。この本は、スペースオペラの大家、E.E.スミスの駄作と言われている。しかし、私はこの本を見直して、ある既視感を覚えた。この本の主人公は、ある経緯で、鉱物資源を見つける超能力を持つ。この力を使い、超大企業や政治的な権力の支援を受けて、自分のやりたいことを行っていく。

「これは弘法大師空海の話ではないか!」

空海は、若いときに山の民との交流があり、水銀鉱脈を探す『丹生の民』などからの支援を受けていた。空海が、唐に渡った時に、大量の砂金を持っていた。これを使って、多くの密教法具や曼荼羅などの複製を、職人を雇って作り、日本に持ち帰った。

 空海は、日本の歴代でも最高の超能力者の一人であり、鉱脈探知のダウンジングの才能をあっただろう。それは、水銀を使う『丹生の民』にとって貴重な力であり、十分な支援を受けたであろう。また、超能力を抜きにしても、空海の学識は卓越したモノがあり、そして当時の唐の土木技術で、それを洗練させれば、さらに鉱山の採掘などにも役立つだろう。これだけでも『山の民』が、空海の留学時に砂金等の支援をしただろう。

 このように

「新しい技術を学んでくることは利益を生む」

と、当時の鉱山企業の幹部に納得させたことは、現在にも通じるモノがある。

 また空海は、帰国後も嵯峨天皇等にも、真言密教の価値を納得させ、政府の支援を引き出している。

 学者などが、

「支援がない」

と嘆く前に、空海の成果をもう一度見直すもよいのではと思う。

2021年1月26日 (火)

科学者の意見が政治に反映されるまで

 このブログでは、

「専門家の意見を重んじすぎる」

弊害について、何度か書いてきた。しかし、歴史を見ると、

「学者の意見が取り入れられない」

時代の方が長かったように思う。

 例えば、

「手術の時に消毒が必要」

と言う、今では当たり前の話も、19世紀になってやっと実行されるようになった。現在社会の先進国では、

「学問的に裏付けのある意見」

はそれなりに尊重されている。私達はこれが当たり前と思っているが、20世紀の半ばまで時間を戻すと、少し違った世界が見えてくる。

 例えば、アメリカの多くの物理学者が、政府に原爆製造のための提案を受け入れさせるために、どれほど苦労したかは、マンハッタン計画に関する著作に書いてある。また、イギリスでは、暗号解読に数学者が貢献し、オペレーションリサーチなどのが苦悶結果が、戦争追考に影響を与えるようになった。

 このような、

「戦争勝利に貢献する学問」

と言う形で専門家の意見が政治に影響するようになった来た。一方、我が国でも

「戦争で負けたのは、科学を無視した精神論の結果」

と言う反省で科学重視の政策に舵を切っている。

 この文脈で20世紀半ばの、アメリカのSF、特にE.E.スミスの作品を見ると、

「科学者に好きなようにさせる、権力と財力の支援」

を求める作品が見受けられる。スミスは博士号を持った技術者であり、

「技術者が自分のやりたいことが予算の都合でできない不満」

を色々と持っていたらしい。このような時代が、つい先頃まであった。これをもう一度考えておく必要がある。

2021年1月25日 (月)

社会の分断論にメディアの観点から一考察

 先日の社会の分断の話に関して、メディアの変化という観点で、少し考えてみた。私の仮説は

この半世紀で情報発信のハードルが下がり多様化が進んだ

ために、

専門家の意見に無条件に従わない人が増えた

ことが、社会の分断の一要因と言う考えである。

 私が見てきた、ネットワーク化の進化は以下の段階を経ている。

  1. ARPAネットなどで限られた研究者間のメールでの論文やりとり
  2. WEBでのホームページ公開とブラウザでの閲覧
    ここで専門家から多くの人への発信が可能になる
  3. ブログによる素人の書き込み増加
  4. SNSによる短い情報発信が可能になる

この流れは、大きくまとめると

 プロのまとまった文章 
-> 
誰もが欠ける短い文や写真・動画

と言う形で、情報発信が容易になっている。こうして多様化が起こり、

自分達に都合の良い情報で固まる

ことでますます事故の信じているモノへのこだわりが生じていく。

 これが分断化の一つの要因である。

トランプと橋下徹の違い

 昨日書いた、トランプ大統領に関して、橋下徹元大阪知事・市長と比較して、もう少し議論しておきたい。

 私の考えでは、トランプになくて、橋下徹にあったモノは

「松井大阪市長などの維新の政治家達」

である。もっと言えば、政治家としてスタートしたときには

「堺屋太一の指導」

もあった。このような

指導を謙虚に受ける側面

が、橋下徹にはあるがトランプに欠けていたモノである。橋下徹とは逆に

「トランプは有能な政治家を首にした」

ことが、孤立し潰れていった原因の一つである。これは逆の見方をすれば、

「アメリカの共和党の衰退」

でもある。大阪維新は元々派、大阪府の自民党の府会議員が母体である。その中には、『都構想』の母体になる構想を持った議員もいた。このようなしっかりした議員達が、橋下徹を担ぎ、橋下徹もそれに答えた。共和党にそれができなかったのは何故か、もう少し考えるべきモノがある。

 私の仮説は、

「トランプの年齢とそれまでの成功体験」

が大きすぎた。橋下徹の大阪知事のスタートは、

「政治家としては未熟、しかも若い」

と言う謙虚にならざるを得なかった。これが彼を成長させたと思う。一方、トランプは既に

「自らの成功体験に酔っていた」

ため、伸びしろがなかったと思う。この違いが大きいのではにかと思う。

2021年1月24日 (日)

トランプ大統領を生み出した原因は社会の分断にあり

 トランプ前大統領が無事身を引いたらしい。これで

「アメリカは正常に戻る」

と喜ぶ人も多いだろう。

 しかし、単純に『トランプ大統領』を否定するだけで良いのだろうか?例えば、アメリカから書いているYUUKIさんのブログにも、トランプ賛成派の知性に関して肯定的な意見がある。

大統領選2020 その2 言葉に注目するか行動に注目するか(それが問題だ): Me like chocolate! (cocolog-nifty.com)

 この問題の本質について、エマニュエル・トッド氏は日経ビジネスで以下のように言っている。

エマニュエル・トッド氏、エリートが分断を解消せよ:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

教育による社会の分断です。高等教育を受けた人、中等教育までの人、読み書きができるだけのレベルの人というように分かれています。一昔前は読み書きができれば平等という感覚があったんですが、今はそれがなくなりました。

 上層にいる人たちが下層の人たちをさげすむような状況が生まれ、下層の人は上層の人の言うことに懐疑的な感情を抱いている。高等教育を受けた人々が結構多くなり、彼らだけで閉じた世界をつくり上げてしまっている。

これが本質ではないかと思う。つまり、オバマ大統領などの高等教育層に対する不信、これがトランプ支持を動かしたのではないか。

 実はこの問題は、日本でも既に出ている。読売新聞の渡邉恒雄朱筆が書いた『反ポピュリズム論』は、当時の大阪維新の橋下徹知事・市長への悪意があふれている。しかし、彼自身の記録を見ると

「自民・民主の大連立を仕掛けた」

と言う記録が示すように

「大物が国民の目の届かない談合で決める」

密室政治そのものである。

 もっと言えば、彼らの主張は

「教養ある我らに任せろ」

と言う、『プラトンの哲人政治』発想そのものである。

 なお、橋下徹は、

「政治権力の歯止めとしてのジャーナリストの役割」

を重視していたが、このようにジャーナリストの大物が、密室政治に関与するのでは、大衆の支持を失うであろう。

 こういう観点で見ると、少なくとも大阪の地方政治では、維新が成功している。これは、上記の『教育による分断』に対しての一つの答えではないかと思う。

2021年1月23日 (土)

信頼を得るコミュニケーション

 先日書いた、リスクに関するコミュニケーションの成功の第一歩は、

「受け手が送り手を信頼する」

状況である。

 お互いの信頼がなければ、情報も伝わらないし、伝わっても不信感を抱かれるだけである。

 そこで、信頼を得るためにどうすべきか、少し考えてみた。思いついたアイデアは、以下の通りである。

  • 自分が伝えるべきことをきちんと理解している
  • 相手の立場を理解している
  • コミュニケーション時に提示する情報が整理されている
  • コミュニケーション時の情報に矛盾がない
     特に詳細情報を追加していっても矛盾がない

この中で、自分の理解に関する項目は、必要条件である。一方、下の二つはコミュニケーションのテクニックと考えても良い。

 これを使って、信頼を得る方法を考えてみた。一般論と具体例を、整理して説明する。その後で、色々な事例を展開しても、一般原則から外れていないことを示して、自分の言っていることに矛盾がないことを伝える。このような伝達が、信頼を得るために大切ではないかと思う。

 権威に頼って、上から目線で伝えても、現在のような多様化社会では、信じてもらうことは難しい。信頼を得るためにの努力が必要だと思った。

本質の追究は成功でも

 先日書いた『坂の上の雲』に関連した、議論についてもう少し考えて見た。

  小説家が教育に関与することの是非: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 先日書いたが、秋山騎兵隊の勝因は

「馬の機動力と運搬力を活かし、重機関銃や鉄条網・土木の道具等を運び、
野戦築城を行うことでコザック騎兵を止めた」

点にある。もう一歩踏み込めば

「騎兵の本質を知り、必要な物を調達する力のある指揮官を得た」

ことが大きい。

 このように本質をきちんと考えると、次に繋ぐことができるようになる。

 しかし、

「XXの英雄的な行動で勝った」

等の

「神がかりな話」

「個人の頑張り依存」

では、次につなげることができなくなってしまう。

 失敗したときには、本質を追究することが重要である。これは、多くの人が認識している。しかし、

「成功した場合にも真因を追求しておくべき」

を皆が考えるべきである。

2021年1月22日 (金)

現在の日本社会に必要なリスクコミュニケーション

 現在のコロナ対策は首都圏の増加傾向などを見ても、上手くいっているとは言いがたい。この問題の根本に、大衆の納得という問題がある。大阪などは、何とか踏みとどまっているのは、首都圏と比べれば、大阪府の対応が市民に届き、何とか納得を得ているからだと思う。

 さて、今回のコロナ対策のように、大衆を巻き込むためには

  • 大衆の納得を得る
  • 権力的に従わせる

のどちらかの方策が必要になる。両者は全く別の戦法となるが、これを意識していない政治家が多いように思う。

 まず納得を得るための作戦だが、これも大きく分けて二つの方策がある。

  • きちんと説明して納得してもらう
     意識決定などに参加させる
  • 説明者のカリスマ性で信じさせる

現在は、個人信仰的なカリスマ依存を受け入れにくい社会になっているので、説明して納得してもらう作戦が大事だと思う。

 一方強権的な手法にも色々な変化がある。

  • 暴力的手段で従わせる
  • 地位や立場による命令
  • 法的根拠で従わせる
     民主的な手段の意志決定結果

これらは、後で説明できる場合には、民主的という範囲に入るが、説明できず、反省もない場合には、独裁的なモノとなる危険性がある。

 私は、民主主義が本当に成立するためには、大衆にきちんと説明して、納得してもらう方策が良いと思う。そのためには、

リスクをきちんと伝える

必要がある。ここで

部分の専門的深さより、全体を観た漏れない議論

の重要性をしっかり押さえることである。全体像を描き、皆のことを考えているというメッセージを伝えながら、リスクについて伝えていく。このようなプロセスが納得を得るために重要だと思う。

2021年1月21日 (木)

小説家が教育に関与することの是非

 昨日書いた、クリエイターの力の話に関して、もう少し議論したい。

 詩人の教育的な役割について: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

昨日の主張は

クリエイターは全貌を掴む力がある

から上手に使うべきと言う話であった。実はこれに関連して、元東京都知事の某作家が

学者より小説家農法が政治家に向いている

と主張している。

 確かに全体像を描くことや、将来像を想像することは、厳密な議論の学者より、クリエイターの方が向いているように思う。

 しかしながら、若い人の教育を、小説などで行うことの危険性もある。典型的な例は、司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」である。この本は、若者の精神を鼓舞し向上心を引き出すには、良いように見える。

 ただし、この本には

劇的効果を求めすぎ、地道な成果を無視している

側面がある。旅順要塞攻撃に関しても、現在の研究では、乃木将軍の採用した、工兵による地道な正面攻撃は、悪くない戦法と言う評価が多い。

 更に、秋山好古率いる騎兵の活躍だが、この本では

「桶狭間のような奇襲効果」
だけを見て
「馬の運搬力」
を見ない

傾向がある。実際、秋山騎兵隊は、馬の運搬力を使って、鉄条網と杭を運び、即席の陣地構築を行い、更に機関銃も運び込んでいる。これは、

長篠の戦いを、移動先で実現した

といえる、最高の創造性である。実際、ロシアのコサック騎兵は、この戦いの恐れをなし、奉天での戦いは消極的になってしまった。このような面が、派手さがないので見過ごされる。これが小説家が教育に関わる欠点ではないか。

2021年1月20日 (水)

詩人の教育的な役割について

 プラトンの「国家」の最後の巻の第10巻には、

「若い人の教育を詩人にさせてはいけない」

と言う主張がある。プラトンの言いたかったことは

物事の本質である『イデア』の世界に接近するのは、『哲学者』の思考法でしかない。この訓練は、問答法で行う。

一方、物を作る職人は、自分が感じた『イデア』を具体例に実現する。

しかし、詩人は『(職人達が)実現した物』を描こうとする。

と言う、イデアからの距離で、

哲学者 > 職人 > 詩人

と言う評価をしている。

 確かに、

「物事の本質に迫る力を持っている人が若い人を育てる」

と言う発想は、正しいように見える。

 しかしながら

「(詩人などの)クリエイターには物事の本質を掴む力がある

と言う面もある。

 特に

「哲学者の厳密性は深く狭く突っ込む」
しかし
「クリエイターの感性は広く全体を把握する」

と言うもう一つの面がある。

 このような詩人の様に、全貌を見る人の働きを考えることが、特に多様性を重視するときには大事だと思う。

2021年1月19日 (火)

「国師」がいない?

 昨日の菅総理の所信表明には、色々と酷評している人が多い。確かに、コロナに対する対応も不十分だし、この国の将来ビジョンも見えない。しかし、この問題は総理を責めるだけで良いのだろうか?

 まず、コロナの問題に関しては、早急なるワクチンの接種で、集団の免疫力を増加する以外に、根本的な対応策は見えていない。また、コロナによる経済の落ち込みは、もっと対応が難しい。「GOTO~」で景気が良くなる、直接的な効果を期待できそうに無い。

 さて、もう少し見方を変えて

政策を考える智慧はどこにあるのか?

と言う問題を考えてみよう。

 政治に強烈なリーダーシップを求める。この場合、多くは「カリスマ」の出現を求め、彼の智慧に皆が従うという形になる。ただし、個人の能力を超える場合には、彼を支えるスタッフの黒子としての働きもある。

 一方、アメリカなどのようにシンクタンクが独立して存在し、そこから多様な提案が出て、それを政治家が選ぶという形もある。日本の場合には、霞が関の官僚機構が「日本最大のシンクタンク」としての働きをしていた。ただし、霞が関の官僚が一番効果を発揮したのは、戦後の高度成長であり、そこでの方針は

「アメリカに追いつけ」

と言う単調成長路線で、

「将来ビジョンを自分で描く必要なし」

と言う面もあった。

 さて、現在のような、多様化対応の時代には、政府に対して、色々な側面から建設的な意見や、ビジョンを言う人間が必要になる。

「現在こそ『国師』と言える人財」

が必要だと思う。なお、『国師』といっても、

「カリスマ的な権威で教えを押しつける」

人ではなく

「皆が納得するように教えを説く」
そして
「他人の意見の良いところを受け入れて修正する」

柔軟性も必要である。現在の学者や専門家には、このような面が少し弱いように思う。

2021年1月18日 (月)

今回の共通テスト問題を見ての感想

 昨日と今日の朝刊に入っていた、共通テストの問題をちらっと見た。第一感触は、

「文字数が多すぎる!」

である。確かに、『読解力重視』と言うことは解る。しかし、これだけの文字数を、限られた時間で読むことができるのだろうか?もっと言えば

「浅く素早く読むスキル」

を身につけた人間を選ぶための試験ではないか?という感じまでしてしまった。

 確か昔の公務員試験には、このような

「大量の情報を素早く読み処理する力」

を求めていたが、大学でもこれを求めるのだろうか?

 さて、内容面から言うと、

「理解してその上で考える力」

を求めているのは感じた。これは悪くないと思うが、試験時間という

「短い時間での判断」

ができるのだろうか?この疑問が浮かんできた。特に国語の問題は、どうしても

「短い部分を切り出し」

ての議論となる。これで本当の力が解るか、私は疑わしいと思う。逆に言えば、

「国語の独立した試験が必要か?」

と言う議論があってもよいのではないか。これは、国語を軽んじるのではなく、今回の試験では

「読解力が無ければ、社会は当然、数学や理科も解けない」

と言う状況を考えると、国語の試験が必要かという議論もあっても善いと思う。 

2021年1月17日 (日)

「トリアージ」などの危機対応について

 阪神大震災の発生した日と言うことで、色々な儀式が報道されている。この後、JR西の尼崎での脱線事故など、多数の被害者が出たときに、

「トリアージ」トリアージ - Wikipedia

の重要性が広まってきた。

 トリアージは、限られた医療資源を、有効に活用する手段である。なお医療資源は、救急車などの搬送手段も含め広く考える。ここで厳しい問題は、

「黒タグを付けた、手遅れの場合には優先度を下げる」

処置である。これを、コロナ対応ではもう少し広げて、

「人工呼吸器の割り当てなどで生じる命の選択」

と言う行動につながっている。何ヶ月か前に、大阪府の吉村知事が

「トリアージの必要性」

と言ったときに

「命の洗濯を軽々しく言うな」

とかみついた『有識者』がいた。しかし現在の東京や大阪の患者増加に対応して、医療設備の絶対数不足が生じた時、

「設備使用の選択」

は避けることができず、

「優先度の議論」

が必要となる。この議論を避けて通ることはできない。しかしながら、この議論をどこで行うかという、上位の議論も必要になる。つまり

「行政が行うべきか、医療関係者が行うべきか?」

と言う議論である。もう一歩広げると

「医療に関して、行政がどこまで管理し、医療の自治にどこまで任すか?」

と言う議論にもなる。大阪は、コロナ対応の病院割り当てまで、

「府の行政が積極的に関与」

している。吉村知事と、大阪府の衛生部門がこの重い荷を背負っていることが、テレビ出演などでも見て取れる。一方、東京都はそこまで関与せず、区と医療機関に丸投げという感じである。このように、

「行政が自分で重荷を背負っているから発言権がある」

大阪と他の地域では少し違うように思う。ただし、医療関係者だけで閉じた議論は、和田心臓移植問題などでもわかるように、命の問題が絡むとき危険な方向に行く可能性がある。もう少し言えば

「医療に関して、行政がどこまで関与すべきか」

を議論すべきではないかと思う。

 地方行政で、土木や建築などの方ばかり向くのではなく、医療などのあるべき姿をきちんと描く、このような考えも必要ではないかと思う。

2021年1月16日 (土)

SNSと言う『権力』の扱い

 アメリカのトランプ大統領の書き込みを、ツイッター社が、全て拒否したという話について、色々な面から考えさせられた。

ツイッター社 トランプ大統領のアカウント 永久に停止と発表 | トランプ大統領 | NHKニュース

 私個人の感想としては、

「トランプ大統領のやり過ぎがあるから、暴動扇動の書き込み禁止はやむを得ない」

が最初に思いついたことである。しかしもう少し考えると

「このような世論誘導に関わる決定を、一企業が行って善いのだろうか?」
(法治国家なら法的根拠のある規制であるべき)
(民主主義の原則が言論の自由であり一企業の恣意的制限は許されない)

と言う問題がある。逆に

「自由主義経済の減速から言えば、企業の決定権は尊重されるべき」
「トランプは別の会社で発信したら善い」

と言う、市場原理に基づいた対応もある。

 もう一つ言えば、Twitter等のSNS空間の権力である。これは、マスメディアの寡占状況を覆す大きな力となっている。従来のマスメディアが持っていた

「情報発信における責任と権威」

が無くなっている。これは、情報発信の大衆化と偏りにつながり、カルト的な集団を生み出す可能性が高くなっている。一方、イデオロギー的な偏向のあるマスメディアや、既得権益への反抗手段としてのSNSの功績もある。例えば、教育現場のいじめ問題などは、SNS上での追求効果が大きい。

 こうしたSNSの功罪を全て網羅した議論ができていない様に思う。

2021年1月15日 (金)

絶対的な『善』とは?

 プラトンの『国家』を読むと、絶対的な『善』という概念が出てくる。プラトンの発想では、

「神が作った『善』である国家」

を理想としている。この問題に関しては前にも書いた。

全能の神と進化する神: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 さて、今回議論したいことは

「絶対的な『善』はあるのか」

と言う問題である。

 私は、この問いに対して

「絶対的な『善』はあるが、キリスト教等の『神の世界』ではない」
「大乗仏教で言う根本的な仏の力が絶対的な『善』である」

と応える。この違いは、視野の広さによる。大乗仏教の仏の力は、法界全てを広く見てその中での最善を見いだしている。広いという意味は、空間的な広がりだけでなく、過去・現在・未来の時間軸にも広がっている。近頃『持続可能性』などと言っているが、過去~未来の時間軸で考える人なら、今まで行ってきたことである。

 また、キリスト教の宣教師と日本大衆の議論として伝わっている

「ありがたい耶蘇の教えでは、既に死んでいる祖先も救われるのか?」
「その人達の裁きは終わっている。あなた方を救うコトが大事だ!」
「そんな効果の無い教えなら入らない」
(日本の仏教は、子孫の信心で先祖も救われると説く)

議論は、大乗仏教の仏の力が、過去まで遡ることを示している。このような広い観点で、多くの人を救う力が

『絶対の善』

ではないかと思う。

2021年1月14日 (木)

手洗いうがいの原点

 コロナやインフルエンザの流行時には

「手洗いうがいの徹底」

が推奨される。さて、この手洗いはいつ頃方定着したのだろう。

19世紀に最初に手洗いを提唱した医師 上流階級に理解されず精神病に - ライブドアニュース (livedoor.com)

上記HPの情報では19世紀になっている。

 しかし日本の神話を見れば、伊弉諾尊が汚れを祓う行為が、既に手洗いうがいになっている。その後神社の参拝時の作法としての手水等で定着している。もっともこれを言うと、

「ユダヤ教やキリスト教の洗礼がある」

と言う反論があるかも知れない。しかし、私達のように、大衆にまで『手洗いうがい』が普及しているのは、日本の神様との付き合い方によると思う。

 ただし、この問題を日本の風土で考えると、

「水に恵まれた日本だからできた」

と言う発想はある。多くの発展途上国は、

「水を手に入れるために大変な努力」

をしている。また私も阪神大震災の時に、水道が止まり

「手洗いなどは贅沢」

と言う体験もしている。

 このように考えると、比較的水に恵まれた、日本の風土が

「参拝時の手水」

等を可能にしたと思う。これが現在のコロナ対策にも役立っている。

 なお、19世紀のセンメルヴェイス・イグナーツの業績は、細菌学につながっている。このような理論的基礎とその後の展開も考えないと行けない。

2021年1月13日 (水)

全能の神と進化する神

 プラトンの『国家』を読んでいて、感じることは、

「プラトンは神が作った『国家』は完全なモノ」

と信じている。そこでは

「神が行うことが『絶対的な善』である」

と言う信念がある。これが私達都は少し違うように思う。私の感じる神様ヤ仏様は

「進化して現在の状況に合わせる」

力があると思っている。この発想は、大乗仏教の成立とも関連している。大乗仏教は、当時において

「お釈迦様の正当な教えを受け継いだ」

『上部坐仏教』に対抗する形で生まれている。つまり

「伝統的なモノに対する反発」

が根底にある。それに対抗して

「仏の命は永遠であり、現在も霊山で法を説いている」

従って

「現在の状況に合わせた法を説く」

と言う、仏様の進化というか適応力を信じている。

 この発想は、

「昔の社会が理想」

という儒教とも一線を隔する。

 また、状況に対応するから、『絶対の善』という思想とも相性が悪くなると思う。

 日本教と西洋文明の違いがまた一つ見えてきた。

2021年1月12日 (火)

主観的な研究そして主体的な読み

 科学などの世界では、客観的なデータや証拠を求めることが多い。しかし、このような客観的な情報は、現実の一部を切りとり、しかも加工された情報が多い。もう少し言えば、

「その理論に都合の良い情報」

だけを切りとっていることもある。確かに、ニュートンの力学を構築するとき、地球の大きさや形状まで考えると、とても力学を構築することなどできない。しかしそれを全てと思い込むと、トラブルが生じてしまう。

 さて、人文科学や社会科学では、そのような『客観的情報』をそろえるほど、理論が確定していないことがある。もう少し言えば、ニュートンの力学の時には、

「太陽と地球の関係を優先し、その後に月と地球の関係を加える」

と言う優先順序が着いていた。このような優先順序が確立するのは、全体像を見て理論的な見通しができているからである。

 しかし、社会科学や人文科学では、

「現状の理論では、未知の要素で全てが覆る」

状況が起こっている。

 このようなときには、

「自らをその場において感じ取る」

主観的な研究姿勢も大事である。自ら

「何が影響しているか」

を感じ取っていく。そこから優先度を付けて、因果関係を探す。このような研究法もあると思う。

 また、先人の著作を読むときには、客観的な事実を読むのではなく

「自らをその場に置いたとして感じるモノを読む」

主観的な読み方が効果を生むことがある。更に言えば

「その場に自分をおいて、どこまで変えられるかを、主体的に振る舞う」

と言う読み方もあるのではと思う。

2021年1月11日 (月)

手話を母語とする子供の育て方について

 先日、聴覚に障がいのある、お子さんを持たれた、親御さんのツイートで意思伝達の難しさを、改めて感じた。

 https://twitter.com/artartn/status/1348059116808204288?s=20

 この議論の中で

ミルクやオムツ、眠い、遊びたいなどの時にベビーサインか手話を示すようにしてみると、気付きの早い子なら5~8ヶ月くらいからサインを出してくれるようになるらしいよ。

両親とも聾唖の児が、5ヶ月頃からジェスチャーで要求を伝えるようになった話が数年前ありました。皆が皆それが出来るようになるかは不明ですが、表現の手段は多い方が良いとは思いますw。

と言う話があり、これは手話を言語として考える時の大切な問題だと考えた。

 手話に関しては、前にもこのブログで書いた。

 手話を言語として認めるために 多様性への対応の検討: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 しかし、私も考えが浅かったともう。乳児から幼児の、言語能力の発達時期に、最初に使うコミュニケーション手段が、音声であるか、身振りであるか、この違いは大きいと思う。子供の時に身についたコミュニケーション手段は、危機などにおいて基本的な反応につながってくる。聴覚的言語で育った人間なら

危ない!

と言う叫び声は、感情的な恐怖などにもつながって、反射的な反応を引き出す。しかし、上記の様に手話を母語としている人なら、手話が感情を引き出すのではないかと思う。

 これは、特に日本人のように、単一言語を母語としている人間が、多数派の場合に問題となる。ヨーロッパ大陸のように、本質的にマルチリンガルの世界なら、コミュニケーショントラブルや、心に響かない言葉は、想定内である。しかし日本や英国のように、モノリンガルの世界では、同一言語内での共感を重視するが、他言語使用者への優しさが欠ける傾向がある。

 この問題は、多様化に向かっている現在は、もう少し広く考えるべきであると思う。

 なお、手話を母語としていても、学問等においては、日本語の文書に依存することが多くなる。しかしながら、これも世界の状態を見れば、多く発生していることである。実は、日本でも

「日本語だけで学問が完結する」

のは平成以降ではないかと思う。少なくとも私が大学院にいた1970年代でも

「大学院の入試は英語だけ行えば十分」
と言う風に
「研究者は英語で考える」

と言う、勉強専門の英語世界があった。古くは、漢文で考える時代もあった。

 このように考えると、

「生活言語の手話と学問用の日本語書き言葉」

の併存はあると思う。

2021年1月10日 (日)

真剣度が伝わると心に届く

 コロナに対する緊急事態宣言がらみで、心に届く言葉の議論を行った。

心に届く言葉とは: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 しかし、この問題の根本は、

「呼びかける人の真剣度」

が伝わるかではないかと思う。先日も、大阪の吉村知事がテレビに出ていたが、彼の緊急事態について話しているとき

「苦悩の表情」

が見えてくる。一方、首都圏の知事さん達の会見には、

「どこか人ごと」

と感じさせるモノがある。この違いではないかと思う。

 もう少し言えば、大阪府では、患者の病院への割り当てや、その後の対応に関しても、行政側がかなり関与し、苦労している。このような行政側の担当者の苦労が、トップの首超にまで伝わっている。

 この土台があるから、心に響く言葉になると思う。

2021年1月 9日 (土)

空海の姿勢に学ぶ

 プラトンの『国家』を読み、ソクラテスやプラトンが、『概念』という思考道具を、苦労して作り上げている状況を、理解することができた。この流れで、マックス・ヴェーバーの『理念型』までの道のりを理解すると、西洋文明の優位性がどうして確立したかが、見えてくるように思う。

古代ギリシャの哲学についてもう一度考えてみた: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

リーダーの条件(哲人政治を見直す): 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

ルネッサンス以降の科学: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

次はニュートン: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

最後にマックス・ヴェーバー: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 さて、今回はもう一つ別の道を考えて見たい。それは、弘法大師空海が、当時の最新学問を修得し、その上で自分の考察を加えて深めた過程を見ることである。前にも書いたが空海は、当時の仏教の最新成果である密教と、梵字(サンスクリット語)の知識を身に付けていた。 特にサンスクリット語の体系的な構造を知ったことは、

「他でもこのような構造化ができないか?」

と、探し求める『動機』になったと思う。

空海が観たモノは?: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 更に空海の凄さは、それまでのお経を、密教の観点で再解釈していることである。例えば、般若心経を密教的に解釈した『般若心経秘鍵』などがある。

 さて、現在の私たちの状況は、どちらだろう。私たちは、色々な学問情報に包まれている。その中には、物理学や法律など、既に完成された『体系的知識』学ぶことができる。空海が、『梵字』に触れた以上のモノが私たちの周りにあり、しかもきちんと解説してくれる書物などが揃っている。

 このような恵まれた環境を活かして、私たちがより深みのある解釈で、イノベーションを起こしていける.この可能性を拓くべきである。

2021年1月 8日 (金)

トランプ大統領の敗因

 今回のアメリカ大統領選挙において、昨日の議会暴動騒動で、とうとうトランプ大統領が自滅した。前にも書いたが、トランプ大統領は、

「従来の専門的政治家の約束事は無視するが法律は守る」

トランプ大統領候補は遵法的: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

と言う線を崩していなかった。これは、アメリカの大統領選別制度においても、

「法的な不備はあっても『政治の専門家』の良識で上手く運営」

されていた、従来の慣例を破っ手、法廷闘争などで

「負けっぷりの悪さ」

を示していた。これは、ある意味

「政治を素人に取り戻す」

と言う面で、一部大衆の支持を得ることになったと思う。

米国の大統領選挙について思うこと: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

しかし、今回の議会での暴動に絡んだ言動は、一線を越えてしまった。

 これはトランプの自滅だと思う。

民主主義と独裁のそれぞれの欠点

 昨日書いた、コロナ対応に関する議論で、民主主義と独裁政治の違いが見えてきた。今日はこの話をもう少し掘り下げてみたい。

 まず民主主義の欠点の一つは、民衆の不満を、中途半端に活性化することである。これは、アメリカの議会で、昨日起こったことでも解る。トランプ支持者の不満、これは従来の『政治の専門家による独占』に対する不満でもある。このような不満が、爆発すると民主主義は混乱に陥る。これに関連して

「不満を抱えた人の不服従」

も発生する。コロナ対応での、色々な大衆の動きを見れば、

「強権で押さえ込むのもやむを得ない」

と思った人も少なくないだろう。

 一方、独裁政権なら、このような効率の悪さや、不服従への悩みはない。従わない者は拘束すれば済むことである。そこで

「有能なる指導者の独裁」

が望ましい、と言う人は少なくないと思う。

 しかしここにも落とし穴がある。

「いくら有能な人でも失敗はある」

が、その間違いを指摘する人がいないのが独裁の独裁たるゆえんである。従って

「独裁政権は一度狂うとそのままおかしい方向に進む」

と言う形で自滅していくことが多い。

 さて、民主主義に話を戻して、日本教的な民主主義を考えてみたい。これは、日本教の教義にある

「皆話せば解る」

という

「大衆の智慧を信じ『納得』に基づく政治」

である。

 これは、現在の日本の政治でも少しは行われている。例えば、コロナ対策でも『飛沫感染のからくり』などを大衆に知らせ、協力を呼びかけた上での規制は、欧米より効果を生んでいる。

 ただし、このような納得には時間がかかる。また、状況の変化に対して、再度の納得を得る作業は、今までの惰性を破るため、大きな努力が必要となる。このような欠点をきちんと理解した政治が必要になっている。私の考えでは、タイムリーに、全体像を供給する制作スタッフが、民衆へのPR活動を行うことが解決につながると思う。

2021年1月 7日 (木)

#緊急事態宣言 の効果が出ない理由

 コロナの蔓延に対応して、首都圏を対象に緊急事態宣言を出すらしい。私は、今回の緊急事態宣言は効果が無いと思う。理由は前にも書いたが、大衆の心に響かないからである。

心に届く言葉とは: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 この問題を、世界の状況を見ながらもう少し考えてみたい。まず、民主主義国家と独裁国家の違いである。例えば

「中国はコロナの封じ込めに成功した」

と言っている。この発表自体に胡散臭さはあるが、私は可能性はあると思う。何故なら

「コロナを封じ込めるためには、(香港で行ったように)人権を無視して、感染者全てを閉じ込めてしまう」

と言うような、強権的な対応ができるからである。人権を無視して、監視と行動制限を強めれば、感染対策はできるだろう。

 一方、民主主義国家なら、このような強権的な方法は使えない。もう少し言えば

「歩的根拠のある民衆の支持を得た対応しかできない」

ただし、多くの国には

「緊急事態の対応が決まっており、一時的に政府の強権を認める」

場合がある。例えば、戦争や大災害の対応である。

 しかしながら、我が国には憲法上にも『緊急事態条項』がない。従って、本質的に強権発動はできなくなっている。このような状況で、行動制限は難しい。

 さて、ここで前回の『緊急事態宣言』はある程度効果があった。この理由を明確にしておく必要がある。このキーワードは『自粛』である。つまり

「多くの人が自主的に協力した」

成果である。そこで、

「何故前回は自主的に協力したか?」

と言う問題が出る。この答えは

「前回には皆に恐怖心があった」

だと思う。現在ほど、コロナの正体がわからず、治療法も確立していない。この状況で多くの人が恐怖から自粛した。現在は、コロナに関して少し見えすぎている。例えば

「若い者は死なない」

等という情報が広がっている。一方、

「大衆が納得して従う」

と言う形の自粛がある。これが、ある程度成功しているのは、大阪の対応だろう。吉村知事をはじめとする府の行政対応は、専門病棟の設置など見える形で、大衆に示されている。更に言えば、大阪は『都構想騒動』で、住民の参加意識は高い。これらが、大阪と他の地域の違いになっていると思う。

 日本の民主主義は、大衆の納得に支えられていることを、もう一度考え直すべきだと思う。 

2021年1月 6日 (水)

『無限』という概念の力

 プラトンの功績は、イデアという『概念装置』を見いだした点にある。ただし、『概念』を教育で伝えられた人間は、その概念の一人歩きというか、上滑りに注意する必要がある。

 例えば、私たちは数学などを学び『無限大』や『無限小』と言う概念を使っている。高校で微分の初歩を学ぶときに、

「無限に小さい区間での変化を見ていく」

と言う説明で、微分という物がわかった感じになっている。

 一方、数値の扱いを色々と行って冪乗の操作などを習っていると、

「無限に大きい」

と言うことが何となく解った気になっている。実際は数学の厳密な体系によって、『無限大』等の定義を行わないと行けないのだが、直観的な感覚で

「とても大きいモノ」

ぐらいで逃げている。このような『無限大』の概念は、数学で言うなら『可算無限』の領域をでていないことが多い。私も、『可算無限』と『実無限』の違いがやっとわかったのは50過ぎて、数学の基礎を見直したときであった。

 さて、このような『概念装置』を持たないときには、どのようなことになるだろう。事例が、仏教の経典にある。大乗仏教の経典には、

「久遠の寿命の仏」

と言う表現があリ、久遠の昔と言うことを

「天人の羽衣が岩の表面をかする。これを繰り返して、岩がなくなるまでの時間」
「多くの世界をすりつぶして持ち、それを一粒づつ落としながら過ぎゆく時間」

等の

「具体的な動作」

で久遠の昔を表現している。

 このような具体性から自由になるのが、抽象的な概念の効果であるが、上滑りする危険性がある。

2021年1月 5日 (火)

プラトンの『国家』を時代背景を見ながら理解する

 先日から書いている、古代ギリシャの哲学の意味を、当時の時代背景を思いやりながら、もう一度考えて見た。

 まず、『国家』について、当時の状況を考えて見よう。ソクラテスやプラトンが考えていた『国家』は、

「アテネと言う都市国家」

であって、私たちがイメージする『近代国家』とは大きく違っている。そこでは、

「都市国家を支えるよき市民」

をどのように育成するかが重要な課題になる。

 当然現在のような法制度も、教育制度もない。そのような状況で、若い人育成方法として

「先人の英雄の活躍を叙事詩として伝える」

と言う方式である。先人の経験を伝承することで

「よい行動を伝える」

ことが教育方法であった。しかし、ソクラテスやプラトンはこれから一歩踏み出した。それは

「物事の本質を見抜く」

ことで、『国家』に必要な人材の

「あるべき姿を描く」

可能性を見いだそうとした。ここで、彼らの頭に浮かんだのは

「ユークリッド幾何学の普遍的な性質」

であった。このようにして、『イデア』の発想が出てきた。

 ここまで『国家』を読むと、プラトンの『哲人政治』の本質は

「物事の本質を見抜いて、あるべき姿を見いだす力を持つ『哲学者』に政治をさせる」

こととわかる。これは、政治家の資質としては必要な力だと思う。決して

「哲学の学位を持った人間」
特に
「カントがXXと言った」

「〈空気によって)戦争協力のため日本人の優位性を論じる」

哲学科の『大先生』に政治をさせることではない。

2021年1月 4日 (月)

西洋文明の根底にあるギリシャの哲学

 今年の書き初めとして書いた記事の続編として、ソクラテスやプラトンが西洋文明に残した功績を考えてみた。

ソクラテスやプラトンが見た世界: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 この機序の終わりに

ソクラテスやプラトンは

「(幾何学にような)真理を求める力が哲学者にある」

と言う発想で、哲学者による支配や教育を進めようとした。

 なお、幾何学的な世界観には、論理の単純化が必要である。これは別途考えてみたい。

と書いた。この論理の話について、もう少し説明したい。まず、小学校や中学で、図形の扱いを学ぶとき、自分で三角定規とコンパスを使って作図した経験があるだろう。その時、同じ図形というモノが描けただろうか?もう少し言えば、斜辺が5センチ、その上に4センチと3センチの辺を描く、この三角形が直角三角形になるのは、ピタゴラスの定理が示すところである。しかし作図したとき、綺麗な直角が得られただろうか?

 私は

「鉛筆の芯の太さなどによる誤差で同じ図形など描けない!」

と言う記憶がある。

 このように、自分の手で描く図形では

「同じと言うことが確かめられない」

状態だが、

「本質的に同じである」

ので

「本質の世界で考えれば同じにできる」

と言うのが、幾何学の誕生であり、これを一般化したのが

「イデア」

の発想である。

 なお、このような『理想化』した世界では

「中間的なモノがないので、成立/不成立の2値論理が使える」

状況になる。このような割り切りが、西洋文明の科学科に役立ったと思う。

 なお関連記事は以下の通り。

抽象化を使えるということ: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

抽象的な一般論と具体的な展開の関係: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

学問の形態について「テトラレンマ」の発想から: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

東洋の論理について: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 

2021年1月 3日 (日)

心に届く言葉とは

 東京などで、コロナ感染者が一日千人を超えるなど、危機的な状況が続いている。これに対して、首都圏の知事達が、政府に

「緊急事態宣言の発令」

を要求している。しかしながら,今回は前回と異なり

緊急事態宣言を出しても効果は薄い!

と思う。理由は

  1. 緊急事態宣言に伴う強制処置がない
  2. 政府や都知事などの言葉は民衆の心に届かない

からである。

 何故、心に届かないか?それは、

  • 自分で責任を取らない人の言葉
  • 言行不一致の人の言葉

のためである。知事達の,政府への要請活動は、

「自分達の責任逃れ」

と言う魂胆が見えている。一方、政府も首相の会食問題などで

「法的には違反してない」

と言う,自主的活動を否定する失言をしてしまった。このような言行不一致で、責任逃れの人たちが

「上から目線で発言」

しても届くわけがない。

 その点、大阪の吉村知事の発言は、大阪府の衛生行政スタッフと連携して苦労を知った発言だけに,心に届いている。従って大阪の患者数は、増加を抑えることはできている。この違いを為政者はかみしめてほしい。

2021年1月 2日 (土)

ソクラテスやプラトンが見た世界

 私たちは、先人の成果の上に立って、色々なモノを見ている。しかし、昔の人たちは、そのような成果を自分達で作り上げ、切り開いてきた。今回は古代ギリシャの哲学者のたった地点で少し考えてみたい。特に、プラトンの『国家』を書いた時点に戻って考えてみた。

 国家の中では

  1. 哲学者の政治(いわゆる哲人政治)
  2. 詩人から哲学者に若人の教育主体を移す

と言う主張がされている。このような主張が何故行われたか、その時代背景を見ながら考えてみよう。まず私たちがするべきは、

「法による秩序の維持」

と言う私たちの『常識』は、当時は確立されていなかった。もう少し言えば、

「アテネの市民としての『道徳』を道のように維持するか」

と言う問題にも、確たる答えがなかった。そこで従来行われていたのが、

「古代の英雄の働きを伝える叙事詩」

を、若い者に伝えて、

「英雄の行動をまねさせることでの道徳教育」

を行っていた。しかし、古代ギリシャの哲学者達は、ユークリッドの幾何学について学んでいた。そこでは

「普遍的な真理の世界」

が展開している。これを知ったソクラテスやプラトンは

「(幾何学にような)真理を求める力が哲学者にある」

と言う発想で、哲学者による支配や教育を進めようとした。

 なお、幾何学的な世界観には、論理の単純化が必要である。これは別途考えてみたい。

2021年1月 1日 (金)

2021年を迎えて

 令和三年、西暦2021年になった。昨年のコロナ危機はまだ終わっていない。しかし、ワクチン等の効果が今年は見えてくると思う。従って、六月頃には事態は収束すると思う。

 さて、私の今年の予定であるが、70歳を迎えて色々と整理をすべきだと思う。学会に関してもある程度整理するつもりで、一部資格に関しても更新を止めようかと思っている。残された時間を集中的に使いたい。

 今年の注力点は、

「日本教と西洋文明の比較」

であり、特に

「プラトン以降の哲学支配」

からの解放をしっかりまとめていきたいと思う。

 読者の皆様には、今年もよろしくお願いします。

« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »