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2021年1月20日 (水)

詩人の教育的な役割について

 プラトンの「国家」の最後の巻の第10巻には、

「若い人の教育を詩人にさせてはいけない」

と言う主張がある。プラトンの言いたかったことは

物事の本質である『イデア』の世界に接近するのは、『哲学者』の思考法でしかない。この訓練は、問答法で行う。

一方、物を作る職人は、自分が感じた『イデア』を具体例に実現する。

しかし、詩人は『(職人達が)実現した物』を描こうとする。

と言う、イデアからの距離で、

哲学者 > 職人 > 詩人

と言う評価をしている。

 確かに、

「物事の本質に迫る力を持っている人が若い人を育てる」

と言う発想は、正しいように見える。

 しかしながら

「(詩人などの)クリエイターには物事の本質を掴む力がある

と言う面もある。

 特に

「哲学者の厳密性は深く狭く突っ込む」
しかし
「クリエイターの感性は広く全体を把握する」

と言うもう一つの面がある。

 このような詩人の様に、全貌を見る人の働きを考えることが、特に多様性を重視するときには大事だと思う。

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