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2021年1月21日 (木)

小説家が教育に関与することの是非

 昨日書いた、クリエイターの力の話に関して、もう少し議論したい。

 詩人の教育的な役割について: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

昨日の主張は

クリエイターは全貌を掴む力がある

から上手に使うべきと言う話であった。実はこれに関連して、元東京都知事の某作家が

学者より小説家農法が政治家に向いている

と主張している。

 確かに全体像を描くことや、将来像を想像することは、厳密な議論の学者より、クリエイターの方が向いているように思う。

 しかしながら、若い人の教育を、小説などで行うことの危険性もある。典型的な例は、司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」である。この本は、若者の精神を鼓舞し向上心を引き出すには、良いように見える。

 ただし、この本には

劇的効果を求めすぎ、地道な成果を無視している

側面がある。旅順要塞攻撃に関しても、現在の研究では、乃木将軍の採用した、工兵による地道な正面攻撃は、悪くない戦法と言う評価が多い。

 更に、秋山好古率いる騎兵の活躍だが、この本では

「桶狭間のような奇襲効果」
だけを見て
「馬の運搬力」
を見ない

傾向がある。実際、秋山騎兵隊は、馬の運搬力を使って、鉄条網と杭を運び、即席の陣地構築を行い、更に機関銃も運び込んでいる。これは、

長篠の戦いを、移動先で実現した

といえる、最高の創造性である。実際、ロシアのコサック騎兵は、この戦いの恐れをなし、奉天での戦いは消極的になってしまった。このような面が、派手さがないので見過ごされる。これが小説家が教育に関わる欠点ではないか。

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