全能の神と進化する神
プラトンの『国家』を読んでいて、感じることは、
「プラトンは神が作った『国家』は完全なモノ」
と信じている。そこでは
「神が行うことが『絶対的な善』である」
と言う信念がある。これが私達都は少し違うように思う。私の感じる神様ヤ仏様は
「進化して現在の状況に合わせる」
力があると思っている。この発想は、大乗仏教の成立とも関連している。大乗仏教は、当時において
「お釈迦様の正当な教えを受け継いだ」
『上部坐仏教』に対抗する形で生まれている。つまり
「伝統的なモノに対する反発」
が根底にある。それに対抗して
「仏の命は永遠であり、現在も霊山で法を説いている」
従って
「現在の状況に合わせた法を説く」
と言う、仏様の進化というか適応力を信じている。
この発想は、
「昔の社会が理想」
という儒教とも一線を隔する。
また、状況に対応するから、『絶対の善』という思想とも相性が悪くなると思う。
日本教と西洋文明の違いがまた一つ見えてきた。
« 主観的な研究そして主体的な読み | トップページ | 手洗いうがいの原点 »
コメント