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2021年1月12日 (火)

主観的な研究そして主体的な読み

 科学などの世界では、客観的なデータや証拠を求めることが多い。しかし、このような客観的な情報は、現実の一部を切りとり、しかも加工された情報が多い。もう少し言えば、

「その理論に都合の良い情報」

だけを切りとっていることもある。確かに、ニュートンの力学を構築するとき、地球の大きさや形状まで考えると、とても力学を構築することなどできない。しかしそれを全てと思い込むと、トラブルが生じてしまう。

 さて、人文科学や社会科学では、そのような『客観的情報』をそろえるほど、理論が確定していないことがある。もう少し言えば、ニュートンの力学の時には、

「太陽と地球の関係を優先し、その後に月と地球の関係を加える」

と言う優先順序が着いていた。このような優先順序が確立するのは、全体像を見て理論的な見通しができているからである。

 しかし、社会科学や人文科学では、

「現状の理論では、未知の要素で全てが覆る」

状況が起こっている。

 このようなときには、

「自らをその場において感じ取る」

主観的な研究姿勢も大事である。自ら

「何が影響しているか」

を感じ取っていく。そこから優先度を付けて、因果関係を探す。このような研究法もあると思う。

 また、先人の著作を読むときには、客観的な事実を読むのではなく

「自らをその場に置いたとして感じるモノを読む」

主観的な読み方が効果を生むことがある。更に言えば

「その場に自分をおいて、どこまで変えられるかを、主体的に振る舞う」

と言う読み方もあるのではと思う。

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