プラトンの『国家』を時代背景を見ながら理解する
先日から書いている、古代ギリシャの哲学の意味を、当時の時代背景を思いやりながら、もう一度考えて見た。
まず、『国家』について、当時の状況を考えて見よう。ソクラテスやプラトンが考えていた『国家』は、
「アテネと言う都市国家」
であって、私たちがイメージする『近代国家』とは大きく違っている。そこでは、
「都市国家を支えるよき市民」
をどのように育成するかが重要な課題になる。
当然現在のような法制度も、教育制度もない。そのような状況で、若い人育成方法として
「先人の英雄の活躍を叙事詩として伝える」
と言う方式である。先人の経験を伝承することで
「よい行動を伝える」
ことが教育方法であった。しかし、ソクラテスやプラトンはこれから一歩踏み出した。それは
「物事の本質を見抜く」
ことで、『国家』に必要な人材の
「あるべき姿を描く」
可能性を見いだそうとした。ここで、彼らの頭に浮かんだのは
「ユークリッド幾何学の普遍的な性質」
であった。このようにして、『イデア』の発想が出てきた。
ここまで『国家』を読むと、プラトンの『哲人政治』の本質は
「物事の本質を見抜いて、あるべき姿を見いだす力を持つ『哲学者』に政治をさせる」
こととわかる。これは、政治家の資質としては必要な力だと思う。決して
「哲学の学位を持った人間」
特に
「カントがXXと言った」
や
「〈空気によって)戦争協力のため日本人の優位性を論じる」
哲学科の『大先生』に政治をさせることではない。
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