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2021年1月11日 (月)

手話を母語とする子供の育て方について

 先日、聴覚に障がいのある、お子さんを持たれた、親御さんのツイートで意思伝達の難しさを、改めて感じた。

 https://twitter.com/artartn/status/1348059116808204288?s=20

 この議論の中で

ミルクやオムツ、眠い、遊びたいなどの時にベビーサインか手話を示すようにしてみると、気付きの早い子なら5~8ヶ月くらいからサインを出してくれるようになるらしいよ。

両親とも聾唖の児が、5ヶ月頃からジェスチャーで要求を伝えるようになった話が数年前ありました。皆が皆それが出来るようになるかは不明ですが、表現の手段は多い方が良いとは思いますw。

と言う話があり、これは手話を言語として考える時の大切な問題だと考えた。

 手話に関しては、前にもこのブログで書いた。

 手話を言語として認めるために 多様性への対応の検討: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 しかし、私も考えが浅かったともう。乳児から幼児の、言語能力の発達時期に、最初に使うコミュニケーション手段が、音声であるか、身振りであるか、この違いは大きいと思う。子供の時に身についたコミュニケーション手段は、危機などにおいて基本的な反応につながってくる。聴覚的言語で育った人間なら

危ない!

と言う叫び声は、感情的な恐怖などにもつながって、反射的な反応を引き出す。しかし、上記の様に手話を母語としている人なら、手話が感情を引き出すのではないかと思う。

 これは、特に日本人のように、単一言語を母語としている人間が、多数派の場合に問題となる。ヨーロッパ大陸のように、本質的にマルチリンガルの世界なら、コミュニケーショントラブルや、心に響かない言葉は、想定内である。しかし日本や英国のように、モノリンガルの世界では、同一言語内での共感を重視するが、他言語使用者への優しさが欠ける傾向がある。

 この問題は、多様化に向かっている現在は、もう少し広く考えるべきであると思う。

 なお、手話を母語としていても、学問等においては、日本語の文書に依存することが多くなる。しかしながら、これも世界の状態を見れば、多く発生していることである。実は、日本でも

「日本語だけで学問が完結する」

のは平成以降ではないかと思う。少なくとも私が大学院にいた1970年代でも

「大学院の入試は英語だけ行えば十分」
と言う風に
「研究者は英語で考える」

と言う、勉強専門の英語世界があった。古くは、漢文で考える時代もあった。

 このように考えると、

「生活言語の手話と学問用の日本語書き言葉」

の併存はあると思う。

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