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2021年1月15日 (金)

絶対的な『善』とは?

 プラトンの『国家』を読むと、絶対的な『善』という概念が出てくる。プラトンの発想では、

「神が作った『善』である国家」

を理想としている。この問題に関しては前にも書いた。

全能の神と進化する神: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 さて、今回議論したいことは

「絶対的な『善』はあるのか」

と言う問題である。

 私は、この問いに対して

「絶対的な『善』はあるが、キリスト教等の『神の世界』ではない」
「大乗仏教で言う根本的な仏の力が絶対的な『善』である」

と応える。この違いは、視野の広さによる。大乗仏教の仏の力は、法界全てを広く見てその中での最善を見いだしている。広いという意味は、空間的な広がりだけでなく、過去・現在・未来の時間軸にも広がっている。近頃『持続可能性』などと言っているが、過去~未来の時間軸で考える人なら、今まで行ってきたことである。

 また、キリスト教の宣教師と日本大衆の議論として伝わっている

「ありがたい耶蘇の教えでは、既に死んでいる祖先も救われるのか?」
「その人達の裁きは終わっている。あなた方を救うコトが大事だ!」
「そんな効果の無い教えなら入らない」
(日本の仏教は、子孫の信心で先祖も救われると説く)

議論は、大乗仏教の仏の力が、過去まで遡ることを示している。このような広い観点で、多くの人を救う力が

『絶対の善』

ではないかと思う。

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