ご縁のあった人たち

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2021年3月31日 (水)

共産党の劣化問題

 先日の大阪府・市の「広域行政の一元化条例」を巡って、共産党の地域支部の幹部が、公明党の支持者を名乗って、反対の文書を公明党の議員達にFaxすると言う事件があった。

「40年来の公明支持者」装った共産党地区幹部、盲点はファクスの「発信元」 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

これは、ご丁寧に

ファクスには発信元が「共産党阪南地区委員会」と記載

してあったので

なりすまし失敗

と言う不細工な結果となった。

 SNSの世界で、色々ななりすましが行われ、事件化している事例もあるが、Faxの送信元情報が印刷されると言うことを知らずに、このような文書を送った犯人のお粗末さは言い様がない。

 さて、この件で私が思うことは、

共産党の管理体制の劣化

である。従来の共産党は、能力主義を徹底していた。確かに、共産党支持者の中には、軽率な行動をする人間もいないとは言えない。しかし、そのような人間を外に見えないように、押される管理は見事なモノであった。その様な「鉄の管理」が崩れたのだろうか?

 一方、今回の行動は、あまりにもお粗末すぎるので、もう一つの可能性がある。それは、

今回の犯人が共産党に入り込んだ反逆者

という可能性である。スパイの自爆テロと考えれば、見事に成功している。少なくとも、大阪市議会でこの条例は可決した。共産党も、反対意見を述べただろうが、このようなことの後だけに、歯切れは悪かっただろう。

 しかし、この様なスパイの存在は、共産党の体質としては、十分警戒していたはずである。

 その警戒も、薄いと言うならこれも劣化であろう。昭和の時代の緊張感は、令和になってくると緩んだのだろうか?

2021年3月30日 (火)

検討範囲の絞り込みについて

 類推の話から始まって、検討範囲の絞り込みの効果について、ここしばらく書いている。今回は、もう少し具体的な事例として、将棋の読身について、議論していきたい。

 私達のように昭和の時代を生きた人間には、将棋の名人として思い浮かぶのは、大山康晴十五世名人である。

 大山康晴 - Wikipedia

彼の能力は、

不要な手を読まない

と言う絞り込みの力が大きかった。若手棋士達が、ある局面を検討していると、通りすがりにちらっと見て

「それ上に逃げられるから詰まないよ」

と言い捨てたが、若手達が詳細に検討したらその通りだった、と言う逸話が示すように

直観的に不要なモノを見抜く

力が大きかった。

 さて、令和の将棋界の巨人は、藤井聡太二冠だろう。彼の能力は、

詳細な読みを素早く深く行う

力にあると思う。他の棋士が読むより深く読み、相手が読まない先にある有利な着地を目指す。これは、AIソフトに対しても成立し、AIの設定を、より深く読むように変更したら、「藤井着手が最善」となった事例が、これを示している。

 このように、絞り込みと深読み、この両面が上手く組み合わさると、名人になるのだろう。

2021年3月29日 (月)

絞り込みと深読みの両面が必要

 昨日書いた,「類推の活用」について、もう少し話を整理しておく。

 まず、色々な物事を考える時には、二つの力が必要である。

  1. 広く全体を観て必要なモノを絞り込む
    大切なモノを選び他を排除する
  2. 絞り込んだモノの関連を深く検討する

つまり、広さと深さが必要である。その時、1.の大切なモノの候補を選ぶ時に、「類推」の力が有効である。ただし、その状況において、

他の場面で成立したことが同じように起こるか
柳の下に二匹目のドジョウはいるか?

を深く考え抜く作業が必要になる。

 さて、こうした二段階の取り組みが必要と言うことが、どれほどの人が納得しているだろう。与えられた範囲で、命じられた検討を行っている人には、1.の絞り込みの苦労は解らない。もう少し言えば、

ゼロから新しいことを検討する

を体験した人は、最初にどこから手を付けるべきか、迷い苦しむ経験をしている。このようなときに、類推のヒントは非常にありがたいモノである。例えそれが違っていても、そこで絞り込んだ考えをもう一度見直す作業は、

どこから手を付けて良いか解らない

状況より遙かに楽になっている。

 イノベーションのために、このような体験と対処法を知っていくことは大事だと思う。

2021年3月28日 (日)

類推の力を活用するために

 きちんと論理的に考える必要性は、色々なところで指摘されている。しかし、私達が論理的と言うときには

ある前提からきちんと結論を導く

という狭い作業を考えるコトが少なくない。特に学者などの、きちんとした学問的思考の訓練を受けた人に、このような傾向がある。一方、一般的な説明において、

譬え話の活用

論理的である!

と受け取る人も少なくない。しかしながら、

比喩には誤りの可能性

と言う危険性がある。

 この危険性をきちんと理解した上で、色々な物事に、同じ側面を見いだす、

類推的思考法

を活用することは、時間の有効活用になる。

 特に、今までに経験が無い、新しい物事に向き合う時には、全く違う分野でも

類推でモデル化する

方法で、考えるべき対象を絞り込むことができる。社会の現象を考える時に、多様な要素が絡んでいる。しかし、ある事柄と類推を働かせると、

関係する事物が絞られ
その間の因果関係やフィードバック関係
を見いだすことができる

切り口になる。確かに、類推の失敗もあるが、ある程度の見通しができてモデル化が始まると、その修正は比較的楽にできる。

 ここで大切なことは

類推的思考法は切り口を示す
その後
理論的にしっかり肉付けし
モデルを修正改良する

と言う心構えが必要である。

 自分で考え抜く、そのための切り口として、類推を使う。これは良いが、

何か前例任せ

と言う安易な発想で、類推を使うことは失敗の元である。

2021年3月27日 (土)

AIが説く仏の教えとは

 今朝のニュースで「AIが仏の教えを説く」という話を見た。

釈迦ならどう答える? 仏教対話AI「ブッダボット」、京大など開発|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞 (kyoto-np.co.jp)

 これは面白い試みで、色々と仏教の状況と、AIの限界が見える。

 まず、押さえておくべき仏教に関する基礎知識として、今回使用した経典は、いわゆる『小乗仏教』の経典である。日本では法華経などの大乗仏教の経典が普及しているが、『小乗』と『大乗』の違いを、理解しておく必要がある。『小乗』は、「小さな乗り物」という意味である。具体的に言うと

「個別指導で個人が修行して悟っていく」

声聞・縁覚という人たちの教えである。一方、日本で普及している『大乗』の教えは、『大きな乗り物』と言うことで、

「自分だけで無く皆が救われる」

菩薩や仏の教えである。例えば、禅宗では、僧侶が悟りを開く。これは、個人の修行である。しかし、悟った人が、皆を救済する。これが大乗の菩薩行である。もう少し踏み込むと、法華経・華厳経そして大日経などの教えは、

「私達がこの世界を造った仏の智慧を自分のものとできる」

と説いている。つまり、

「皆が救われる世界を創造する」

力を仏と一体になって使うという発想である。

 このような考えると、現在のAIには

「大乗の教えは難しい」

となる。

 本気で、AIで実現する気なら、「AI空海」、「AI最澄」、「AI日蓮」、「AI親鸞」などを実現させる試みがあってもよいだろう。確かに、日本の高僧達の著作は多く残っているので、それを読み込ませてAIでと言う発想があるかも知れない。しかし、彼らの著作は、原始仏教経典のような具体的な事例で無く、象徴的な深みを持って、しかも最後は自分の工夫で体験しながら悟っていく必要がある。

 このように考えると、現在のAIでは

大乗仏教の教えを扱うには非力である

と言う結論が出る。

2021年3月26日 (金)

学問の範囲が狭くなっていく話

 昨日書いた、氷山モデルの話に関連して、

学問の対象が狭くなる
具体的には
数学などの客観的評価しやすい範囲に集中

と言う問題を考えてみた。これは

学校の成績が実社会での仕事につながらない

一つの理由でもある。

 例えば、「信頼性工学」という教科書がある。ここで教えるべき事は、

モノを作ったときどこまで信頼すべきか

を明らかにすることである。もう少し具体的に言うと

設計者の考える条件になったら壊れる
それ以外では壊れない

ようにしっかり考えて物作りをするための学問である。しかし現実の信頼施工学の教科書は、統計学の教科書が半分と言っても良いぐらい、数式の扱いが多くなっている。目的とする信頼性の考えから言えば、数式の意味を理解することが重要だが、実際は

講義は数式処理に明け暮れる
試験も数値的な方が採点しやすい

と言う状況になることが多い。これと関連して、材料力学の教科書も

鉄が破断する状況
よりも
力のかかり具合の計算

に時間をかけて教えることが多い。確かにこのような、構造体の力学的計算は重要である。しかし、その前に、鉄という堅いと信じている物体が、力がかかっていけば、変形し、さらにはちぎれてしまう。このような状況をしっかり理解していくことも大事である。

 しかし、現在の学問は、数式処理などの、「氷山の一角」に集中しているように思う。

2021年3月25日 (木)

氷山の一角の知識

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 自分達の知識が、氷山の一角に過ぎない

これは、よく聞く言葉であるが、これを忘れている人も少なくない。そのような人は、氷山の水面上の知識で、全てが解った気持ちになっている。また、人材育成と言っても、

知識付与だけ

と言う事例も少なくない。つまり、氷山の水面上にだけ働きかけている。

 さて、このような氷山の水面下の部分を、どのようにして解るべきだろう。一つは、西洋文明が歩んできた道である。これは、ユークリッドの幾何学のように、理想的なモノを見いだす努力から始まっている。古代ギリシャの哲学者、特にプラトンは「イデア」という形式で「概念」を抽出し議論ができるようにした。これは氷山の水面上だけの議論である。更にルネサンスの科学者は、この議論を数値化するように持って行き、ガリレオの実験的手法、デカルトの座標、そしてニュートンの数学的な力学大系と見事な知識体系を作り上げている。

 このような自然科学の分野だけで無く、社会科学ではマックス・ヴェーバーの理念型などが「水面上の理想化社会」での議論を展開し、色々な成果を生んでいる。

 こうした西洋文明の成功例だけに、私達は気を取られているように思う。古くから、我が国にはこれと別の対応法がある。それは、弘法大師空海が実践してきた方法である。空海は、大乗仏教の教えどおり

私達全てを知る力

を持っていると教えた。つまり

仏の力は氷山全体やそれを取り巻く環境全体を観る

と言う「即身成仏」の教えである。

 また、具体的な認識法として

梵語の類推で仏の世界を知る

と言う道を開いている。梵語の言葉の組浅瀬ルールなどの体系を、仏の教えと対応づけることで、複雑な法界を一気に把握することができる。このような高度の類推手法は、西洋文明の哲学者から見ると、「いい加減な議論法」と評価されるだろう。

 しかしながら、全体を把握するためには、強引な類推が、突破口を開くことがある。このような実践の智慧が、我が国には昔からあった。

2021年3月24日 (水)

いわゆる『正規』雇用について

 このブログの人気記事は、『正社員登用』関連である。

 しかしながら、この『正社員』という表現に、少し疑問を感じる時がある。私が、問題と思うのは

正社員という立場だけで、それ以外の雇用形態の人を見下す

困った人たちの存在である。更に踏み込めば、

正社員に対して適切な義務を負わせていない
「正社員にする」という言葉だけで動機付け

と言う、お粗末な管理の問題がある。

 私は、

長期継続雇用を前提とした正社員に
しっかりとした育成により技術/技能を蓄積する
これに答えて正社員は
『難しい問題を解決する』
『高い責任感を持ち対応』

と言う、良いサイクルが回る、正社員制度を運営すべきと考えている。

 しかしながら、現状はそのような形で運営できていない事例が多い。トラブル対応など、いやな仕事を、非正規雇用者に丸投げする。時間外対応を、残業代の少ない非正規雇用者にさせる、等の事例も少なくない。

 もう一つ大事なことは、

生き方の選択として終身雇用を嫌う

人たちの尊厳である。『正規雇用』という表現には、

終身雇用は正しい勤務

と言う価値観が反映している。『正しい』という裏には『正しくない』という見方がある。しかし、

一つの会社に縛られない

と言う自立した人の選択は尊重すべきである。自分一人でやっていく自信、特に自力で成長するという,自己責任を全うする人は,会社に助けられている『正社員』よりも力があリ、尊敬されるべきである。こうした実力ある人を、適宜必要に応じて使う。その時には、しっかり対価を払う。このような管理はある。

 このように考えてくると、管理職の役割が特に重要であると解ってきた。

組織のあるべき姿を描き
できるだけ存続するようにし
必要な人材を育て安定して雇用する
労働の成果はきちんと評価し『同一労働同一賃金』を守る

これらを実行してほしい。

2021年3月23日 (火)

主観的な評価法について

 昨日は、

主観的な評価方法

について知ることが、大切であると言うことまで書いた。この議論をもう少し続けたい。まず、私達は

客観的な情報を重視

する傾向がある。確かに、客観的な情報、特に数値化することができる情報は、現在科学の力で色々な処理ができる。その世界の中での予想は、かなりの精度で当たる。現在の科学文明は、このような客観的な情報の力によるところが大きい。しかし、忘れてはいけないことは

客観的情報は氷山の一角に過ぎない

と言う注意事項である。西洋文明の歴史を見れば、古代ギリシャの哲学者達が、概念を上手く切り出す方法を見いだした。プラトンのイデアはその代表である。そうしてルネサンス期には、ガリレオ、デカルト、ニュートンなどが連続的な数値による、物理現象の表現を実現し、その上での精緻な理論展開を可能にした。このような形で得た、

客観的なデータの処理で多くのことが解る

ようになった。例えば、気象の予報なども現在の技術では、かなり正確に当たるようになっている。

 しかしながら、人間の営みを見たときには、

客観的に表現できないモノがある

事を忘れてはならない。例えば、会社の業績を評価する場合でも、

利益という数字だけ

しか見ない投資家も少なくないが、実際には

将来への投資・社会との関係・従業員の満足

等の多様な評価が必要である。

 また、個人を見るときにも、

学校の成績・入社試験の適性検査数値

がいくら優秀でも、仕事ができない人間はいる。このような人間を見分けるために

行動に注目した評価
コンピテンシー評価

等が採用されている。このような面接について、昔作った資料があるので参考にしてほしい。

コンピテンシー採用面接法

 こうした行動を見ることが、一つの切り口だと思う。

2021年3月22日 (月)

自己評価力を育てる

 近頃議論している『尊敬』の話に必要な力は

良さが解る

である。これは、他人に限らず、自分自身についても

何が良くてどこが不十分

ときちんと評価できれば、

自立的な成長

が期待できる。

 さて、このような能力はどのようにしたら育つのだろう。そのために、評価の二つの面を意識する必要がある。

  1. 客観的な評価
  2. 主観的な評価

1.の『客観的な評価」は意識しても、2.の『主観的な評価』を意識しない人が多い。しかしながら

主観的評価で納得

した場合には行動の変化に自然とつながっていく。一方、学校の成績のような客観的評価は、『励み』になっても、直接行動変化に至らない場合もある。自分自身の考えで、

なぜ良いか
どこが良いのか

を自信を持って言えるようにする。このために

(主観的な)評価がどのように行われるか

というメカニズムを明確にすることが、

自己評価力を育てる第一歩

だと思う。

2021年3月21日 (日)

尊敬についてもう少し考える

 昨日の続きで、尊敬についてもう少し考えてみた。

 まず、尊敬の気持ちの発生について

  1. 自発的に発生
  2. 権威などでの強制
    緩やかな慣習の圧力

の二つがある。ただし、両者は

自発的<-->外圧強制

の連続的な広がりの中で、一つの場所を占めている。例えば、学校の先生に対して

  1. 人格や見識に対して尊敬
  2. 先生は尊敬しろと親に言われる

と言う風な、二つの要素が混じり「尊敬」している。なお、戦前の教育には

教育勅語による権力的な尊敬の強制

があった。現在でも、一部左翼系の教師ですら

「教育勅語自体は反対だが、そのような権威の裏付けは必要」

と言う場合もある。

 しかし、私の経験上

自発的な尊敬は、成長目標を示し、向上に役立つ

効果がある。

 そこで自発的な尊敬が生じる条件を考えてみた。尊敬の前に

良さが解る!
違いがわかる!

必要がある。

 ここで、もう一つの問題は、

人の力には深さと幅

の両面から考える必要がある。ここで深さというのは、一つの分野を極めていくという感じであり、例えば、数学や物理学を深く学んでいくという感じである。一方、幅は、広い見識での配慮である。例えば、行政において、目前の問題に対処する場合にも、今までの経緯を考え、実行した後の影響を、副作用も含めて検討する。このような面も大切である。

 深さによる尊敬は

よく知っている!

と言う感動から導かれ、幅に関する尊敬は

そこまで考えていなかった!

と言う感動に導かれる。

 このような感動が引き出す尊敬が、本物の尊敬につながっていく。

2021年3月20日 (土)

尊敬か?尊重か?

 日経ビジネスの、会社の社会貢献の議論で、コメント欄に

社会からリスペクトされることが大切

と言う意見を書いた。

 このときは、

利益などの数値で表現できない効果

の一つとして

社会からのリスペクト

と表現した。

 しかし、この問題は、会社だけで無く、人間関係全般にも広げるべきだと思う。現在の社会では、

客観的な数値で表される情報

に重点を置きすぎている。そこで、表現できないモノが忘れ去られている。しかしながら

無意識の影響

は色々と生じている。例えば、分不相応な出世をし、部下を踏みつけたような人罪は、周囲の悪意を無意識下で受けて、ストレスをためて、酒などの溺れ、体を壊して短命になる場合が少なくない。このように、言葉に表現できない、関係を認識することが大事だと思う。

 特に、人間関係において

リスペクト

の気持ちが大切だと思う。なお、ここで「尊敬」という言葉を塚には、少し戸惑いがある。「尊敬」には、上下関係が絡んでいる。これを「尊重」と訳すと、平等な関係になるので、現在には適している様に見える。

 ただし、人間関係では、

全人格的に尊敬

事も大事だと思う。「機能的な尊重」では、伝わらないモノがある。

 両者の関係について少し考えていきたい。

2021年3月19日 (金)

日本の宗教戦争について

 宗教の戦争というと、キリスト教徒なら『十字軍』が思い浮かぶだろう。その裏側にイスラムの

「剣かコーランか?」

と言う、布教を兼ねた侵略の動きがある。

 一方、

「仏教に宗教戦争は無い」

と言う人もいる。ただしそれに対しては、

「戦国時代の法華宗・一向宗そして比叡山の僧兵の戦い」

は宗教戦争では無いのか,と言う反論もある。

 この問題を考える時、空海と最澄の論争を少し考えてみた。つまり高野山と比叡山の争いである。ここでは、武力的な衝突は無い。この意味を考えると、日本の宗教戦争について見通しが良くなると思う。つまり大乗仏教の発想では、

「自分が仏の力を得ることができる」
従って
「仏の力で相手を従わせるべき」
例えば
「呪詛などの力で押さる」

と言う発想になる。武力を使うのはみっともないという発想になる。ただし、自らの教えの中で、異端の教えを説くなら処罰しないと行けない。高野山の僧兵は、根来などの新義真言宗を懲罰しようとしたし、比叡山から分かれた、念仏の教えと法華の教えに間では、色々な戦いが生じている。

 一方、キリスト教の発想は

「神の世界は人間では及ばない」

ので、

「神の指示に従った戦い」
「神との契約に基づく戦い」

と言う発想はある。

 この違いを明確にすべきでは無いかと思う。

2021年3月18日 (木)

日本の民主主義に関して再評価

 このブログでは、今まで日本の民主主義に対して、

自力で勝ち取った物でない

と否定的に評価していた。例えば以下の記事がある。

自ら勝ち取った民主主義と与えられた民主主義: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

民主主義を育てるということ: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

日本の議会政治について: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 しかしながら、

何でも取り込み自分向けに消化する

日本教的発想で考えて見ると、

便利だから民主主義を導入

と考えると、強いて『闘いとる』必要もないし、自ら苦労して作り上げる必要もなくなってくる。そこで、日本に議会政治が入ってきた、明治時代に戻って考えて見よう。その前の幕末の状況を想像してみよう。幕末の日本は、

暗殺の時代

であった。自分の意見と違う者を『天誅』と殺していく。しかもこれは、最高決定機関である『主君』にまで及んでいる。薩摩藩主の島津斉彬にも毒殺の噂があるし、孝明天皇ですら暗殺の噂があった。このように

自分の都合の悪い者は主君でも殺す

と言う暴力支配の時代であった。これは明治になって、

天皇陛下絶対

として忠誠を誓わすことで、すっこしおさまったが、それでも、武力で意志を通す発想は、西南戦争まで残っている。

 このような状況で、議会制民主主義という方式は、対立意見の決済方法として有効であった。

 日本の民主主義は、このような便利な道具として、導入されたと思う。 

2021年3月17日 (水)

偶然の成功の一例

 昨日書いた、社会科学の適用に関して、政治の舞台で、

偶然の成功の失敗

一事例を考えてみた。

 今回提示する事例は、

第2次大戦後のアメリカの日本支配

である。これは、現在の日本の繁栄を見ても成功例である。私達昭和の20年代の生まれな人間は、世界の最貧国だった日本が、世界の富裕国に駆け上っていく過程を見ている。これに関して、アメリカの貢献を無視することはできない。つまり

アメリカの指導・支援の効果

である。

 しかし、アメリカはその後、日本以外の国でこの様な

指導支援の成功

を経験していない。例えば、イラクの戦後処理にも失敗している。

 私の仮説は、

日本には豊富な水資源があった

ことで、アメリカ流の支援でも、自力で農業を復興させ、食料不安を改善させ、立ち直ることができた。

 一方、アフガニスタンでは、

井戸を掘る

ことから始める必要がある。

 こうしてみると、現在の発展途上国支援などは、ニューコメンの蒸気機関のレベルまでも、至っていないと思う。

2021年3月16日 (火)

文系学問の実用化

 学問を現実社会で役立てる、この可能性について、考えて見る。まず成功例は、工学の世界である。物理学の原理を物作りに活かしている。しかし、社会科学の世界で、このような実用化ができているだろうか?この問題をもう少し考えて見た。

 まず切り口として、工学の世界の話を、もう少し振り返ってみた。そこでは、ワットの蒸気機関の発明が、大切な事例になるだろう。現在私たちが、蒸気機関として想像する物は、技術的には完成品であり、カルノーサイクルと言う、理論的な裏付けもできている。しかし、ワットが最初に出会ったニューコメンの蒸気機関は、炭鉱の水汲みのための機械で、一旦蒸気を発生させて、それを冷やす作業を、同じシリンダーで行う、非効率の塊であった。ワットの最初の改良は、蒸気を冷やして水に戻す部分を、別に設けることであった。その後色々な改善を積み重ねて、直線運動を回転運動に変化するなどの機能を追加していく。

 また、電気の世界は、理論的な見通しが無ければ、機械の形の実現は難しい。

 しかし、社会科学の世界は、物理学のような、完成した見通しができているのだろうか?

 一つの問題点は、物理学の場合には、電磁気学の世界には、量子力学の効果を無視する、などの近似の階層化がきちんとできている。一方、社会科学の場合は、例えば経済学などでも、色々な視点での議論が入り乱れている。具体的な事例では,日本の国債発行を見て、MMT等の

「いくら借金しても良い」

と言う理論すら生まれている。

 このように,個別の特異例を見て、それを他でも適用できないか考える。この段階は、ワットの蒸気機関以前の段階で無いかと思う。

トーマス・ニューコメン - Wikipedia

2021年3月15日 (月)

氷山モデルに関して一考察

Hyouzanm_20210316082201

 私たちの知識に関して

氷山の一角

と言う場合がある。確かに、私たちの知識は、現実の複雑さと比べれば、ほんの一部である。しかし、現在の科学技術の充実は、

学校教育だけで十分

という感じでいる人が少なくない。

 しかしながら、氷山の水面上の部分は、

言葉で表現できる部分

である。なお、ここで言う言葉には、科学の言語である、数学なども含んでいる。一方、水面下の部分を議論しようとする努力もある.例えば、フロイトの潜在意識や、ポランニーの暗黙知などがある。

 こうした、西洋文明の科学知識の充実は、古くは古代ギリシャの哲学者達、そしてルネッサンスの科学、そうしてニュートン以降の近代科学者達の活躍で、科学技術が充実してきて、

学校で学んだことがそのまま使える

状況が少なくないレベルになっている。

  このように考えると、

西洋文明の進歩は氷山の水面下部分を少なくする努力

と言えるだろう。

 なお、日本文明では、弘法大師空海が『声字実相義』で、

文字で総てが表される

と説いている。これは、人間の力で

氷山総てを知る

可能性を拓いている。これが、西洋文明の

人間は少ししか知ることができない

と言う発想と違っている。

2021年3月14日 (日)

組織や社会の擬人化による発想

 先日、暗黙知に関して考えたときに、

組織内での知識の共有

と言う発想を

組織の潜在意識

と考えると、見通しが良いと思った。これ以外にも

組織のスキル
組織の価値観

という見えない力が存在する。例えば、助け合いなどのコミュニケーションは、組織のスキルだろう。そのような相互支援を善とするのは、価値観が絡んでいる。

 この発想を、もう一歩踏み込むと、

組織を擬人化して考える

発想が出てくる。成長し、喜ぶ組織、このような発想での組織論はあると思う。

 この発想は、私のオリジナルかと思ったが、少し考えると、真言密教の大日如来が

法界体性智

を如来の形で実現している。全ての世界を創造し、我が物とする智慧、それが如来の形で現れている。この発想そのものでは無いかと思った。

2021年3月13日 (土)

社会的責任を果たす企業

 昨日書いた、日米の健康保険業務に関連して、

社会の全体を善くする働き

についてもう少し考えてみた。この問題は、

企業の社会的責任

行政の責任

と言う形で議論したらもう少し見えてくる。アメリカでは

企業は利益追求
公共の問題は行政の責任

と言う、分解点は日本より明確である。例えば、アメリカの場合は、電力会社の運営は、あくまで『市場原理』で行う。日本の場合には、電力会社に『安定供給の責任』まで負わせている。だから、日本の電力会社には、『中央給電指令所』が存在しているが、アメリカにはそのような機能は無い。従って、大停電を防止するのは、行政的な介入が必要になるが、現状では上手く機能していない。

 このように考えると、アメリカに比べると

日本の企業は社会的な責任を果たしている

といえると思う。

 一般に、日本には、アメリカより寿命の長い企業がある。この一つの理由として、

社会的責任を果たしているから皆の支援がある

という側面があるのでは無いかと思う。

2021年3月12日 (金)

日米の健康保険の違い

 お世話になっている、Yuukiさんのブログで、アメリカの保険制度の話が出ていた。

親知らず抜歯 その1(怪獣): Me like chocolate! (cocolog-nifty.com)

 つまり、アメリカの保険制度では、

これもまたアメリカの歯科保険あるあるなのですが、毎年保険を買い替える時に限度額を設定して、限度額を超えた場合は自費治療になっています。限度額を高額にすれば支払う保険料も高くなるので、必要な額を見積もって加入します。

なので、

高額治療を受けると自己負担になる!

という厳しい現実が迫ってくる。

 一方、日本では、保険制度の中に「高額治療の支援制度」が組み込まれていることが多く

一定限度以上の患者負担が救済される

場合が少なくない。実は私は、昨年に『天疱瘡』という難病になり、そこで血液製剤の点滴等の高度治療を受けた。そこで、は『色々な支援』をいたいた。まず保険の方での、高額治療に対する支援制度があり、さらに地方自治体からの難病支援制度もあった。そこで、入院しても、月の自己負担額は、驚くほど少額で納まった。

 日米の支援についてここまで違うと、改めて実感した次第である。

アメリカの市場主義 VS 日本の住民保護

の発想どちらが善いのか、恩恵を受けた立場では、日本の制度に感謝をしたい。

2021年3月11日 (木)

状況を考えて最善の対応

 仕事ができる人材になる条件の一つは、

置かれた状況を考えて行動

することである。これは、

唯一絶対の正解に縛られない

面がある。

 例えば、今回のコロナ対応に関しても、大阪府と和歌山県の対応は異なっている。これは、大阪と和歌山の人口規模の違い

  大阪府881万人 対 和歌山91万人

は大きいが、もう少し言えば

  和歌山県の保健所(保健師)の充実

がある。広い地域に潜在する人たちに対応するため、保健所の機能を充実させていた、地道な努力がコロナ対応の現場力となり、クラスターの徹底壊滅につながった。このように、現場の力を信じて任せることができたのは、日頃の政策の成果であろう。

 一方、大阪の対応は、

保健所はパンクするから特別体制を作る

と言う発想で動き、患者の受け入れ先などを、行政が見るようにしている。

 これは、

現場の対応力を超えるときは、上位部門が引き取る

と言う当たり前のことを実行した。しかしこれができていない、都道府県が少なくない。

 こうしてみると、大阪も和歌山も

行政はその状況に応じて適切なことをした

と言えるだろう。

2021年3月10日 (水)

仕事ができるとは

 リクルートスーツの人たちが目立つ、就活の時期になった。また、もう少しで、新入社員が入ってくる。私は、現役時代の半分ぐらいは、社員教育に従事していた。そこで注力するのは

仕事ができる人材を育てる

である。特に注意したのは

知っていることを使えるようにする

である。これは、裏返すと

必ずしも学校成績優秀でも仕事ができるとは限らない

と言う現実がある。実は、この問題は既に1970年頃から、アメリカで顕在化している。コンピテンシーの提唱者のマクレランド教授は、外交官の成果と学校成績との関係性を評価し、

行動を見てその根底にあるモノ

を見いだした。コンピテンシーの発想は、現在でも採用面接に「コンピテンシー面接」を使うなどの形で生きている。

 さて、このような学問知識と、実務能力のギャップは、どこにあるのだろう。私は以下の点に注目している。

  1. 学校で学ぶ理論的知識は『理想化した条件』で成立する
  2. 現実の状況は多様化している
  3. 現実の問題解決に理論を使うときは、現実を上手に抽象化しモデル化する必要がある

 これに気がつけば、学校的知識を仕事の上で生かすことができるようになる。一般意味論では

「地図は現地では無い」

と教える。しかし私は

地図から読み取れるモノがある

と考えるし、さらに

地図を描くことで知識が整理されて全貌が見える

と言う効果もある。このような、全体像を描くスキルが大切な力である。私は、技術者の立場で、エンジニアリング・アナリシスの発想で、知識を使えるモデル作成の手順を考えている。

EngAna.pdf (ooco.jp)

またこの事務ヴァージョンも作ってみた。

事務系の専門手法

これらが若い人たちの参考になれば幸いである。

2021年3月 9日 (火)

自分で考え体験しないので極論に走る

 昨日書いた、追従者の問題に関連して、

極論に分かれる傾向

を議論しておく。

 一般に、自分で考え抜いた結論でもなく、現場を体験したことも無い御仁が、色々と尻馬に乗って意見を言うときに、

分かりやすい極端な話に捕らわれる

事が多い。これは、思考実験の「極端な事例で説得する」発想が、そのまま伝わる場合が一例である。世論を喚起させるためには,極端な事例での説得が力を持つ場合が多い。しかし、その極端事例を全てと思い込む『信者』が暴走するから、トラブルが生じる。

 例えば、『和歌山のヒ素入りカレー事件』で考えてみよう。今の議論は

  1. 林被告は多数の殺人者として死刑
  2. 林被告はえん罪で無罪

と言う形で行われている。しかし、冷静に状況を見ると

  • 林被告の行動は計画性が無く殺人罪は無理
  • 傷害致死の罪であり死刑は行き過ぎ

と言う,中間の判断も有力だと思う。

 日本の弁護士の方針として多くは

「逆転無罪より有罪を受け入れて刑を軽くする」

作戦が多い。和歌山カレー事件でも、この方針で裁判すべきだったのではと思う。

2021年3月 8日 (月)

追従者の怖さ

 今回のコロナワクチン接種に関連して、色々な議論が出ている。その中には、反対論もある。しかしながら、反対論を唱える人にも、大きく分けて二つの種類がある。

  1. 自分の経験ヤ知識で判断しての反対
  2. 誰かに追従しての反対

1.のタイプの人は、ワクチンの原理を理解し、コロナの感染状況を見手、更に自分の経験的なモノも含めて、多様な観点で熟慮した上で判断している。これは、迷いもあるし、状況によって対応を変える柔軟性の余地もある。

 しかし、2.のタイプでは、「XXが言っていた」程度の根拠で、自分で考えていないから、判断に柔軟性が無い。思い込んだらそれしか無い。現在のネット社会では、このような断片情報が触れているし、さらにSNSの一部では、そのような偏った情報ばかりが集まるようになっている。例えば

 #コロナワクチン有害
 #コロナワクチン陰謀

等でまとまった情報が出てくる。

 このような追従者の暴走、この問題について、現在社会は少し考える必要が出てきたと思う。実は昔から、この問題はあった。226事件でも、

「北一輝の思想に賛同した若手将校の暴走」

である。これを扇動された犠牲者と見るのが、現在の主流の見方らしい。しかし、追従者の暴走という面も、もう少し考えるべきではと思う。

 もっとも、一部の学者が火を付けた運動でも、

「亜流の活動化を野放しにしている」

と言う批判がある。このような「追従者問題」を考えるべきでは無いかと思う。

2021年3月 7日 (日)

立場をわきまえる必要性

 今回は、

立場をわきまえる効果

について書く。昨日書いた、

立場をわきまえ無いことでのブレークスルー

立場をわきまえない資格: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

の失敗談からの教訓である。この話は私の苦い経験が絡んでいる。私が40代の頃(1990年代前半)に新入社員が実習に来た。私は彼に

「現在の会社制度は社員を抱え込みすぎている。
例えば、遊ぶことでも会社主導に持って行こうとしている。
これで本当に良いのか、社員の独立をもっと考えるべきでは無いか?」

と言う問いかけをしてしまった。これは、会社の福利厚生を根本的に見直す、大事な疑問であったが、これを大学出たての新人に問うたことが失敗であった。

 彼は、この問題を真剣に考えた。更に言えば、与えられた仕事ににも

本質を考えすぎて定型業務でも停まってしまう

様になってしまった。これは、

立場をわきまえない

失敗の典型である。

 この問題に対して、ヴィーコは「学問の方法」で一つの回答を示している。

  • 大学では発言が許される学生と聞くだけの聴講生を分ける
  • 聴講生の能力を見極めて学生に昇格させる

このように、立場を分けて、自力ができたら動けるようにする。これは一つの答えだと思う。

また、ポランニーも「暗黙知の次元」などで、

最初は与えられたことをきちんと行う

ことを教えている。

2021年3月 6日 (土)

立場をわきまえない資格

 「わきまえない」に関して、まだ色々と議論が出ている。そこで、私の過去の仕事について少し振り返ってみた。私は、前にこのブログにも書いたように、人間関係に難があり、「立場をわきまえない発言」も少なくない。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-3a9e4d.html

 そこで、私が「立場をわきまえず」発言したことで、その部門の流れを変えた経験がある。開発方針を決める会議に、私は入社3年の若輩で参加していた。そこで、ある方式が決まっていたが、私はその方式では性能的に難しいモノがあると感じていた。そこで

立場をわきまえず

「この方式では性能的に無理があります。」

と発言した。そこでは色々と反論があったが、私は

「一週間あれば、必要なプログラムを全部書きます。それで検証して下さい。」

と強く言い切った。そこで上司達が

「そこまで言うなら」

とさせてくれて、皆が私のプログラムを見てくれて、結果として開発方針の大幅変更になった。

 このように

自分が別案を完成した形で出せる

場合には、「わきまえない発言」も効果がある。

 私は、その後は仕事を転々と変化させ、最後は事務屋の総務部門に移っていった。このように仕事を変化させると、どうしても以前の文脈が解らず、「立場をわきまえない」発言が多くなる。

 そこでは、自分で全てを観ていないだけに失敗も多くあった。私の教訓は

立場をわきまえない発言をする資格は
自己完結で意見を完成させることができる場合

である。

2021年3月 5日 (金)

学問の力はどこに

 先日から「勉強する必要性」について、色々と考えている。今回は、

勉強する事で身につくこと

について考えてみたい。ここで直ぐに思いつくことは

他人が知らないことを知っている優位

である。確かに明治の開国に当たって、日本の金銀の価格差と、欧米の金銀の価格差が大きく違い、日本では銀を高く扱っていたので、諸外国との貿易で、金を流出させて損をした商人と、銀で支払い金を残して得をした商人がいる。これは、知っていることの利点を生かした事例である。

 しかし、

物事の関係性を見抜く力

は、より大切であり、しかも習得するための努力が必要になる。現実の発生している現象は、多様な側面があり、多くの物事が絡まっている。その中でも、本質的な因果関係を見いだしたり、フィードバックがかかる関係を見いだすことは、

現実の現象を抽象化し理想化する
理論的知識を現実に当てはめる

等を演習していくことで、世の中に起こっていることの因果関係を見いだし、真の原因を探すことができるだろう。このスキルは、勉強を通じて身につく。 

2021年3月 4日 (木)

勉強の動機付け

 昨日書いた、「勉強の理由を納得』の話は、勉強する側の視点で書いた。

勉強の理由を納得していく: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

今回は、これを指導者側からの動機付けという観点で、少し考えてみた。

 まず、動機付けと言えるかどうか解らないが、権力による強制がある。これは『義務教育』が典型的な例である。これに加えて『教育勅語』という道具もあった。なお、現在の教師の中には、(左翼系であっても)

「教育勅語的な権威がほしい」

と言う人たちがいると聞く。

 さて、このような権力で無く、自発的な動機付けは、どうしたらよいだろう。一つは、

「当人の価値観が勉強を求める」

様にすることである。これは、

「勤勉を善とする」

日本の文化なども絡んでいる。この価値観があれば、動機付けは容易である。しかし、もう少しうるさくなってくると、勉強のメリットを示す必要がある。このため以下の2点を明示する必要がある。

  1. 勉強した結果できるようになること
  2. 勉強が自分でできること

つまり、成果の予測と成功への道筋を、きちんと示すことが必要である。

 例えば、大学での電気の知識は、車のモーターの制御などに必要である。特に、交流の座標系の変換や、制御における近似の扱いなどの知識は、トラブル発生時の対応に必須となる。そうした知識は、数学などの基礎知識に支えられているが、大学のカリキュラムにはそれが備わっている。こうした説明が必要だと思う。

2021年3月 3日 (水)

56万アクセスの御礼他

 このブログのアクセスカウンタが、56万を超えました。昨年の11月28日に55万の区切りを超えてから3ヶ月での1万というアクセスは、少なくない値として感謝しています。

 アクセス数を稼いでいるのは、相変わらず『正社員登用』関連が主力ですが、私の意見を色々と見て下さる方がいらっしゃるので、多くのページへのアクセスがあります。ありがたいことです。

 さて、このブログの下の方に「あなたにオススメ」という、記事の紹介があります。

 ここで、正社員登用関連が表示されているのも、アクセス回数増加につながっているのかなと思い、ココログ運営側の協力に感謝します。

 読者の皆様ありがとうございました

 もっとも、オススメの記事を見ると

  1. はげ頭対策
  2. 太りすぎ対策

がでているのはどういうことだろう??すねに傷はあるが・・・

 

勉強の理由を納得していく

 私たちは、

勉強しなければならない

と言う常識を持っている。しかし、この理由を考えたことが有るだろうか?言い換えると、

親や先生という『権威』からの押しつけ

ではない、自分の言葉で勉強の動機付けが有るだろうか?この問題を、少し考えて見た。

 勉強する一つ目の理由は、現在社会での学歴の価値である。確かに、学歴や資格の保有で、生涯の収入額が大きく変わってくる。学歴だけで、高収入という甘い考えではいけないが、それがないと門前払い、と言う経験はある。これは一つの動機付けになると思う。ただし、これは「試験の成績で決まる」モノが多い。しかし、学問で身につくモノはもっとあるのでは無いだろうか?

 学問の原点に戻ると、古代ギリシャの哲学者達が

生活を良くする

為に

本質を理解する力

を求めている。こうして

世の中に起こっていることの
本質を見抜いて賢く生活する力

を身に付けるという目標を、もう一度考えるべきではないか?現在、SNS上の多様な情報に惑わされる人が多い。この対策としても、

論理的に考えて真実を見抜く力

を学問を通じて習得するということが、学問の動機付けになると思う。

 裏側から続編です。

勉強の動機付け: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

2021年3月 2日 (火)

今回の接待疑惑に関して

 総理の息子の絡む、接待疑惑で、一人あたり7万円の食事と言う違法行為で、内閣広報官が辞職する事態になった。この話は、辞職した内閣広報官が『女性』であったので、

「山田広報官は菅内閣の強権政治の犠牲者」

と言う論調で、一部野党が叫んでいる。

 しかし、今回の接待内容を見ても、どうも直接的な許認可の、利益供与には至らない感じがする。接待の目的は

単なる情報収集

であり、出席した官僚も

気軽に愚痴をこぼせる場

という感じで参加していたように思う。

 私は、志ある有能な官僚には、レスペクトすべきだと思う。しかし、今回の山田広報官の動きを見ると、

調整が上手い

と言うレベルであり、これを大事にするかというと、一寸違う感じがする。

 本当に大事にすべきは、

長期ビジョンと大局観を持って政策を実行する官僚

ではないかと思う。

 このような評価が、ある程度はできる程度に、現在の日本の知的レベルは上がっているように思う。例えば、大阪府のコロナ対策では、保健行政の有能な官僚の働きが見えて、これを大阪府民は評価している。

 これを考えれば、官僚のビジョンを、もっと民衆に見える形で示していくのも善いのでは無いか。

2021年3月 1日 (月)

社会科学に対するAI活用のアイデア

 日経BPで、コトラー教授のマーケティングの話があった。

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/20/00041/022200001/

彼の提案するマーケティング5.0は

「機械学習などを活用したモノ」

らしい。

 私は最初これを聞いて

「AIで市場の相関関係を見いだすぐらい」

と甘く見ていた。それなら

「しっかりした仮説を作り検証する力が必要」

なので、人間の力に依存する面が大きい。しかし、Q&Aを聞いていると

「AIで人間の行動モデルを作り市場の動きを見る」

と言う方向が見えた来た。これはとても大きなモノが出てくると思う。

 これで、社会科学においても,シミュレーションによる実験ができる、という可能性が拓かれた。これは、技術の世界で設計支援環境に組み込まれたシミュレーションのように、市場検討などでもシミュレーションの可能性を拓くモノである。

 従来も、「囚人のジレンマ問題」をコンピュータシミュレーションで解いた事例はあった。しかしそれは、専用ソフトでの対応である。現在のAI技術なら、汎用的な

「市場行動シミュレータ」

としての人間モデルができるだろう。更に言えば、コンピュータ将棋で行っているように、人間モデルが自動的に機械学習で成長することも可能になる。

 ここまで考えると、社会科学のシミュレーション的実験が、手軽に行えるようになると思う。

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