ご縁のあった人たち

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2020年11月11日 (水)

会社の存続という問題

 米国では、

「会社が潰れることはよいことだ」

と言う発想がある。この主旨をもう少し説明すると

「時代に適合しない会社が、人材を抱え込むことを避けて、成長分野に人材を回せる」

と言う発想で

「会社が潰れることはよい」

と表現している。確かにこの話の実例として、太平洋戦争の真珠湾攻撃の裏話がある。

「日本海軍の真珠湾攻撃で、米国は旧式戦艦を多く失った。その結果、その戦艦に乗るべき人材を、新しい空母などに有効活用できた。一方、日本海軍は、大和と武蔵の巨大戦艦が最後まで残ったため、有能な人材を、大和や武蔵に縛り付けられたので、実戦での活躍ができなかった。」

この事例が示すように、旧来の組織が残ることで、資源の無駄遣いになる可能性はある。

 しかしながら、私たち日本人は、会社の存続と言うことの重みも知っている。よい実例が任天堂である。私は戦後の昭和からの人間なので以下の変遷を知っている。

  1. 昭和の30年代ぐらいまでは、たばこ屋で「任天堂の花札」を売っていた
  2. 昭和の30年代には、ディズニートランプを、トランプマジックの番組で上手く売り込んだ
  3. 昭和50年代からテレビゲーム機
  4. 昭和60年代からファミリーコンピュータ

等のすさまじい変化を遂げて、現在も生き残っている。この会社は

「遊びと言うことの専門の会社」

と言う「芯になるもの」を大切にしながら、色々と適合し成長している。このような、会社を残すよい面も知っておくべきだろう。

2020年11月 8日 (日)

コロナ時代の新人研修について

 日経ビジネスの最新号が、「コロナ後の新人」と言う特集をしていた。

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/mokuji/00094/?i_cid=nbpnb_sfrec

 この中でも、新人研修のあり方の議論がある。

  https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00650/
  https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00652/
  https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00653/

私は、某電機メーカーで研修関係の仕事を、15年ほどしてきた。その時に悩んだ問題が、

「新人をどこまで枠にはめるか」

である。もう少し解説すると、

「個人の独創性を壊してはいけない」
しかし
「社会の約束事を守らない人間は、他人に受け入れられない」
そのためには
「ある程度の枠への当てはめは必要である」

と言うジレンマである。

 これをもう少し具体的に言うと、

「能力のある個性は伸ばしたい」
しかし
「それが、あまりにも周囲とぶつかり、壊れることは避けたい」

と言うのが一つの悩みである。もう一つは、

「それほどの力が無いのに、自分の独自性があると思い込んでいる人在の扱い」

である。またこの逆に

「自分の力に自信を持てない人財」

の問題もある。よくあることだが、『人罪』向けに言った言葉が『人財』にだけ響くと言うことが多くある。そこで、『人財』が萎縮し、『人罪』がのさばる。このような事態もある。研修の難しさは、このような社員の全体像を見た上で、個別の対応を考える必要がある点だと思う。

2020年10月16日 (金)

哲学科出身者の就職事情

 近日話題になっている、日本の文系の非実用性に関して、ある逸話がある。

アメリカの大学の哲学科教授
「内の学生を欲しがる企業が多くて割り当てに困る」
日本の大学の教授
「哲学出身者の就職口に困る」

この状況に関して、きちんと議論ができているだろうか?この問題には、色々な切り口があるが、まず思いつくところだけでも書いておく。

 一つ目はアメリカの大学の哲学の広さである。プラグマティズムが哲学の一分野であるし、「一般システム思考」のワインバーグなども哲学科に所属していた。つまり、日本の哲学のイメージより、実学に近い分野が哲学に含まれている。このレガ、哲学出身と言っても、企業が欲しがる傾向につながっている。

 二つ目は、アメリカの文明に、論理的思考を重視する、風土がある。つまり、哲学を勉強することで身につく、クリティカルシンキングのスキルを重視している。これで、哲学出身者を重用する。なおこれと関連して、

「理論武装としての哲学的考察」
〈自分たちが正しいと、哲学的に述べる〉

と言う側面もある。欧米文明には、本質的に侵略的・制圧的側面がある。その時

「自分たちが正しいことを理路整然と言いたい」

と言う側面が、哲学的思考重視に向かったのではないかと思う。

 さて、日本の哲学者は、どうなっているのだろう?

 この問題に関連しては、戦前・戦中の戦争協力問題が微妙に絡んでいる。

 戦争中の、学者の戦争協力の問題は、現在の人間が考える以上に、厳しいモノがあった。つまり、

「学者個人の生き残りのための戦争協力!」

である。学徒動員という形等で、大学卒業生が軍隊に入ると、一兵卒でいじめられるか、いきなり予備仕官という扱いになる。ここで、予備仕官になれば、よい処遇に見えるかもしれない。しかし、

「予備仕官は、先頭に立って突撃する、小隊長の補充品」

と言う厳しい現実がある。士官学校卒などの、率先垂範できる人材が枯渇してきたので、大学卒という高学歴者を、小隊長にして、先頭に立たせる。こうして多くは死んでいく。この現実から逃げるには、軍隊の気に入ることをして行く。

 こうした戦時中の行動は、戦後多くは蓋をされてしまった。例えば、マックス・ヴェーバーの研究者達の一部は、ヴェーバーが戦時中に行った、戦争の見通しを含んだ講演を、翻訳するときには、終戦後の講演と誤訳して紹介したりして、自分たちの手のひら返しを隠そうとしていた。

 日本学術会議の

「軍事研究嫌い」

にも、このような歴史があることも知っておいて欲しい。

2020年9月28日 (月)

現在の経済的閉塞感を打破するには「神様」を生み出すのが一方法

 今朝の朝日新聞を見ていたら、

「最低賃金を政治で決める」

話が載っていた。確かに、このような規制は効果があるだろう。しかし、本質的な問題点は解決していないと思う。私が観るこの問題の本質は

  • 経営者側:「人件費抑制でしか利益を見いだせない」
  • 働く側: 「付加価値の高い労働ができていない」

がある。つまり、

「機械的なレイバーに対して、支払賃金を叩くことで利益を生む。」

この体での発想で経営が行われている。

  • 高付加価値のある製品やサービスを生み出し、提供することで利益を生む。
  • そのために人材を育成し大切にする

このような発想が生まれていない。これが経営側での、根本的な問題の一つだと思う。

 次に労働者側の問題だが、この問題には、

  • 全ての人が『高付加価値』の創造的な仕事で成果を出せるか?
  • それが難しいなら、使われる人を生かす管理職の育成は?

と言う問題になる。どこかで高付加価値を生み出す必要がある。それを、全員に丸投げせず、ある程度は絞った人材に、期待して

「XXの神様」

として大衆を指導していく。このような形がよいのではないかと思う。

2020年9月19日 (土)

東大法学部の力とその限界について

 国家公務員の働き方に関して、河野大臣が何かメスを入れるらしい。これはよい事だと思う。しかし、国家公務員の過労状況に関して、ここでもう少し踏み込んでみたい。まず明治の国家公務員育成に関してであるが、先に帝国大学法学部ができて、その後官僚組織ができていった、歴史的経緯を抑えておく必要がある。つまり、国家公務員は、東大法学部出身者を前提の、働き方を考えていた。

 さて、東大法学部出身というのは、どのような力を持っているのだろう。私は、1冊の本がそれを物語っていると思う。

 

この「法学の基礎」は、「法学の土台」とも言うべき本で、法律を作るための配慮すべきコトなどを、網羅している本である。このような、基礎教養を持っていれば、法律に関する検討も、比較的短時間でできるだろう。昔、ある番組で橋下徹弁護士が

「霞が関の官僚は、法律を作るときに、大宝律令まで調べる」

と半ば揶揄していた。しかし、国民の権利に関して整合性を取るなら、既存の法律の立場を調べるのは当然であり、行くところまで行くと律令制度まで行く。これを納得し、要領よく調べるのが、「法学の基礎」などで鍛えられた人財だろう。

 このように考えると、こうした「基礎的な配慮」のできない人材が、長時間労働で苦しむ状況が見えてくる。

 ただし、この発想は、「法学の基礎」で、要領よく仕事をしようとする人間にも、ブーメランで還ってくる。現在の歴史研究では、律令制度の時代でも、実質の「公地公民」は不成立な部分が多く、私有地などの「律令の抜け穴」が多く存在する、という意見がでている。これを踏まえると、

「前例検討で、大宝律令を調べた」

だけでは済まなくなってしまう。こうして、新たな残業地獄が生まれる可能性が出てくる。

2020年9月14日 (月)

社会科学の実用化に関して

 先日から書いている、

「学問をする価値」

に関連して以下の問題を考えてみた。

「自然科学は、物理学から工学という実用の流れがあった。社会科学にそのような流れはあるか?」

この問題に関しては、昭和の時代なら一つの答えが出てくる。

「マルクス主義に影響を受けた、学校教育は忘れてもらって、社会に出てから実務を習う。」

という事で、

「文系の学生に関しては、学生時代の勉強を無視する。」

という流れができていた。ただし、一部の法学部系などでは

「法学部の論理能力を生かす。」

という面もあったが、これは例外に近い。

 その後、平成の時代には、

「アメリカ仕込みのMBA(経営学修士)手法を生かす」

という形の、大学教育が即戦力という面が出てきている。簿記などの資格取得も一つの流れだろう。(平成の終わりには、マルクス主義が収まった事も影響している。)

 しかし、もう一歩進めて、

「社会科学をベースにして、社会のシステムを提案する、社会技術や社会工学はないのか?」

という疑問が、まだ残っている。

 この問題に対して、栗本慎一郎が面白い意見を出している。

明治の体制では、大学を作ってから、文部省ができた。法律に関しても、法学校を先に作った。

社会工学などという発想でなく、その場に対応した政策が行われた。

これは本質を突いていると思う。また「社会技術」という本も出ているので、もう少しこの問題を考えていきたい。

2020年9月 4日 (金)

動機付けに関して西洋文明と大乗仏教の文明の発想の違い

 昨日の続きで、動機付けについて、西洋文明的発想と、大乗仏教的発想の違いについて議論しておく。

 西洋文明的発想なら、動機付けならマズローの理論などが出てくる。

https://motivation-up.com/motivation/maslow.html

 しかしながら、この議論の根底には、貨幣経済社会などの西洋文明が前提にあり、しかも

「人間は神の智慧には及ばない」

という諦めがある。又、マズローの5段階説を見ても解るように、

「できるだけ単純な項目で考える」

という発想がある。

 しかし、現実社会をこのように単純化してみる発想がよいのだろうか?

 例えば、会社生活においてて、管理職になる動機付けを考えてみよう。

「出世したい」
「給与が上がる」
「他の皆に遅れたくない」

等の単純な理由だけで出生したがる人間は、どれほどいるだろう。

 管理職の重み、責任を感じたとき、色々な悩みがある。しかし、

「その部門の重要性」
「働いている人たちの個々人の立場」
「他の人間が管理者苦になるリスク」(不適切能力者のリスク)

等色々な事を考えて、悩んだ末に受け入れる人は、よい管理者になる可能性が高い。

 さて、ここで大事な事は、大乗仏教的な発想である。大乗仏教には

「誰もが仏の智慧を持っている」
「仏の智慧とは全てを自分のモノとし、衆生を我が子のように見る智慧である」
「この智慧で社会をよくすることができる」

という発想がある。少なくともキリスト教の

「神の世界への到達不可能限界」

とは別の、可能性を拓く発想がある。

 又、これと併せて、色々なモノを見るとき、具体的に多様な見方をする。例えば、管理職が部下を見るときも、

「契約した機能を果たす部下」

という見方が、西洋文明の経営学敵味方なら、日本的管理では

「個人としての生活のある部下」
「将来的な成長可能性のある部下」

等の、血の通った見方になる。

 こうした、実体観の上で、

「皆のためになる」

という動機付けを行うなら、強い力を得ると思う。

 もっと言えば、仏教では

「皆を救う」

という発願がある。この力は、西洋文明的なモノより強いのではないかと思う。

2020年8月29日 (土)

大企業文明に入っていてもトラブルはある

 先般書いた日本社会の課題の議論で、今回は

「大企業文明の恩恵に浴する場合」

について少し考えてみたい。この場合には

生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである

という議論が普通は成立する。つまり

「大企業の正社員は,生活保障がついている」

が暗黙の了解事項になっている。その代わり、就社であり,どこに飛ばされるか解らないが、生活は保障される。

 これが大企業所属の利点である。これは言い換えると

「大企業村の住人として面倒を見てもらう」

と考えてよい。

 そこでは、

「大企業文明に即したスキル蓄積も行う」

ことも仕事に含まれている。安心したスキル蓄積、経営側の教育投資が上手く回ると、日本企業の「高度技能集団」の力が発揮されるようになる。

 さて、このような大企業文明の恩恵だが、周辺では色々とトラブルが発生している。これは正社員登用とも絡むのだが、企業側の発想では

「正社員にしてやる」

という、上から目線が多くでている。しかし、実際の処遇において

「正規採用に及ばない場合が多々ある」

という状況が発生する。このとき、

「処遇改善された後の不満」

が結構重たくなる。パートタイマーから正規雇用になった人が、処遇に不満を言って退職する場合は少なくない。

 このような、大企業文明の管理職や既存社員側の思い上がり(?)は、少なからず見受ける。

2020年8月27日 (木)

社会の分断の一つの出方

 先日書いた、

一人のシングルマザーが、


「つい先ほど入った子と、同じ評価が腹が立つ」
つまり
「スキルの蓄積などが評価されていない」

という不満である。これをもう一歩踏み込むと

「人間として尊厳を持って扱われていない」

という不満になる。

という記事に関して、もう少し議論しておく。

 この問題を突き詰めると、

  1. パートタイマーの能力を認める
  2. パートタイマーはマニュアル通りの仕事だけすればよい

という異なる二つの姿勢に行き着く。

 

 私の個人としての組織運営方針は、

「誰もが人間としての力を認める」

であり、例えパートタイマーであろうと、

「スキルの蓄積効果は認める」
「意見を言う機会はあるし、よい意見は吸い上げる」

事を事項していた。スキル蓄積に対しては、ほんの少しでも時給を上げるなどをしていた。

 しかし、この考え方が、通用しない組織である場合も多い。一つの考え方は

「アメリカ式マニュアル世界」

である。彼らの発想には、レイバーとしての労働者を見ていて、自発性のあるワーカーやプレイヤーとしてみていない。もう少し言えば

「パートタイマー労働者には、レイバーしか期待していない」

という発想である。つまり、働く人間を階層化し

  1. 知的活動を行うワーカーやプレイヤー
  2. 知的活動を期待しないレイバー

を分断している。この発想は、軍隊組織における、士官と下士官以下の違いに一つの原型がある。士官たちは、命令受領時にも取引をする必要があるし、意見具申や緊急時の指揮権引き継ぎの対応が要求されている。一方、下士官は「命令に従う事のみを要求されている。この根拠として、

「知的能力の違い」

を色々と述べる事が多い。

 しかし、本当に知的な差があるのか?

 さて、もう一つの差別の原因は、

「日本社会の既得権保持機能」

である。

 これは、なかなかいやらしい問題を含むが典型は

「正社員だから偉い」

という発想である。正社員に採用されたという『既得権益』を守る。これは、『正社員共同体』で利益共有している。

 このような発想で、

「パートタイマーの分際で意見を言うなど許されない」
「スキル蓄積など認めない」

という行動を取る人がいる。これも悲しいかな現実である。ある本屋に行くと

「賢い店員がこちらの必要な本を直ぐ見つけてくれた」
彼女は
「何をおいたら売れるか、と話をしていた」

しかし私はある時見てしまった。

「そこの本屋の本部からきた、偉そうにしている『総合職』らしい人間に命令される彼女たち」

現場を知らず、客が待っているのに、従業員への話を優先する『本部職員』、このような店はだめだと思った。

 実際、私が買っていた従業員も直ぐに退めた。

 長く書いたが、パート社員に対する姿勢でも、色々なモノがあり、その根底にあるものを理解しておく事は大切だと思う。

 いわゆる『正義』で通用するものではない。

2020年8月26日 (水)

分断化した社会で罪悪感なしの優位に立てるか

 昨日書いた、キャリアアップ論などでは、一つ疑問が出てきた。それは、

「自分が優位に立つことへの疑問はないか?」
言い換えると
「罪悪感を持っていないか?」

である。

 実は、私自身の底流にこの疑問が存在する。遡れば、大学受験の発表時に、多くの同級生が落ちたとことを考え、

「サバイバーズギルト」

のような感覚を持ったことが、一つの発端である。

 後に判明したが、私の大学入学成績は、「合格最低点の一点違い」であった。その成績が私の人生を変えた。確かに大学で身に付けたモノは多く有り、それが後々の仕事でも生きている。少なくても会社生活においても、生涯賃金の数倍の利益を会社にもたらす貢献はしている。このあたりの経緯は

 「彼は成績しか取り柄がない」 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-3a9e4d.html
等に書いている。

 しかし、大学受験に失敗したとき、対人スキル不足の私が社会でどのような使いを受けただろう?この疑問は、時々私の心に浮かんでくる。これを言い換えると

「自分の給与に比べ、同様に働く協力会社や、非正規雇用の給与は十分といえない」
「自分は給与差だけの事ができているか?」

となる。確かに、技術の世界や、総合的判断では

「私の頭脳でしかできない」

と言い切れるときもあり、その時は少しは精神が落ち着いている。

 さてここで周りを見ると、どうもこの問題でおかしくなっている人が少なくないように思う。

「XXの正社員」

という事だけを振り回し、マウンティングする人間がいかに多いか、更に言えば

「昔成績がよかった」
「XXに合格した」

という、一時期の成果を盾に優位を維持しようとする。

 このような人が少なくないように思う。

 そうして、彼らの多くは、一緒に仕事をしている人間の、恨みなどを買っている。その力が働くかどうか解らないが、私が見るところ

「分不相応な出世した人間の早死には少なくない」

という状況がある。多くは酒などの結果、成人病で体を壊す者が多い。

 この問題に対して、昨日のように理屈を付けて、逃げる事ができるのだろうか?私は、日本人には難しいように思う。

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