ご縁のあった人たち

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2020年3月29日 (日)

学問知識は成長したが感情面の豊かさは?

 昨日書いた、本当の納得に関する議論で、もう少し思いついた。つまり、

「現在の学校教育で成長するモノは何か?」

と言う問題である。もう少しこれを分けると

  • 学校教育に期待しているモノ
  • 実際に身につくモノ

の誤解があるように思う。つまり、多くの人が学校教育に期待するのは

「学校教育によって『全人格的に』成長する」

である。確かに、学校生活や交友関係、部活動などにより

「知識以外の面も成長する」

可能性は大きく、実際に成果が出ている。例えば、採用面でも

「四大卒の方が人間的に成熟している人が多い」

と言う感想がある。

 しかしながら、学校側の最低限の責任は

「知識などの教育」

であり、感情面や人格面の成長は副産物という扱いである。

 もう少し踏み込めば、

「経済面など家庭事情などで、友達交流できない子、部活もできない子」

等の、『知識外の成長』は学校の責任とはいえない。

 こうして

「感情面や対人スキルなどの成長ができなかった子」
特に
「成績だけが優秀な子」

は、この後

「自己責任で対人関係を切り開け」

となっているように思う。しかしながら、生活体験が貧弱な場合に、このような切り開きができるのであろうか?

 これで本当に上手くいかないから、色々な歪みが出ているように思う。

2020年2月23日 (日)

学問的知識の活用法

 先日から書いている、経験と哲学者の問題について、今日は別の切り口で考えてみたい。昨日までの記事はこちら

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-14ec1e.html

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-2c75c6.html

 今回議論するのは、現在あるモノや経験に対する知識の活用である。これは、とても大切なことであるが、このスキル教育が現在はおろそかになっているように思う。

 知識の活用の一つの場面は

『トラブル発生時の原因究明』

である。先日亡くなった野村克也名言の

『負けに不思議の負けなし』

にもあるように、トラブル発生時には何らかの原因がある。このような原因追及は、絞り込んでいけば、

『原因ー結果』

の明確な関係に追い込むことができることが多い。確かに複合的な要因や、不確定な外部環境の影響もあるが、多くは理論的に解明できることが多い。こうして

『物事を単純型モデルで説明できる』

状況になれば理論的な知識が有効になる。ここで『単純化』に関しては、経験要素があるので、先輩達から伝授を受ける必要がある。

 さて、もう一つの知識の利用は、

『成功体験の理由付け』

である。野村流の

『勝ちに不思議の勝ちあり』

『不思議を解明する』

ことができれば、経験の活用を間違えない様になる。過剰なまでの一般化による失敗、慎重になりすぎての機会損失、両者を防ぐために、

『どのようなからくりで成功したか』

を理論的に解明する。このためには、

『ある程度理想化・単純化したモデル』

を作り上げて、理論的な検討ができるスキルが必要になる。

 これが本当に役立つ知識だと思う。

2020年2月22日 (土)

新しいモノを作り上げる方法

 昨日の続きで、新しいモノを提案するための考え方を書いてみたい。私も40年ほどの会社員経験で、新しいモノの提案は難しいと言うことを、身にしみて知っている。その教訓の一つは

「斬新なものほど、完成度が高い形で提案しないといけない。」

これは、

「今までの常識を覆すモノは、多くの人には、ある程度の形にならないと、全く理解できない。」
「見える形になると色々とケチを付けたがる。」

と言う現状に対して、多くの人を巻き込むためには、

「ある程度の形を見せ、それに多くの意見を組み込んで、関係者としての応援者を増やす。」

と言う作戦である。

 さて、このように新しいモノを造るためには、以下の2+1の側面がある。

  1. モノができる可能性を示す
  2. できたモノが実用になるようにする
  3. そのモノの使える範囲を割り切る

この3つめ(+1)は、新しいモノを提案したときの失敗にある

「期待されすぎ、失望で全滅する。」

の対策である。世の中での、「XXブーム」が途切れるのは、このパターンが多い。

 さて、『可能性を示す』と『実用になるようにする』を分けたのは、これを分けると仕事がやりやすくなるからである。まず最初に、理想的な条件だけで組み合わせて、骨組み的なモノを造っていく。これは理論的知識の活躍が大きい。つまり哲学者的な思考も役立つ範囲である。

 しかし、このような可能性を示す『プロトタイプ』は、現実の多様性に対して弱い物になりやすい。そこで色々な経験を加えて丈夫なモノにしていく。この段階では、色々な人の意見を聞くことも大切である。ただし、全てを聞いて取り入れる必要は無い。

「できないことはできない」

これを宣言していくことで、期待外れの敵対者を防ぎ、決められた範囲で良いモノとしていくことが大切である。

2020年2月14日 (金)

現在日本社会と鬱病の関係

 昨日書いた、心の闇と綺麗事の議論に関連して、鬱病について考えてみた。現在の日本社会には、鬱病となっている人が少なくない。これをもう少し時間軸を巻き戻し、昭和の時代なら「躁鬱病」という言葉が多くあった。この変化に理由はあるのだろうか考えてみた。

 私の仮説は、

「道徳的に怒り抑える仕組みが強くなったため、鬱病が増加した」

である。具体的な例で考えると

「被害を受けた人間が、暴力などで報復することを禁止される。
そこで怒りからの行動を抑えるため、
脳内物質が出て無気力鬱状態になる。」

と言う状態である。これは、交通事故被害者、犯罪被害者や不倫の被害者などに起こる現象である。確かに、復讐のための暴力行為を許せば、社会が崩れていく。

 現在社会は、暴力による報復を禁じている。一方、言論による行動の自由度は高いが、言論できちんと自分の意見や、被害の感情について言うには、それなりのスキルが必要である。これができない人間は、感情が爆発してもはけ口がなくなってしまう。そこで、爆発しないように脳内物質が働き感情を抑える。これが、働き過ぎて鬱病になる。

 このような図式はあると思う。

 考えてみると、現在社会は腹の立つことが多い。就職氷河期問題に関しても、一つの原因は

「既に正社員になった世代の(組合委員の)既得権を守るため、若い世代の採用を抑えた。」

面がある。これに対して、「世代」という見えないモノには、怒りをぶつけられない。このようなとき、衝動を抑えるために、鬱系の引きこもりが出るのではないだろうか?

2020年1月 6日 (月)

地域創生のためには過去の清算が必要

 昨年末の紅白を見て、石川さゆりの「津楽海峡冬景色」を聞いたら、

「上野発の夜行列車も、青函連絡船もなくなっている。」
「この歌が見ている風景はもうない。」

と強く感じた。更にここから思いついた歌が

1964年、伊沢八郎の「ああ上野駅」

である。この歌が見た世界は、中学卒業したばかりの子供達が、集団就職で東京に出てくる姿であった。このような子供が親元を離れて働きに出る。この理由は

「当時の高度成長では、工業化が進み多くの職人をそろえる必要があった。
そこで中学卒業などの若い世代を訓練し、終身雇用で抱え込む。」

と言う、高度成長が背景にあった。ここで、「ああ上野駅」の時代には、親元を離れることへの寂しさや、抵抗があった。

 そこで通産省などが取った政策が

「憧れの東京戦略」

である。つまり、

「憧れの東京に喜んで出てくる」

「空気」を日本中に作ったのである。例えば、地方年にも「XX銀座」という通りを作る、これで

「まがい物の東京」

に慣れている人間は、東京に出ることに喜びを感じるようになる。その一つの成果が

1984年 吉幾三「おら東京さ行ぐだ」

である。

 このように、通産省などの頑張りで、東京の憧れをあおった後遺症が現在も残っている。

 この過去の清算をきちんと行わないと、地域創生は難しいと思う。

2019年12月 4日 (水)

就職氷河期世代の採用に関して

 就職氷河期世代の採用に関して、もう一つ大きな問題が起こりそうである。私の予言は

「新卒の採用者数が大きく減る」

で、この理由は、

「成長した氷河期世代と比較される」

からである。先日もNHKのニュースで、氷河期世代の採用に当たった人が、

「経験を積んだ人の魅力に気がついた」

と言っている。このような気づきは、一般的な採用にも影響するだろう。特に総合職として採用するときに、

「一から育てる必要があるか?」

と言う議論になる。もっと言えば、従来なら

「若いときから育てて長く貢献して貰う」

が合ったが、現在の技術革新や、社会の変革が激しくなってくると、

「即戦力性を重視し、短期の貢献で十分」

と言う結論になる。

 こう考えると、来年度の新卒採用は、かなり厳しい状況になるかもしれない。

 

2019年12月 3日 (火)

就職氷河期の人の採用には履歴書に変えてスキル一覧などで対応すべきでは

 昨日書いた、就職氷河期の人たちの活躍の話について、履歴書の作成に関する問題の議論をもう少し深めるべきだった。

 私も昨日のブログを書いた後、履歴書の可否について、今仕事を求める人の気持ちを想像して考えてみた。そうすると、

「正規雇用経験がないので履歴書の欄が埋まらない。空白があるといけないのか?」

というためらいが出てくる。更に私も昔の経歴を整理するときには

「あのときXXに邪魔された。XXに潰された。」

等の怨念が浮かび上がってくる。私は、そうはいっても無事定年まで勤めることができたのだから、彼らと比べれば幸せである。そのように考えると、

『就職氷河期の被害者が履歴書に込める怨念』

はとても大きなモノとなってしまう。

 さて、このような悪いモノを出さないようにして、前向きに持って行くためには

『現在保有しているスキル一覧表』
『コンピテンシーを示す行動成果の事例集』

等を提出するようにしたらよいのではないかと思う。

 これを書けない人も多いと思うが、ハローワークなどの就活支援の部門で、相談者と一緒に今までの経験から身についたモノを抽出し、文書化する支援を行った行けば、当人の自己認識が変化し、前向きになる糸口になると思う。

 なお採用側目線で、コンピテンシーを引き出すBEI(行動に基づく面接)についてまとめた資料があるので参考にしてほしい。

 http://manabizz.c.ooco.jp/BEIshuhou.pdf

 http://manabizz.c.ooco.jp/new/?page_id=171

極端な話、この資料にあるBEI面接結果を自分と就活支援者で完成し、採用側に持ち込むのも一つの手段ではと思う。

 

2019年12月 2日 (月)

就職氷河期の人達の活躍について

 昨日書いた、平均値や分布の話から、書いておきたい話が『就職氷河期の正社員化』である。私は,この問題に関しては、かなり現場を踏んでいる人間である。このブログの多くの訪問者は『正社員登用』や『正社員登用の推薦書の書き方』を探してくる人たちである。色々な記事を見てくださる、コアな読者もありがたいことにいらっしゃるが、一見のお客様の大部分は『正社員登用』関連である。

 また、私は10年以上前だが、経験者の中途採用に関与した経験もあり、いわゆる氷河期の方の採用面接にも携わった。例えば、その時に面接した一人と

「派遣先の切り替わり時期の不安に耐えられない。」
私の質問
「当社でも人事異動はある。専門性の変化はあるが耐えることはできるか。当然必要な研修などのトレーニングは行う。」
彼の答え
「安定した環境なら、仕事の変化はかまいません。」

と言うような問答を行ったことを覚えている。別の面接官が、

「あの質問を受けたとき、彼はほっとしたようでした。」

と言っていたが、『安定』と言うことは、当時から求められていた。

 さて、この採用時の経験で言うと、採用枠の10倍以上の人間が来ている。そこで採用されるのは、1割以下である。今回の、地方公務員の場合にも同様の難関である。そうしたときには、多数の中で『光るモノを持っている人材』が選ばれるのが自然な動きである。私の経験でも、ほしいと思う人材の比率は全体の2割程度であった。

 今朝も、NHKニュースで

「氷河期世代の今までの経験を生かした活躍」

と報じていたが、そのような経験を生かせる人材は、全体の2割に達するだろうか?残りの8割の人たちをどのようして、安定した立場に定着できるようにするかである。

 一つの方策は、就職前のスキル訓練である。ハローワークなどが色々の施策を行っているが、地道な活動が大切だと思う。もう一つは、雇用側のスキル向上である。つまり、今までの新入社員からの均一育成人材とは別の、『多様である意味使いにくい人材』の活用スキルを付ける、三番目の方策としては、そのような人と会社の間での緩衝材になって、お互いの意見を聞きながら、双方のサポートを行う機能などを設ける。これは、公的機関でもよいし、公的支援を受けたNPOでもよいだろう。

 このような施策を多面的に活用していくことが大切ではないかと思う。

 最後に、もう一つ提案であるが、履歴書の代わりに、スキル一覧表の提出に変える。このような発想もいかがだろう。正社員でないことにコンプレックスのある場合には、履歴書を書くことが苦痛な場合がある。このような対策がよいのではと思う。

2019年11月27日 (水)

分散して働くためには自立が必要

 前の記事では、「AIが分散した貢献をまとめる」形での、新しい経済活動の可能性について議論した。

 このような勤務形態は、江戸時代なら『問屋制手工業』という形で存在した。さて、この話で大切なことが見えてきた。

「働く人の生活は誰がどのようにしてみるのか?」

と言う問題である。

 『生活』と言ったのは、単純に現金収入だけではない。確かに、SNS上の画像情報から、必要な情報を抽出するなら、これに対する報酬との支払いという問題は生じるが、その問題は少し置いておく。(情報収集の価格破壊という問題でデフレ発生の危険性がある)

 今回議論したいのは、

「集団生活による育成機会」

の問題である。つまり、日本の会社制度では、会社の中での上下関係で、色々なモノが伝達されていた。この伝達機会の必要性の議論と、必要ならば代替えをどこに求めるか、という議論である。

 一つの理解は、交流分析で言う

「親ー子」型 -> 「成人ー成人」型

への変換である。個人を尊重して、『成人』として扱う。しかし、そうなれば、『成人』として必要な、スキル習得などをどこで行うのかという問題が生じる。従来の日本社会では、多くのスキルは、組織内に属した人間の上限関係で伝承していた。しかし、分散独立社会ではこれは成立しない。

 一つの案は、物語やゲームでの伝承である。今、新作が出た『十二国記シリーズ』や、NHKで放送された『守り人』のシリーズは、どちらもファンタジーの形で、人間の成長ということにしっかり向き合っている。

 このような解決策もあるのではと思う。

2019年11月22日 (金)

人材活用のために力の配分をどのように考える?

 昨日、小学生の算数の問題を解いてみた。これは、単純に連立方程式を立てれば、直ぐに解ける問題である。しかし、長方形の面積を求める問題だったが、その図形の組み合わせの意味を考えて、必要情報を見いだすことは結構難しい。小学生でここまで本質に迫れる子がどれほどいるのだろうか?そこで、昔あった

『鶴亀算無用論』

を思い出した。確かに小学校の算数の応用問題の解き方の訓練は、

  • 鶴亀算は足の違いに着目
  • 植木算は両端の形に着目
  • 流水算は流れに従うか逆らうかで計算を変える

等の、個別の手法を教えてそれで処理する訓練であった。このレベルでは、中学生の連立方程式の発想なら皆解けるので、無駄な時間を費やしているように見えるかもしれない。

 しかし、このような問題の訓練を通じて、

『変化する量の関係を見いだす』

力がつけば、これは物事の本質を見抜く力となる。この力は、機械的に代数的な式を立て、解くという作業と比べても、役に立つことがあると思う。

 さて、ここで社会での仕事について、話を広げてみよう。

 世の中の多くの仕事は、定型化して処理すべきである。これは、数学の方程式の処理を速くやることと同じである。一方、新しいことや、トラブルが発生したときには、物事の本質を考えて、その状況に踏み込み考え抜くことも大事な作業姿勢である。

 この両方の使い分けをきちんと行う。これが管理の本質ではないかと思う。確かに、本質を考える人材が多い方が望ましいかもしれない。しかしそのような考える人だけでは、仕事の効率化は進まない。また、考える側も疲れていく。

 このような資源の配分を上手に考えていく。これが管理の大きな仕事であると思う。(もう一つは、定型作業を創る働きだが、これは別途考える。)

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