ポランニーの暗黙知と野中郁次郎の暗黙知
- このブログで何回か『暗黙知』について書いたが、原型であるポランニーの『暗黙知』と、日本で普及している、野中郁次郎の『暗黙知』の違いについて、ようやく解ったので書いておく。
私の結論は、
- ポランニーの『暗黙知』は個人の体験
- 野中郁次郎の『暗黙知』は組織内の情報共有
である。ポランニーの場合には、個人の価値観や、訓練された身体感覚の育ち方などが『暗黙知』として働いている。
一方、野中郁次郎の場合には、組織内での経験やKnow/How等が、文章などで明示化されていない物を言っている。
これは、日本の経営においては、『就社』して、会社内での蓄積を重視し、OJT(OntheJobTraining)で伝承している力を、『暗黙知』として明示化し、経営学的に扱えるようにした効果がある。
一方、欧米の文明では、情報の伝達において文脈依存が低いので、組織内での『暗黙的』な共有は少ない。従って、
日本的経営において『暗黙知』が重要
と言う表現は、欧米の研究者に受け入れられたと思う。
ここまで書いて、大きな発見があった。それは、
組織にも人格的なモノがある
つまり
組織のスキルや知識蓄積その結果の潜在意識や価値観
がある。例えば、相互の支援や認め合いが、自然にできる組織は、対人スキルが備わった組織だろう。このような助けを無意識に行う、子乗れは価値観に支えられている。この価値観が、組織として共有されている。このような組織は強い。
このように考えると、ポランニー流の暗黙知と野中郁次郎流の暗黙知の間隔が狭くなったように思う。
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