ご縁のあった人たち

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2021年2月18日 (木)

ポランニーの暗黙知と野中郁次郎の暗黙知

  •  このブログで何回か『暗黙知』について書いたが、原型であるポランニーの『暗黙知』と、日本で普及している、野中郁次郎の『暗黙知』の違いについて、ようやく解ったので書いておく。

 私の結論は、

  • ポランニーの『暗黙知』は個人の体験 
  • 野中郁次郎の『暗黙知』は組織内の情報共有

である。ポランニーの場合には、個人の価値観や、訓練された身体感覚の育ち方などが『暗黙知』として働いている。

 一方、野中郁次郎の場合には、組織内での経験やKnow/How等が、文章などで明示化されていない物を言っている。

 これは、日本の経営においては、『就社』して、会社内での蓄積を重視し、OJT(OntheJobTraining)で伝承している力を、『暗黙知』として明示化し、経営学的に扱えるようにした効果がある。

 一方、欧米の文明では、情報の伝達において文脈依存が低いので、組織内での『暗黙的』な共有は少ない。従って、

日本的経営において『暗黙知』が重要

と言う表現は、欧米の研究者に受け入れられたと思う。 

 ここまで書いて、大きな発見があった。それは、

組織にも人格的なモノがある
つまり
組織のスキルや知識蓄積その結果の潜在意識や価値観

がある。例えば、相互の支援や認め合いが、自然にできる組織は、対人スキルが備わった組織だろう。このような助けを無意識に行う、子乗れは価値観に支えられている。この価値観が、組織として共有されている。このような組織は強い。

 このように考えると、ポランニー流の暗黙知と野中郁次郎流の暗黙知の間隔が狭くなったように思う。

2021年2月16日 (火)

プラトンが見るモノ

 昨日書いた、プラトンの『国家』で、描いた

『真実』の世界

は、

『イデア』という理想的なモノ

で記述した世界である。このように、現実を抽象化し、理想化して記述する方法が、現在の科学的な西洋文明を生み出す力となっている。プラトンのイデアは、ルネッサンス以降の近代科学では、理想条件での思考という形で、大きな成果を生み出した。

 例えば、ガリレオの思考実験では、

「同じ重さの鉄級を二つ繋ぐ」

と言う極端な形で議論して、当時のアリストテレスの自然学の

「重い物は速く落ちる」

と言う定説を打ち破った。更に、ニュートンの力学では

「大きさがない質点にその物体の質量が総てある」

と言う理想的な条件で、万有引力に支配された、物体の動きを数学的に記述できるようにしていった。

 こうした抽象化した概念を上手く使うことで、西洋文明の理論的な力が増えていった。そこでは、『正しい』と『間違い』が明確になり、議論も進む。

 このような、

抽象化した世界で普遍的な法則という本質を理解する力

を持った人間が、支配する国家を、プラトンは『正義』が行われる『国家』と考えたのだろう。

 しかし、プラトンが考えた、抽象化された『形式的な記述』だけで、全てを支配するのは無理がある。

 例えば、野中郁次郎が提案した『暗黙知』の発想も、プラトンとその子孫への対抗策だろう。

2021年2月12日 (金)

専門家と言っても色々

 コロナの問題で、色々と『専門家の意見』がでている。しかしながら、専門家にも色々とあると言うことを、きちんと理解している人が少ないように思う。今回の感染状況について、発言する専門家を大きく分けると、以下の2パターンになる。

  1. ウイルスの伝搬の細部の専門家
  2. 多数の感染状況を数理モデルで予測する専門家

1.の立場を『ミクロの専門家』、2.の立場を『マクロの専門家』と呼ぶと、イメージが掴みやすい。例えば、ミクロの専門家は、ウイルスが飛沫感染するからくりなどを教えてくれる。そこで具体的な内作を提案する。また、ワクチンの種類や、その効果について教えてくれるのも、ミクロの専門家である。

 一方、マクロの専門家は、多くは数学的なモデルを使って、感染の拡大状況を予測する。そうして、政策への提言を行う。例えば

「現状で対策を取らなければ、XX時点での病にはXX、そのうち死者はXX人となる」

と言うような予測を行う。さて、専門家のコミュニケーションというと、ミクロの場合には、その伝搬メカニズムなどの具体的な話についての議論となる。しかしながら、マクロの専門家に関しては、議論の向きが二通りに分かれる。

  1. 検討の前提に関する可否
  2. 手法自体の妥当性

ここで大事なことは、専門家の議論では、どちらかというと『手法の妥当性』の方での議論が多くなる。これは、

「数学的な議論なら『正しい』と言いやすい」

ことが影響している。

 しかし現実に適用するためには、前提をきちんと評価する必要がある。このような前提に関しては、

「素人も口出しできる」

ために

「会議が長くなる」

可能性がある。しかし、この問題を避けて通ると、予測外れのトラブルになり、結局専門家の地位を危うくすると思う。

 このような前提に関する議論を行う、専門家の周辺の人財を、育てる必要がある。

2020年12月25日 (金)

自然界の物を見ると言うことは?

 昨日の立体視の議論をもう少し進めて考えた。

複眼的な思考と立体視: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 昨日の議論で、機械製図の図面を取り上げたが、図面で表せる情報は、その形状が主である。なお、加工の精度なども情報として追記できるが、それだけで、そのものの情報全てとは言えない。つまり、機能などは、自分が塑像しないといけない。しかしながら、これは設計された物であり、設計者の意図は、何らかの手段で手に入れることができる。(設計者が奇矯すぎたら誰も解らないと言うことはありうる)

 しかし、自然界にある物を見るときに、その形状は見ることができるが、その働きなどを見ることはできるだろうか?例えば、多数の木が神社の周りにある。この木は、暴風林としての働きなどもしていると思う。しかしそれはどうして解るのだろう?

 このような解釈は、私たちが今まで持っている知識から導き出される物である。学校等から教えられた知識、そして自分の体験で学んだもの、これらが、目の前にある物の働きを、私たちに見せてくれる。学校で『防風林』という言葉を学ぶ、さらに子供の頃に、風が寒いときに、林の中に逃げたら『風の寒さが和らぐ』という体験をした。このような情報が上手く組み合わさると、神社の周りの木々が防風林と見えてくる。

 このように、自然界にある物を見るときには、自分の体験や知識に影響されて、そのフィルターを通して、その知識に合う物を見ることが多い。

 こうした知識の影響を意識することも大切だと思う。

2020年12月20日 (日)

『法』というシステムの力

 先日から書いている、古代ギリシャの哲学の力に関連して、西洋文明の基盤には『ローマ法』が存在することに気がついた。ローマ法を狭く取るのではなく、西洋文明の基盤としての『法』というシステムで考えると、

「有限の明文化した規則で複雑な社会を制御」

を可能とした優れた機構である。

 複雑な現実を,限られた文字数、そして文の数で記述する。これを実用化するために、抽象化の階層的な構造ができていく。また現実への適用に当たっては、一般的な原理から具体化していく方向を考えて、応用を利かせないと行けない。このような仕組みは、私たちにとっては当然と思っているだろう。しかし、実際には前例に縛られた制度が多くあるし、一般原則からの展開という発想が解らない人もいる。

 もう一つ大事なことは,このような『法体系』という形になったモノがあれば、それに対する議論ができるようになる。

「正しいと言えるモノは作られたモノ」

これは、社会学の祖であるヴィーコの言葉となっているが、ヴィーコ自身が『法学の教授』を目指していたことを思い起こすと、やはり法というシステムが、西洋文明に貢献していると思う。

 私たちは、基礎的な教養として、またスキルとして、法律の階層構造を知り、一般原則から具体例への展開について、訓練すべきではないかと思う。

 

2020年12月13日 (日)

ソクラテス、プラトンそしてヴェーバーの見たモノ

 昨日の話を、もう少しその人達を想像しながら考えてみた。

 まず古代ギリシャの哲学者の立場で考えてみよう。ソクラテスやプラトンは、

「市民のあるべき姿」

について考えていた。彼らが生きている状況は、色々なことが起こっている。この多様さの中で、

「本質的なモノは何か?」
「普遍的なモノはあるか?」
「何か一般的な規則は?」

と言う疑問を持つのは、

「同じような失敗をしない賢い人間になる」

ために大切なことである。このような動機付けで、悩んでいた人たちに、『ユークリッド幾何学』と言う成功事例が与えられている。そこでは、

「現実世界の多様な形を、抽象化した点や線で考えることで、一般化し体側を見いだし、しかもそれを定義や公理という、少数の前提から展開できた」

と言う、理論展開の成功例があった。そこで

「現実の事象を『概念』で切りとり、本質的な関係に注目する」
「『概念』の間に本質的な因果関係を読み取る」

手法が有効であると気がついた。これが、ヴェーバーの指摘する、『概念』の発見である。

 このように

「自分で法則性を見いだす」

ために注力している人間には、

「現実の複雑さから雑音を除いて、本質的なモノで理想化する」

手法が有効である。与えられた、法則を使う立場なら、

「抽象的、理想的な話は現実的ではない」

と切り捨てるかも知れないが、自分で切り開く人間には、『抽象化』という道具は有効である。

 ヴェーバーもこれを考えて、『理念型』の発想に至ったのだろう。

2020年12月 5日 (土)

日本の「分断」について

 日本の現状に対して

「格差社会になった」
「貧富の分断が進む」

等の議論が出ている。確かに所得の格差については色々な問題がある。しかしながら、これを

収入という、金銭的な尺度だけで考えて良いのだろうか?

私は、もう一つ別の切り口で考えてみた。それは、

専門家とそれ以外の分断

である。今回のコロナ危機においても、医療の専門家の発言が強いが、どうも狭い範囲の専門家の意見に振り回されているように思う。ようやく大阪府が

医療崩壊は看護師不足から起こる

「現実を観察した議論」

を行っているが、今までは医師会ヤ学者の発言が多く、看護師に関する議論は「声が小さい」状況だった。

 このように、専門家とそれ以外の分断は、日本以外の多くの社会でも発生していた。逆に、日本の

「素人の勉強」

が世界の不思議に見られていた。例えば、1960年代~70年代に日本の半導体工場を見学した人が、

「工員が休み時間に物性などの半導体関係の勉強をしている」

と驚いたという記録がある。専門家と素人の間をつなぐ啓発書が、多く発行されているのも日本の特徴である。

 しかし、中華文明では、

「科挙合格者との分断」

があり欧米文明でも

「学位取得者とそれ以外の分断」
「軍隊では士官以上と下士官以下の分断」

等が存在している。

 日本の良いところは、

「専門家の議論を素人が理解する知的な融合」

だったが、これが壊れているように思う。

2020年11月20日 (金)

知恵の種類について

 先日から書いている、「照準と修正」の話に関連して、仏教の智慧の扱いで、一つ見えてきたモノがある。大乗仏教の唯識等の教えでは、人の智慧を

  1. 大円鏡智:全ての経験等を記憶し収める智慧
  2. 平等性智:自我のこだわりを昇華し、仏の力を見る力
  3. 妙観察智:全ての良いところを見いだして考える
  4. 成所作智:実際の対応を行う、当意即妙の智慧

と分けて考えている。このほかにも全てをまとめる、「法界体性智」もあるが、今回は置いておく。

 さて、この四つの知恵の働きについて、私たちはどこまで意識しているだろうか?教えられたことを記憶していく、これだけで成績が良くなる。特に、実際の対応に当たる

「成所作智」

と事前にじっくりと考える

「妙観察智」

を、きちんと分けて考えることが大切である。更に、自分の考えは、自我による

「無意識の選択」

が働いている。価値観や道徳などが、無意識的に働いている。この部分を意識し、できるだけ「平等」に考えることも大切である。ここに「平等性智」の働きがあるし、心の奥には、色々な体験が

「鏡に映るよう」

にたまっている。

 このように考えると、大乗仏教の教えは、私たちの心の働きについて、大事な物を伝えているように思う。

2020年10月29日 (木)

朝ドラ「エール」に見る芸術家の力

 朝ドラの「えーる」は、敗戦後の『戦争協力者』の悩みを描いている。しかし、現実は違うという調査があった。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76563


つまり、主人公のモデルである古関裕而 は、戦後直ぐに作曲活動をしている。

 ここで大事なことは、古関祐而は、元々色々な立場での作曲をした人間である。

 六大学なら、早稲田も慶応も、そしてプロ野球なら、阪神も巨人もと

「敵対する立場の両方に立って作曲している」

切り替えの早い人間である。

 もう少し踏み込むと、

「作曲時には、特定の立場に踏み込み感情移入などする」

「終わると次に行く」

と言う発想が常に行われているのではないか。

 現在の我々は、

「戦争責任の重さ」

だけを捉えて議論しているが、

「芸術の創造における、精魂のかけ方は、平等である」

ならば、『戦争協力』だけを特別視することはできないと思う。

 ここまで、人間の心が変わるか?この問題に関しては、チェスタトンのブラウン神父シリーズが、一つの答えを出してくれると思う。

 本当の、ニュートラルな芸術家は、色々な心をそのまま写す鏡があるのではと思う。

 

2020年10月28日 (水)

『言行一致』についてもう一度見直し

 このブログでは、何回か『言行一致』について議論している。例えば

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-46cb.html

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d308c3.html

 しかしながら、今回はこの問題に新たな見通しが立ったので、もう少し議論を進めたい。まずは、言行一致でのトラブルを考えて見よう。一つは

「人間の多様性を無視し自分の信じている姿を押しつける」

というある種の『学問カルト』的な対応になる人がいる。特に、理論的成果の完成度が高いときに、このような現象が起こる。また別の見方をすれば、

「自力で創りだした人なら、その限界が見えている。しかし与えられたモノなら、それを全てと思い込む。」

と言う問題がある。このような状況で『空気』が発生すると、歯止めがなくなり暴走するのは、第二次大戦中の日本が経験したことである。

 ここで、

「与えられた民主主義」
「与えられた学問の自由」

と言う今までの議論と重ね合わせてみよう。

 この状況での言行一致は、危険性がある。特に

「建て前と本音の区別」

を考言行一致だけを墨守する危険性は大きい。

 先日書いた、山本七平が、

「沖縄の米軍核兵器に関する国会答弁」

「勧進帳の芝居のようだ」

と揶揄した話があるが、この後ろの本音である

「アメリカに対する、日本世論の力での歯止め効果」

が私たちの理解から消えている。しかし、五十五年体制の政治状況で、国益のために綱渡りの芝居をした、先人たちの苦労に敬意を忘れてはいけない。

 言行一致を信じすぎて、理想世界しか視野にない人間が、リーダーとなれば、その世界は怖い物となるだろう。

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