ご縁のあった人たち

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2020年7月 1日 (水)

正しいものは作られたもの

「正しいと言い切れるモノは作られたモノだけである」

この言葉は、社会学の祖と言われている、ウ゛ィーコが、デカルトの厳密なる思考方に対立して言った言葉で、人間の力の限界を示している。確かに、自然界の物事で

「正しい」

と言い切れるだろうか?何らかの不確定要素が存在する。これに対して謙虚な対応を求めた言葉であろう。

 しかし、これは西洋文明の、人間の力を有限とする立場である。仏教の一部では、人間の力を仏の力と同じと見る。

 法界体性智と言うように、「法界」自らの体であり性である。この力で創造し、その責任を取る。これが仏の力だと思う。だから、「正しい」と言い切れる。

2020年6月24日 (水)

本当の地方創生とは何か

 地方創生の話を聞いていると、

「東京一極集中で,税金が東京に集まっているから,それを地方に返す」

という議論が出てくる。

 この話、どうも納得のいかない。

 まず、税金の交付金とは、その地方の,国に対する貢献で支払われるべきである。例えば

「他国の侵略に備えるため,国境の地域に暮らしている」

というような地域には、厚く税金を投入するべきである。

 ここで本質的な議論は

「その地方の国民全体への貢献は何か?」

を、明確にすべきである。

 ただし、この議論は、もう一歩踏み込むところがある。つまり

「東京一極集中は、国益に対して、どのような貢献があるのか?」

という観点からの議論である。

 確かに昭和の戦後の工業化促進のためには、都市部に労働者をかき集める必要性があった。しかしその惰性で、東京に本社を置かせる必要があるのか、もう一度見直しが必要だと思う。

2020年6月23日 (火)

リーダーシップに関する『日本教』と西洋文明

 『日本教』のリーダーシップは、支配される人々の知性に、ある程度の信頼を置いている。これは、

「話せば解る」

という聖徳太子以来の伝統である。

 しかし、西洋文明においては、支配者が全てを決めて、支配される人間は

「言われたことだけする」

という発想がある。これを歴史的に見ると、

「奴隷を使っていた伝統」

が一つの相違点ではないかと思う。西洋文明には、侵略し支配し、場合によっては奴隷にする、という伝統がある。この違いが、リーダーシップの違いに出ていると思う。

 さて、『日本教』的なリーダーシップのよいところと悪いところを考えてみよう。

 よいところは、全員参加の力である。特に参加者個々人が、弱い力でも色々と貢献することで、全体としてまとまる成果は大きい。一方、悪いところは、不適切(無能)なリーダーでも、惰性で務まる場合があることである。今までの延長なら、皆に任せてそのままで行けばよい。このような状況で、ずるずる壊れる例は少なくない。

 ただし、『日本教』のリーダーでも、全体像を示して、皆を納得させることができるなら、新しい世界へ導くことも可能である。

2020年6月19日 (金)

知識の大衆化か?智慧の大衆化か?

 昨日書いた、知識の大衆化の議論を読み返すと、もう一つ大きな問題点が見えてきた。今回議論したいことは

智慧の大衆化

についての議論である。これは、西洋文明を見ると、プラトンの「国家」が示す『哲人政治』の発想で、

「本質に迫る思考は、哲学者が持っている」

という

智慧の独占発想

がある。確かに、厳密な思考能力は、厳しい訓練で身につき、その力でないと達成できない境地もある。この力で、多くの問題解決を行って近代文明を切り開いた功績は大きい。

 しかしながら、日本の文明にある

衆知を合わせて解決する

発想も、捨てるには惜しい。全員参加の効果は色々な改善活動などで力を発揮している。

 そのためにも、日本語の

『直観的な表現力』

を上手く活用することも大切ではないかと思う。

2020年6月17日 (水)

北朝鮮情勢について

 北朝鮮が、南北関係を壊すような動きに出てきている。

 これは、北朝鮮の内部崩壊の兆候だろう。コロナの影響で、中国や韓国との貿易がなくなれば、北朝鮮という国は色々とトラブルが起こる。しかもコロナの患者は,無視できない数発生しているだろう。こうした内外の力で,今度こそ北朝鮮が崩壊する可能性は高くなってきた。

 しかし、この時期に,日本政府の方針が立っていないことがもどかしい。

 確かに,米中対立の時期に、日本独自の動きを見せることは難しい。

 歴史的に見れば、

「朝鮮半島は中国に任せる」
ただし
「中国の海洋進出は断固拒否する」

という判断が正しいと思う。つまり、陸続きなら許すが,海洋進出は拒否する発想である。

 アメリカの動きが、今不安定だが、トランプ退陣ともなれば、中国と妥協の上で、上記の線で納める手はないのだろうか?

 北朝鮮の崩壊で、我が国まで被害が出ることは、できるだけ避けたい。

2020年6月16日 (火)

日本教の失敗のパターン

 「日本教」について、このブログで何度も書いているが、どうも

「日本教礼賛」

となってしまう傾向がある。

 しかし、「日本教」的な指導には大きな欠陥がある。それは、

「一度動き出したら修正が難しい」

という問題である。

 この事例は、多くの倒産した会社の場合や、第二次大戦の日本の戦争指導を見れば解るだろう。つまり

「小幅な修正能力はあるが、抜本的な見直しは難しい」

という欠点である。

 これに対して、山本七平は

「明治の日本の指導者は、自分で別案を持っていたから修正できた」

と指摘している。

 これは、日露戦争時の戦いを見れば明らかである。旅順攻防戦でも、乃木司令部は、試行錯誤し学習している。第二次大戦の硬直した指令とは全く異なっている。

 この理由は明確である。

「日露戦争までは、実戦経験を積んだ人間が、自分の体験を生かしながら戦争指導を行った」
一方
「第二次大戦時代には、教科書で学んだ秀才が、戦争を指揮した」

という違いである。

 なお、今回の大阪府の指導者達は、実践を通して学んで修正したいるように思う。

 

2020年6月14日 (日)

アメリカの「人種差別」報道について根本的な理解が抜けている

 アメリカの『人種差別』問題に関して、トランプ大統領の対応を批判する報道が多く見受ける。確かにトランプ大統領の対応は、軍の扱いと言うことで批判されるべきである。

 しかし、日本のマスメディアというか、日本人の知識は、この問題の根本を理解していないと思う。私の考えでは、

「この問題の本質は、アメリカの建国以来の体質である、
『人間』としての権利を限定された者達に与え、
彼らに暴力で他の者を圧することを許した体質」

にある。これは、黒人差別だけに止まらない。アメリカの歴史を見れば、

「ネイティブアメリカン(いわゆるインディアン)の土地を銃で脅し殺して奪った開拓史」

もある。当時の『アメリカ人』の発想に、ネイティブアメリカンの権利などを認識していたとはとても思えない。

 その後の奴隷問題もあり、黒人差別が発生した。さて彼らの発想をもう少し突っ込むと

「キリスト教徒の人間の線引き」

が一つの見えてくる。キリスト教の発想は

「洗礼を受けて人間として生まれる」

がある。このような発想が、根底にあり彼らが

「人間として扱わない」

行動は、本質的に獣に対する行動であった。この歴史を理解しないと、現在の人種問題、特に差別を受けた側の怒りは解らないと思う。

2020年6月12日 (金)

「日本教」とノブレス・オブリージュ

 『日本教』の良いところは、大衆の力を認めることにある。その一つの例が

「コロナ危機の自粛」

である。

 しかし、この逆の面は

「ノブレス・オブリージュの不成立」

という形で表れてくる。

 この問題に関して、江戸時代までなら、豪商が町のために金を出すなどの仕組みもあった。

 しかし、現在の社会を見るとどうもこの仕組みが壊れているように思う。

 一つは、上位者側の識の問題であり、もう一面は、利益を受ける側の尊敬などの不足という面があるように思う。

 建前の平等主義が、上滑りして、悪い面だけが出ているように思う。

2020年5月31日 (日)

「日本教」と「保守」または「革新」の相性

 日本教の特徴は、皆が全体的なイメージを共有して、「道理」に従い納得する点にある。

 このような全体のイメージをもって、社会に対応することは、

「現状を肯定する保守の立場」

と相性が良い。しかし、変革期に関しては、

「現状を否定する革新の立場」

も必要になる。

 しかし、ここで大事なことは、

「理論だけでの革新的提案は日本教に合わない」
「日本教に相性が良いのは、完全な姿を見せる『新規提案』」

である。

 例えば、

「将来のあるべき姿の物語を提案する」

これができれば、現状を破棄しても、次に行く可能性が出る。

 維新の勢力には、このような側面が強みになっていると思う、他の野党にはここまでの総合的な力はない。

2020年5月25日 (月)

明治以降の体制と敗戦後の変化

 先日、旧制中学の幾何学は、科学的な論理思考の鍛錬として、よくできている、と言う話をした。つまり、具体的な図形の性質を抽象化し、論理的に議論するという総合的な観点での教育であった。

 しかし、現在の数学教育は、あくまで数学の範疇でしか教えていない。

 このような変化はどこで起こったか、これはやはり、昭和の敗戦時のアメリカGHQの支配の結果であろう。そこでは、数学の専門家は、数学だけに閉じこもりがちになる。(これには、一部には軍事協力のすねの傷を隠す面もある。暗号解読などには数学者が動員されていた。)

 ただ、GHQの支配には、内務省解体の動きもある。先日も、NHKの「日本人のお名前」で警察が、病人の状況を把握しているという話があった。これを聞いて驚いた人がいるが、戦前の内務省から警察の駐在所までは、国民の生活を守り、指導するという一本の筋が通っていた。但し、これが悪用されると、軍事国家への転落となってしまう。これを嫌って、GHQは内務省解体を行った。

 しかし、住民を総合的に観るという立場からすれば、何らかの機能が必要では無いか?

 地方自治で少しそのような面も見えているが、コロナ危機の後にはもう一度見直すべきモノがあると思う。

 

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