ご縁のあった人たち

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2020年2月27日 (木)

支配者の指導力について

 私が考えている『日本教』は、

「神様は全て観て導いてくれる」

と言う根本的な教義(信仰)に支えられている。これは、西洋文明における、プラトンの『国家』が描く

「哲学者の指導」

にも共通するモノがある。ただし、プラトン以降の西洋文明は、『人間の到達不可能世界』への諦めがある。一方、日本においては、大乗仏教が六世紀に入り、小乗仏教の『彼岸への憧れ』を経由せずにいきなり『仏の智慧を得る』ことができると、

「完全な指導ができる」

と、純真な子供のように信じてしまう傾向がある。

 さて、今回は、このような指導者の力について、考えてみたい。皆は指導者に何を求めるか?

「暮らしを維持しできれば良くしてほしい」

これが一つの答えである。そのためには

「一般大衆よりもよくわかっている」

必要がある。この力の候補を考えてみると

  1. 今までの経験
  2. 経験の伝承知識
  3. 思考能力による推論・洞察
  4. 経験の一般化・応用能力
  5. 想像した世界での物語作成(シミュレーション)

等がある。プラトンは、3.の思考能力を重視した。確かに当時の幾何学の論証力は、従来の経験的な知恵を超える一般性を持ち、多大な成果を生んだ。一方、仏教の推論は、比喩的なモノ・現実的なモノが主体であり、西洋文明のような科学の世界を生み出すことは難しい。

 しかし、『法界を自ら造る』力が、人にもあると言うことで、5.想像した世界で物語を作り、展開できる力が人間にある。この力で人を導ける、と言う発想はあると思う。この問題は、もう少し深める価値があると思う。

2020年2月17日 (月)

怒りへの対処法 続き

 昨日の続きで考える。昨日の要点は、

「自分のことと距離を置ける場合は客観的に観る」

であった。

 今回は、怒りのエネルギーを、うまく活用できる場合について考えてみた。アイデアは

「怒りの、真の原因が観えれば、それに対して解決法が見える。」

である。このため、自分の状況を冷静に観ることが必要である。このため、自分に対して

「優しく客観的に観る」

ことが必要になる。

「あなたは、なぜ怒っているの?
何をされたの?
何が怖いの?」

これらの質問を優しく投げかける。そうすると自分怒りの、本音や真の原因が見えてくる。例えば、

「会社での上司に腹が立つ」

という表面的な怒りから、

「その理由は?」
と自問自答から
「仕事成果を評価されていない」
「同期と比べて評価が低い」

等の具体的な理由が見えてくる。

 ここまで来て、まだ元気があるなら、

「自分の力を客観的に評価した」
「自分のPR不足だった」

という、本当の問題につながる行動につなぐことができる。このように、上手く怒りのエネルギーを、自力でできる改善活動に持ち込めば、怒りが良い向きに働くことになる。

 真の『怒りの原因』を見いだし、『自分で解決できる可能性』が見つかれば、怒りのエネルギーで大きなモノを得ることができる。

2020年2月13日 (木)

心の闇と綺麗事の関係

 人間の心には、色々な闇の面がある。この扱いについて少し考えてみた。まず、今の学校教育などでは

「正しい行動を取る子供を育てる」

と言うことで、

「闇の部分がない」

と言う発想で考えている。いわゆる

「綺麗事の世界」

である。しかし、人間には、色々な行動や考えがある。そうして

「傷つけられた経験、それに対する恨み」

等の闇の部分が出てくる。このような、闇の部分を無視して

「綺麗事だけで世界を考える」

是非を考えてみた。物作り、特に設計や開発をした経験者なら解ると思うが、更地でモノを考え出すときには、

「まず理想的な正常機能を動くようにするための本体を作る」

段階から始まる。この段階で色々な冷害を考えると収束しなくなる。しかし

「一度全体像ができれば、例外を考え色々と揺さぶり、それに耐えるように丈夫にする」

段階を経由しないと製品として売ると後でトラブルの山になる。

 この発想は社会的なモノでも同じではないかと思う。

 仏教では、六根清浄になれば、仏の世界が見えると言う。つまり「綺麗事の世界」で全体像を見る。しかし、仏は

「十界互具で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の全てを観る」

力で、地獄の心まで見ている。

 このように全体像を作るための「綺麗事」と、現実の多様性を見て「闇の部分の対策」の両面を扱う、本当のリーダーが必要になってくる。

2020年2月 6日 (木)

管理職と双極性障害の関係

 双極性障害、昔の言葉で言えば「躁鬱病」について、躁鬱病の時代には時々話題になったが、現在は「鬱病」だけが取り上げられることが多い。しかしながら、現在も潜在的に双極性の障害を持っている人は少ないと思う。ただし、一般に「躁状態」の人は、極端にならない限り

「元気のよい人」
「頑張る人」

等と積極的な評価を受けていることも少なくない。

 それどころか、

「仕事で成果を出す人」

と期待される人になってしまう。しかし、このような人に過剰な負荷がかかっていると、体が悲鳴を上げパニック発作になったり鬱状態になったりしてしまう。現在の「鬱病」が多く出る状況には、このような期待過剰に耐えかねている人も少なくないと思う。

 さて、仕事を管理する立場をもう少し見てみよう。仕事を与えるときは、

「仕事をする人間のやる気が大切」

とはよく言われている。しかし、このやる気が、冷静なモノか、一時的な熱情によるモノかを、きちんと判断している管理職はどれほどいるだろう。一時的な熱情依存なら、「躁状態」が役立つことになる。確かに、一時的な熱情でも成功して心の安定を得る場合もある。しかし、多くは、

「前に成果を出したから次はこれ」

とだんだんハードルをあげていく。そうして、最後は能力限界に達する。これが、

「人は無能を証明されるまで出世する。
従って組織幹部は無能者の集団になる。」

と言う、ピーターの法則が成立する様になってしまう。

 このようなことがないように

「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
から
「英国は各員がその義務を果たすことを期待する」

とすべきである。

2020年2月 3日 (月)

管理という発想から人材活用に切り替える 「引きこもり対策」

 今朝のNHKニュースを見ていたら,「引きこもり」者の就労支援が取り上げられていた。引きこもり者の、ソーシャルスキルを訓練し,就労後のメンタル面まできめ細かくサポートする,派遣会社の話である。

 これはとても善い仕組みだと思う。一般に就労支援というと、就職口を見いだすだけ。もう少しサポートすると言っても、定時的な面談ぐらいしかしていない。しかし、現状の引きこもり者は、電話の対応や名刺の出し方など、基本的なソーシャルスキルを身につける機会も失っている人が少なくない。そうして就労しても、色々の対人トラブルに遭う。このようなときに、速やかなサポートが必要であるが、それを、今まで均質な人材の効率向上を見ていた、一般企業の管理者に求めるのは、現実的には難しい。確かに大企業なら、そのようなメンタルサポートを置けという、行政指導もあるだろう。しかし中小企業、特にスタートアップの時などには、そこまでの力はない。

 そこで考えを変えて、

「人材活用のプロ的な会社」
(メンタル面のサポートを含めた人材派遣)

と言う発想はあるのではないかと思う。

 このような動きについて、厚労省のサポートが有効だと思う。幸いにも、労働問題の専門である労働省と、メンタル面の専門である厚生省が一体になったメリットは、このような面にあるのではないかと思う。管理者や経営者視点の経産省より、人を見る厚労省に期待したい。

 もっと過激なことを言えば、ハローワーク等の関連事業で、引きこもり者を一旦抱えて、ソーシャルスキル訓練をし、更に就労時のメンタルサポートを行う派遣業と言うのも現実的な問題解決の一案かもしれない。

 

2020年1月27日 (月)

承久の乱に関して リーダーシップの観点で一考察

 承久の乱は、山本七平が指摘するように、

「武士が天皇(上皇)の権威を覆した革命」

と言うべきだろう。

 承久の乱については以下のウィキペディアの記事が詳しい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/承久の乱

しかし、ここで従来から議論のある一文がある。

泰時は途中で鎌倉へ引き返し、天皇が自ら兵を率いた場合の対処を義時に尋ねた。義時は「天皇には弓は引けぬ、ただちに鎧を脱いで、弓の弦を切って降伏せよ。都から兵だけを送ってくるのであれば力の限り戦え」と命じたと言う(『増鏡』)

この記述は、増鏡の成立時期や、公家側の記述という背景を考えて、「公家の願望」という説も有力である。

 しかし、これは見方を変えれば、武家社会が考える、リーダーの姿でもある。つまり

「(天皇や上皇が)自ら先頭に立って、皆を率いる場合は、
武士達は従う。しかし、部下任せなら従わない。」

と言う考えは、武士の多くは納得したのではないかと思う。

 現在でも、

「先頭に立つリーダーには従うが、
安全地帯から指示するだけの(名ばかり)リーダーは無視する」

ことが多いと思う。

 

2020年1月10日 (金)

日本文明の意思決定論

 昨日書いた、日本文明に関する話について、今回は意思決定の部分で議論していく。山本七平が指摘している、

「日本人の責任者不在形式」(雨傘連判状的持ち回り)

について、色々と思いついたことがある。ここで書いた、『雨傘連判状』というのは、江戸時代などの百姓一揆などで使った物で、関係者が署名する連判状を、円状に配置することで、筆頭者をなくし首謀者を隠す形式である。この理由は、百姓一揆の時には、領民全員を処刑することはできない。そこで、中心となった者だけを処刑する。それを防ぐ手段である。連判状に記載した者全てを処刑したら、大事件として幕府から責任追及される。しかし、雨傘連判状で、皆が一体と言い張れば、処刑すべき犠牲者が出せなくなる。このような仕組みである。

 しかし、山本七平が描いた、『責任者不在』の図式は、もう少し悪い。つまり、

「皆が責任逃れをしている」

形になっている。これを

「『空気』が発生してそれに皆が縛られている」

と表現している。

 確かに、明治以降の日本的意思決定には『空気』が発生して、それが暴走したという図式があった。そこで、このような『空気』発生のメカについてもう少し考えてみよう。まず、議論すべきことは

「多数が意見を言う形の意思決定は悪くない」
「特定の決定者に依存するのでなく多くの人の納得による決定はよい」

という日本的な慣行である。これを

「稟議と根回し文明」

という人もいるが、このような納得による物事の推進は『全員参加の力』を発揮しやすく、実現への力が大きい。ただし、この方式の運用において、

「間違ったときの反省と修正をきちんと行う」

という条件が満たされていないと、トラブル発生時にも

「惰性で止まらなくなってしまう」

弊害がある。

 この理由は、

「意思決定のプロセスや検討事項が明文化されていない。
決定の前提が明らかになっていない。」

ことが大きい。このような欠点を補うためにも、日本的意思決定についてもう少し深掘りする。(続く) 

2020年1月 3日 (金)

議論の正しい形について

 議論の正しい形について、年末に緒方貞子氏の業績を、たたえるテレビを見ていて思いついた。そこでは

「多くの人が自分の主張をする。」
これに対して
「リーダーは皆の言うことをきちんと聞く。」
その上で
「決断はリーダーが下し、皆に従わせる。」

と言う形で、しっかりした議論が行われていた。

 私は、これが議論の本当の姿だと思う。色々な見方から、多様な意見が出る。その主張自体はきちんと聞かれないといけない。しかしそれを採り上げるかどうかは別の問題である。採択の決定権は、リーダーにある。

 ここで大切なことは、参加者の姿勢である。

「参加の目的は、会議に貢献すことである。」

この大前提を忘れて、

「自分の主張だけする。」
「自分の主張が取り入れられないと不満に思う。」

と言う、参加者がいると創造的な議論は難しくなる。特に

「自分の意見が完全に受け入れられない限り反対する。」

妥協のない人間は、扱いに困ってしまう。

 なお、

「部分的にでも自分の意見を取り入れれば満足する。」

人は、ある程度は貢献する可能性もあるが、妥協的な議論となって、

「根本的な問題を解決できない。」

状況になる。

 このように考えると、

「議論の成立のためには、参加者の成熟が必要である。」

となるが、もう一つの道は

「リーダーが一人一人の意見をきちんと聞くことで個人としての尊重を示す。」
(意見の採択と個人としての尊重は別と示す)

ことも大切ではないかと思う。

 現在の国会答弁では、このような面がお互いに抜けているように思う。

 確かに、「総理の首取り」ばかりを狙う一部野党の質問に、真面目に付き合えというのは難しい物があるが・・・

2019年12月12日 (木)

物語としての伝承を超える

 このブログで何回か取り上げている、『物語としての伝承』は、総合的な視点での思考法を育てる有効な手段だと思う。しかし、これを使いこなす人財を育成するためには、もう一歩進むべきではないかと思う。

 私の現在のアイデアは、

『人格を生み出す』

ことである。

 その状況に応じて、適切な行動を取った人、その人と同じような考え方になる。その人の価値観や、それまでの経験的なモノを引き継ぎ、色々な状況で同じような行動をする。これは、

「XXさんがこの場にいたらどうしただろう」

と言う言葉と同じである。

 しかし、これは既に大乗仏教、特に密教では行われていることである。

 如来や菩薩そして明王の力、これを自分の中に観じ、ふさわしい行動をしていく。『慈悲』と言う概念を、皆を救う観世音菩薩で観じて、自分おなかに観音様を見いだす。

 このような発想で、理想的な人格をきちんと描き。その行動を自分が行えるようにする。この気持ちが必要ではないかと思う。

2019年12月 3日 (火)

就職氷河期の人の採用には履歴書に変えてスキル一覧などで対応すべきでは

 昨日書いた、就職氷河期の人たちの活躍の話について、履歴書の作成に関する問題の議論をもう少し深めるべきだった。

 私も昨日のブログを書いた後、履歴書の可否について、今仕事を求める人の気持ちを想像して考えてみた。そうすると、

「正規雇用経験がないので履歴書の欄が埋まらない。空白があるといけないのか?」

というためらいが出てくる。更に私も昔の経歴を整理するときには

「あのときXXに邪魔された。XXに潰された。」

等の怨念が浮かび上がってくる。私は、そうはいっても無事定年まで勤めることができたのだから、彼らと比べれば幸せである。そのように考えると、

『就職氷河期の被害者が履歴書に込める怨念』

はとても大きなモノとなってしまう。

 さて、このような悪いモノを出さないようにして、前向きに持って行くためには

『現在保有しているスキル一覧表』
『コンピテンシーを示す行動成果の事例集』

等を提出するようにしたらよいのではないかと思う。

 これを書けない人も多いと思うが、ハローワークなどの就活支援の部門で、相談者と一緒に今までの経験から身についたモノを抽出し、文書化する支援を行った行けば、当人の自己認識が変化し、前向きになる糸口になると思う。

 なお採用側目線で、コンピテンシーを引き出すBEI(行動に基づく面接)についてまとめた資料があるので参考にしてほしい。

 http://manabizz.c.ooco.jp/BEIshuhou.pdf

 http://manabizz.c.ooco.jp/new/?page_id=171

極端な話、この資料にあるBEI面接結果を自分と就活支援者で完成し、採用側に持ち込むのも一つの手段ではと思う。

 

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