ご縁のあった人たち

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2020年11月 8日 (日)

コロナ時代の新人研修について

 日経ビジネスの最新号が、「コロナ後の新人」と言う特集をしていた。

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/mokuji/00094/?i_cid=nbpnb_sfrec

 この中でも、新人研修のあり方の議論がある。

  https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00650/
  https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00652/
  https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00653/

私は、某電機メーカーで研修関係の仕事を、15年ほどしてきた。その時に悩んだ問題が、

「新人をどこまで枠にはめるか」

である。もう少し解説すると、

「個人の独創性を壊してはいけない」
しかし
「社会の約束事を守らない人間は、他人に受け入れられない」
そのためには
「ある程度の枠への当てはめは必要である」

と言うジレンマである。

 これをもう少し具体的に言うと、

「能力のある個性は伸ばしたい」
しかし
「それが、あまりにも周囲とぶつかり、壊れることは避けたい」

と言うのが一つの悩みである。もう一つは、

「それほどの力が無いのに、自分の独自性があると思い込んでいる人在の扱い」

である。またこの逆に

「自分の力に自信を持てない人財」

の問題もある。よくあることだが、『人罪』向けに言った言葉が『人財』にだけ響くと言うことが多くある。そこで、『人財』が萎縮し、『人罪』がのさばる。このような事態もある。研修の難しさは、このような社員の全体像を見た上で、個別の対応を考える必要がある点だと思う。

2020年10月14日 (水)

リーダーの行動に関して平時と非常時の違い

 リーダーの説明や、従属者の納得という議論は、時間的に余裕のある場合には有効である。しかし、災害時や戦場での、時間的な余裕がない場合には

「説明は後だ、命令に従え!」

という一方的な指示も必要になる。例えば、洪水時の避難指示などは、時間との勝負になる。このようなときリーダーには、意志決定の速さが必要能力となる。

 ただし、終わった後で、リーダーの指示内容について検証し、

「何故そのような意志決定が行われたか?」
「他の案はなかったか?」
「今後この方法でよいのか?」

を議論し、多くの人が納得いく説明を得る努力は必要である。

 さて、時間的に余裕のある場合には、多くの人が納得いくような説明をして、自発的に従わせるようにることは、単に命令に従わせるより得るものが大きくなる。例えば、空海が満濃池の工事を指導したとき、

「堰き止める場所は流れな緩やかな場所」
「堤の形は丸みを持たせる」

等を

「何故そうした方がよいか」

きちんと説明し、参加した大衆に

「これまでと違う!」
「よい見通しがあっての仕事!」

と成功への見通しを与えて、士気を高めている。

 このような、時間の余裕のある平常時には、

「できるだけ説明して納得させる効果」

が大事であリ、緊急時には

「時間的に間に合う意志決定と明確な指示」

が必要になる。

 この使い分けができる本当のリーダーを育てないと行けない。

2020年10月 1日 (木)

社会科学などの理論知識を生かすためのヒント

 一般に、理系の学問は、大学で学んだ知識が、社会に出てからも役立つことがある。例えば、モーターの制御などを考えても、三相交流として扱うためには種々の数学的知識が必要である。線形代数や複素数の知識が必要になる。しかし、文系の学問が、世の中に出てから役に立つかというと、なかなか難しいモノがある。法学関係の知識は、法律を理解するときに、法律・施行規則~判例の展開などで役立つかも知れないが、工学部と工業との関係のような直接的な結びつきが見えないことが多い。

 この理由に対して、私が見いだした仮説は以下の通りである。

「自然科学は、現実のモデル化に関して、皆の同意が得やすい」
しかし
「社会科学などでは、現実のモデル化は、理論の作り方で変わってくる」
言い換えると
「社会科学の理論は、一般的に成立するといえない」
逆に言えば
「社会科学の理論は、成立する条件を理解しないと使えない」

これは経済学などで、色々な論争が起こっている現状を見れば、

「どれが正しいか解らない?」

なる、混沌とした状況と言ってしまいたくなる。

 しかしながら、これらの理論は、ある程度の説明力はある。しかし、物理学の様な

「一般的に成立する」

とはいえない。そこで、

「理論知識を学ぶときには、その成立する前提も考える」

ことで、理論知識が使えるようになってくる。

 そのためには、『ヘイグの理論構築法』や、『ワラスの輪』などの方法論をしっかり学ぶことが重要ではないかと思う。

2020年9月28日 (月)

現在の経済的閉塞感を打破するには「神様」を生み出すのが一方法

 今朝の朝日新聞を見ていたら、

「最低賃金を政治で決める」

話が載っていた。確かに、このような規制は効果があるだろう。しかし、本質的な問題点は解決していないと思う。私が観るこの問題の本質は

  • 経営者側:「人件費抑制でしか利益を見いだせない」
  • 働く側: 「付加価値の高い労働ができていない」

がある。つまり、

「機械的なレイバーに対して、支払賃金を叩くことで利益を生む。」

この体での発想で経営が行われている。

  • 高付加価値のある製品やサービスを生み出し、提供することで利益を生む。
  • そのために人材を育成し大切にする

このような発想が生まれていない。これが経営側での、根本的な問題の一つだと思う。

 次に労働者側の問題だが、この問題には、

  • 全ての人が『高付加価値』の創造的な仕事で成果を出せるか?
  • それが難しいなら、使われる人を生かす管理職の育成は?

と言う問題になる。どこかで高付加価値を生み出す必要がある。それを、全員に丸投げせず、ある程度は絞った人材に、期待して

「XXの神様」

として大衆を指導していく。このような形がよいのではないかと思う。

2020年9月24日 (木)

デジタル化が進まない理由の一つはコンテンツ重視の体質にあり

 日本のディジタル化は、諸国の中でも遅れているらしい。この理由に関して、色々な観点から議論がされているが、私は日本教的な体質から、少し意見を言っておく。まず、日本教の体質は

  1. 上からの命令だけで動かない
  2. 多くの人たちが納得すると一気に動く

という面がある。これが、西洋文明的な「契約で縛られた」、共産主義などの「独裁者の命令に従わせる」世界とは根本的に異なっている。西洋文明では、リーダーシップというかたちで「命令に従う契約」を結べば、いやいやでも仕事が進む。また中国でも、中央からの目入れに無理矢理従わせる形で、新技術の導入は速やかに行われる。ただし、定着するかは別問題である。腹の中で逆らうのは、どちらにもある。

 さて、もう一つ日本の体質として、

「組織内での蓄積重視」

がある。これは企業内教育なども関連し、今までの前例重視という事で、紙の資料が残っている限りはそれに縛られるコトが多い。

 これは逆に、ディジタル化したコンテンツが充実すると、一気に仕事が変化する事がある。

 ディジタル化を議論するなら、コンテンツの充実に関しても、しっかり考えるべきだと思う。

 

2020年9月13日 (日)

実現のための専門的な智慧の働きについて

 昔書いた、「中間層を育てているか?」という記事に、アクセスがあったので見直してみた。

 当時は、管理職の育成に関して考えていた時期だったので、管理職の役割を中心に考えていた。今回は、理論検討側の立場で、中間管理職などの役割を考えてみた。今回の発想は、真言密教などの五智の発想である。五智とは

 https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E6%99%BA-65136

にある。

(1) 究極的実在それ自身である智 (法界体性智)
(2)
のようにあらゆる姿を照し出す智 (→大円鏡智)
(3)
自他の平等を体現する智 (→平等性智)
(4) あらゆるあり方を沈思熟慮する智 (
妙観察智)
(5) なすべきことをなしとげる智 (→
成所作智) の5つ。

大日如来の力を五つに分けたモノであるが、ここで実行段階の「成所作智」を独立させている。これは、唯識の教えなら、意識のレベルで考える、

「阿弥陀如来の理想的な浄土」
のあり方を、私たちがいる娑婆世界で
「実現するために方便を説くお釈迦様」

の力と理解できる。

 このように、実現するときに、現実に合わせる努力を分離し、

「とりあえず理想像を描く」

ことは、結構役立つ。現実の多様さに向き合いすぎると、いつまでも完成しない。ある程度見通しを立てて、実行時には状況に合わせて修正する。

 このような考えも重要である。

 そのためにも、中間層の活躍が必要である。

2020年9月 4日 (金)

動機付けに関して西洋文明と大乗仏教の文明の発想の違い

 昨日の続きで、動機付けについて、西洋文明的発想と、大乗仏教的発想の違いについて議論しておく。

 西洋文明的発想なら、動機付けならマズローの理論などが出てくる。

https://motivation-up.com/motivation/maslow.html

 しかしながら、この議論の根底には、貨幣経済社会などの西洋文明が前提にあり、しかも

「人間は神の智慧には及ばない」

という諦めがある。又、マズローの5段階説を見ても解るように、

「できるだけ単純な項目で考える」

という発想がある。

 しかし、現実社会をこのように単純化してみる発想がよいのだろうか?

 例えば、会社生活においてて、管理職になる動機付けを考えてみよう。

「出世したい」
「給与が上がる」
「他の皆に遅れたくない」

等の単純な理由だけで出生したがる人間は、どれほどいるだろう。

 管理職の重み、責任を感じたとき、色々な悩みがある。しかし、

「その部門の重要性」
「働いている人たちの個々人の立場」
「他の人間が管理者苦になるリスク」(不適切能力者のリスク)

等色々な事を考えて、悩んだ末に受け入れる人は、よい管理者になる可能性が高い。

 さて、ここで大事な事は、大乗仏教的な発想である。大乗仏教には

「誰もが仏の智慧を持っている」
「仏の智慧とは全てを自分のモノとし、衆生を我が子のように見る智慧である」
「この智慧で社会をよくすることができる」

という発想がある。少なくともキリスト教の

「神の世界への到達不可能限界」

とは別の、可能性を拓く発想がある。

 又、これと併せて、色々なモノを見るとき、具体的に多様な見方をする。例えば、管理職が部下を見るときも、

「契約した機能を果たす部下」

という見方が、西洋文明の経営学敵味方なら、日本的管理では

「個人としての生活のある部下」
「将来的な成長可能性のある部下」

等の、血の通った見方になる。

 こうした、実体観の上で、

「皆のためになる」

という動機付けを行うなら、強い力を得ると思う。

 もっと言えば、仏教では

「皆を救う」

という発願がある。この力は、西洋文明的なモノより強いのではないかと思う。

2020年8月29日 (土)

大企業文明に入っていてもトラブルはある

 先般書いた日本社会の課題の議論で、今回は

「大企業文明の恩恵に浴する場合」

について少し考えてみたい。この場合には

生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである

という議論が普通は成立する。つまり

「大企業の正社員は,生活保障がついている」

が暗黙の了解事項になっている。その代わり、就社であり,どこに飛ばされるか解らないが、生活は保障される。

 これが大企業所属の利点である。これは言い換えると

「大企業村の住人として面倒を見てもらう」

と考えてよい。

 そこでは、

「大企業文明に即したスキル蓄積も行う」

ことも仕事に含まれている。安心したスキル蓄積、経営側の教育投資が上手く回ると、日本企業の「高度技能集団」の力が発揮されるようになる。

 さて、このような大企業文明の恩恵だが、周辺では色々とトラブルが発生している。これは正社員登用とも絡むのだが、企業側の発想では

「正社員にしてやる」

という、上から目線が多くでている。しかし、実際の処遇において

「正規採用に及ばない場合が多々ある」

という状況が発生する。このとき、

「処遇改善された後の不満」

が結構重たくなる。パートタイマーから正規雇用になった人が、処遇に不満を言って退職する場合は少なくない。

 このような、大企業文明の管理職や既存社員側の思い上がり(?)は、少なからず見受ける。

2020年8月27日 (木)

社会の分断の一つの出方

 先日書いた、

一人のシングルマザーが、


「つい先ほど入った子と、同じ評価が腹が立つ」
つまり
「スキルの蓄積などが評価されていない」

という不満である。これをもう一歩踏み込むと

「人間として尊厳を持って扱われていない」

という不満になる。

という記事に関して、もう少し議論しておく。

 この問題を突き詰めると、

  1. パートタイマーの能力を認める
  2. パートタイマーはマニュアル通りの仕事だけすればよい

という異なる二つの姿勢に行き着く。

 

 私の個人としての組織運営方針は、

「誰もが人間としての力を認める」

であり、例えパートタイマーであろうと、

「スキルの蓄積効果は認める」
「意見を言う機会はあるし、よい意見は吸い上げる」

事を事項していた。スキル蓄積に対しては、ほんの少しでも時給を上げるなどをしていた。

 しかし、この考え方が、通用しない組織である場合も多い。一つの考え方は

「アメリカ式マニュアル世界」

である。彼らの発想には、レイバーとしての労働者を見ていて、自発性のあるワーカーやプレイヤーとしてみていない。もう少し言えば

「パートタイマー労働者には、レイバーしか期待していない」

という発想である。つまり、働く人間を階層化し

  1. 知的活動を行うワーカーやプレイヤー
  2. 知的活動を期待しないレイバー

を分断している。この発想は、軍隊組織における、士官と下士官以下の違いに一つの原型がある。士官たちは、命令受領時にも取引をする必要があるし、意見具申や緊急時の指揮権引き継ぎの対応が要求されている。一方、下士官は「命令に従う事のみを要求されている。この根拠として、

「知的能力の違い」

を色々と述べる事が多い。

 しかし、本当に知的な差があるのか?

 さて、もう一つの差別の原因は、

「日本社会の既得権保持機能」

である。

 これは、なかなかいやらしい問題を含むが典型は

「正社員だから偉い」

という発想である。正社員に採用されたという『既得権益』を守る。これは、『正社員共同体』で利益共有している。

 このような発想で、

「パートタイマーの分際で意見を言うなど許されない」
「スキル蓄積など認めない」

という行動を取る人がいる。これも悲しいかな現実である。ある本屋に行くと

「賢い店員がこちらの必要な本を直ぐ見つけてくれた」
彼女は
「何をおいたら売れるか、と話をしていた」

しかし私はある時見てしまった。

「そこの本屋の本部からきた、偉そうにしている『総合職』らしい人間に命令される彼女たち」

現場を知らず、客が待っているのに、従業員への話を優先する『本部職員』、このような店はだめだと思った。

 実際、私が買っていた従業員も直ぐに退めた。

 長く書いたが、パート社員に対する姿勢でも、色々なモノがあり、その根底にあるものを理解しておく事は大切だと思う。

 いわゆる『正義』で通用するものではない。

2020年8月26日 (水)

分断化した社会で罪悪感なしの優位に立てるか

 昨日書いた、キャリアアップ論などでは、一つ疑問が出てきた。それは、

「自分が優位に立つことへの疑問はないか?」
言い換えると
「罪悪感を持っていないか?」

である。

 実は、私自身の底流にこの疑問が存在する。遡れば、大学受験の発表時に、多くの同級生が落ちたとことを考え、

「サバイバーズギルト」

のような感覚を持ったことが、一つの発端である。

 後に判明したが、私の大学入学成績は、「合格最低点の一点違い」であった。その成績が私の人生を変えた。確かに大学で身に付けたモノは多く有り、それが後々の仕事でも生きている。少なくても会社生活においても、生涯賃金の数倍の利益を会社にもたらす貢献はしている。このあたりの経緯は

 「彼は成績しか取り柄がない」 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-3a9e4d.html
等に書いている。

 しかし、大学受験に失敗したとき、対人スキル不足の私が社会でどのような使いを受けただろう?この疑問は、時々私の心に浮かんでくる。これを言い換えると

「自分の給与に比べ、同様に働く協力会社や、非正規雇用の給与は十分といえない」
「自分は給与差だけの事ができているか?」

となる。確かに、技術の世界や、総合的判断では

「私の頭脳でしかできない」

と言い切れるときもあり、その時は少しは精神が落ち着いている。

 さてここで周りを見ると、どうもこの問題でおかしくなっている人が少なくないように思う。

「XXの正社員」

という事だけを振り回し、マウンティングする人間がいかに多いか、更に言えば

「昔成績がよかった」
「XXに合格した」

という、一時期の成果を盾に優位を維持しようとする。

 このような人が少なくないように思う。

 そうして、彼らの多くは、一緒に仕事をしている人間の、恨みなどを買っている。その力が働くかどうか解らないが、私が見るところ

「分不相応な出世した人間の早死には少なくない」

という状況がある。多くは酒などの結果、成人病で体を壊す者が多い。

 この問題に対して、昨日のように理屈を付けて、逃げる事ができるのだろうか?私は、日本人には難しいように思う。

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