ご縁のあった人たち

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2020年6月27日 (土)

ステークホルダーに関する議論

 株主総会シーズンが終わりつつある。そこで、

「会社は誰のモノ」

という議論が、出てくる。前は

「株主最優先」

だったときもあったが、今は、

「従業員、お客様、地域への貢献、株主」

等等を考慮しないといけないという議論になっている。

 これを、MBA等の理論では

「ステークホルダーの利害関係を調整しろ」

という言い方で、関係者を列挙し、利害関係を明らかにし、譲れるモノと譲れないモノを明確にすることで、調整していく。

 一方、我が国には

「売り手よし、買い手よし、世間よしの、三方よし」

という言葉がある。この違いは、氷山モデルの議論の実例となっている。

 確かに理論化するときには、全てを列挙する必要があるだろう。ただし、日本教的な、

「その場を想像した議論」

では、人や社会のイメージで、十分伝わっているように思う。

2020年6月23日 (火)

リーダーシップに関する『日本教』と西洋文明

 『日本教』のリーダーシップは、支配される人々の知性に、ある程度の信頼を置いている。これは、

「話せば解る」

という聖徳太子以来の伝統である。

 しかし、西洋文明においては、支配者が全てを決めて、支配される人間は

「言われたことだけする」

という発想がある。これを歴史的に見ると、

「奴隷を使っていた伝統」

が一つの相違点ではないかと思う。西洋文明には、侵略し支配し、場合によっては奴隷にする、という伝統がある。この違いが、リーダーシップの違いに出ていると思う。

 さて、『日本教』的なリーダーシップのよいところと悪いところを考えてみよう。

 よいところは、全員参加の力である。特に参加者個々人が、弱い力でも色々と貢献することで、全体としてまとまる成果は大きい。一方、悪いところは、不適切(無能)なリーダーでも、惰性で務まる場合があることである。今までの延長なら、皆に任せてそのままで行けばよい。このような状況で、ずるずる壊れる例は少なくない。

 ただし、『日本教』のリーダーでも、全体像を示して、皆を納得させることができるなら、新しい世界へ導くことも可能である。

2020年6月21日 (日)

病気と後天的なモノの違いについて

 先日、HSPについて、解説資料を読んだ。この人たちの状況に関連して、発達障害者の過剰適応の問題がある。

 両者は、

「人に対して気を使いすぎる」

という外見的な症状では、同じ様に見えるかもしれない。しかし,脳内の構造は全く違っている。

 HSPの人は、そもそも感受性が高い、いわば高感度センサー所有であり、センサーの敏感さに対して、フィルターをかける必要がある。

 一方、過剰適応者の場合には、センサーの感度は高くない,それどころか低いことを自覚しているので、その後での脳内の処理が活発に働き何とか補おうとする。その結果、頭の働きか過剰になって疲れてしまう。

 さて、このような人々に対しては、対応が同じで善いのだろうか?

 まず、HSPに対しては、「ある種の病気」と言うことで治療という感じになる。薬での治療などという話になると,周囲の理解も得やすくなる。

 一方、過剰適応者に関しては、後天的に身についたモノだから、訓練等で何とかならないかという発想がある。このとき周囲の目が、

「努力すべき」

と厳しくなる場合がある。

 この違いについて、もう少しよい答えがほしいが,どうも出てこない。

2020年5月29日 (金)

進化する伝説の力

 昨日書いた、テレワークの成功条件に関して、「伝説」の有効性について、もう少し補足しておく。

 確かに、「伝説のXX」という存在や、逸話は多くの人たちの心を向けるには有効である。しかし、「伝説」の危険性をしっかり認識しておかないと行けない。それは、

「時計が止まった人」

になってしまう危険性である。これは極端な事例では、

  • 儒教の「古代の聖人の政治」
  • ある会社の「創業者の伝説」

等の例がある。そのように過去の事例を美化し、それだけしかないと進化がなくなる。

 もう一つの問題は、

「伝説を作る負荷の問題」

である。物語を描くというのは、結構な負荷が必要になる。それも個人のスキルに依存する。このような配慮も必要である。

 しかし、既に良い事例がある。

「トヨタの進化する官僚主義」

である。彼らは規則を作成するという負荷を、きちんと吸収しながら、規則と現実の乖離をなくすため、毎日修正している。このような発想で、伝説も修正すべきである。

2020年5月28日 (木)

テレワークの成功条件(持続可能性)

 新型コロナウイルスの影響で、テレワークが推進されている。この働き方は、現在のネット環境やIT技術を考えれば、しばらくは効果があると思う。ここで

「しばらくの効果」

と表現したことに注意してほしい。私の会社員生活は既に前世紀期が大部分だが、このテレワークに発生する問題点を、経験している。それは、

「関係部門への配慮不足」

という問題である。これは大きく分けて、パソコン画面やタブレット画面、極単にはスマホ画面の制約という一面と、組織の横などへの配慮不足などから発生するモノである。しかもこのトラブルは、

「世代交代してから発生する」
または
「まれなトラブル時に発生する」

傾向がある。通常上手く流れているときは、限られた範囲の情報伝達で良い。また色々な経験をした人間が、分散しているときには、それなりの配慮をする。現在なら、メールの写しを入れておくし、その写しに目を通すという配慮もあるだろう。

 しかし経験が無くなった世代が働き出すと、このような写しなどには反応しなくなる。

 こうした状況を考えると、テレワークの成功のためには以下の方策が必要ではないかと思う。

  1. 全体を見て交通整理を行う管理者スキルの育成
  2. 全体像を皆で共有する「物語(伝説)」やゲームなどの作成

2020年5月 2日 (土)

医療崩壊を防ぐためにできること

 今回のコロナ危機においては、まずは医療現場を崩壊させない、これが第一優先だろう。さて、このような危機管理においては、人材の枯渇を防ぐ必要がある。特に今回のような長期戦なら、交代要員の確保も重要である。前にこのブログでも書いたが、学生などの動員や、訳あり有資格者の復帰支援などは、行政的にも考えるべきであろう。

 さて、この問題に関して、

ある病院が、防護服の不足の危機に対して、簡易の防護服の作り方を紹介

と言う記事を見た。

 この記事に対して、多くの支援が寄せられたことは良い。しかし、

多忙な医療従事者にこのような作業をさせて良いのか?

という問題提起がなかった。この問題に関しては、大阪では

知事や市長が声を出し、簡易の防護服としての雨合羽提供!

を呼びかけている。つまり大阪では現場をよく知っている首長が

「医療従事者でなくてもできることはできるだけ支援する」

ことをきちんと行っている。

 このような、人材不足になりそうなときには、

「資格保有者でなくてもできる支援作業者を手当てする」

と言う対策は、管理の基本であり、現在の医療機器に対しては考慮すべきモノである。

 例えば、事務作業や、色々なサポート業務の見直しを行い、資格保有者でなくても対応できる部分は、できるだけ支援を行う。特に、現在多くの分野で仕事の負荷が減少している。この状況を考えて、

「ベストの力でなくても何らかの支援のできる人材」

をかき集めることも考える価値があると思う。

 また、後方支援も考えるべきだろう。医療従事者の家族のサポートなどは、平常時とは異なる手厚いサービスが必要となる場合もある。例えば、シングルマザーの看護師にも、超過勤務をお願いするなら、子供に対するサポート要員の手配なども効果がある。これを、飛行機が飛ばないで待機しているCA等、対人力の長けた人材にお願いするのも一つの手だろう。

 こうした管理手法を用いて、行政のトップから支援を行うのが良いのか、一般のボランティアに依存する日本的解決が良いのか、両面が必要だと思う。

2020年4月21日 (火)

感性が鈍いから改善ができない

 昨日書いた,人間への感性について、もう少し話を一般化して考えてみた。

 色々な物事に対して、

「微細な違いを感じる力があるか?」
と言う問題は
「成長を見いだす力」

と関連している。学校教育のように

「決められた教材をこなすことでの成長」

ならば,このような微細な感性はいらないかもしれない。もう少し言えば

「教材の中に確認事項が入っているので成長が解る」

と言う仕組みがある場合も多い。

 しかしながら、新しい分野を切り開くときや、自力で成長するときには

「自分で成長したことを評価」

しないといけない。このためには

「できるだけ細かな成長・改善を感じる力」

があれば、段階的な成長が可能となる。感性が鈍い場合には

「大きな違いが出る場合しか解らない」

ために、小さな改善の積み重ねができなくなってしまう。

 日本企業が,改善上手だったのは,このような

「小さな進歩を確実に認める」

現場の指導者の力が大きいのではと思う。

 実は私自身、大学を離れたとも、個人的に色々と考えていた。しかし、大学の指導者との関係が密では無かったため、論文としてまとめるとき,どうしても大技を狙ってしまった。この結果、最後まで書けなかった悔いが今も残っている。

2020年4月 4日 (土)

新規の仕事について お茶くみ の意味づけ

 新年度に入って、新しい仕事についたり、仕事が変わる人も多いと思う。

 さて、ここで新人が「お茶くみ」等の、いわゆる「雑用」と思う仕事をさせられることは少なくない。しかしながら、

「お茶を出す」

ことの価値をどれほど考えているだろう。

 お客様にお茶を出す、これは

「お客様に対する歓迎の意思表示」
であり
「お客様に好意を持ってもらう最前線の仕事」

である。このような気持ちが第一である。一方、もう一つの意味がある。それは、

「お茶を出す機会にお客様に触れる」

ことである。これは良い人財に触れる機会でもあるし,自分が人を見る目を磨く機会でもある。

 こうして人を見る芽が出てくると

「お茶を出すプロ」

としての仕事が出てくる。私の経験で参考にしてほしい。

 私は、対人スキルにおいて、自信が無い面がある。そこで、他人の評価を大事にしている。だから,会社勤めの時は、来客時には一番信用のおける部下に,「お茶出し」をお願いすることが多い。彼女も心得ているので,私が接客しているとき、適当なタイミングでお茶を出してくれる。

 その後、何か気になることがあれば、二人きりの時率直に意見を言ってくれる。通常は何も言わないことで、

「あの人は大丈夫」
「今の対応で良いと思います」

と言うメッセージが送られてくる。

 特に私が迷っている時には

「私もあの人は難しい」

と正直に言ってくれることで、自分の気持ちが晴れることもある。

 このようなお互いを大事にしている環境では、一つ一つの仕事に深い意味が出てくるだろう。

2020年4月 2日 (木)

『許す』をいう資格があるか?

 今まで書いている、『反省』の話に関連して、過去に他人から受けた諸々の被害について

「許すことができるか?」

と言う問題が出てくる。

 過去のトラブルは、自分の原因だけでなく、他人の原因が絡むことは少なくない。更にその場面場面で、悪意ある対応をされることも少なくない。そのような

「心の傷を与えた相手のことをもいだした」

場合に、それを『許す』ことができるだろうか?

 単に、記憶の外に押しやる。これは、色々な体験を積めば、その問題は矮小化されるので、どうでも良いことになるかもしれない。しかし、無理矢理記憶の底の追いやることは、後で爆発する可能性がある。

 更に言えば

「強制された許し」
「こだわるななどの強制」

で、心の持つエネルギーを押さえ込むことは良いことだろうか?

 確かに

「復讐心を暴走させる危険性」

はある。しかしながら押さえ込みすぎることも行けない。

 この問題に関して、私の経験で思うことがある。

 30年ほど前だが、私は会社、グーループリーダーという立場であった。上司のN課長とは上手くいっていない。グループの業務計画などは、私の責任だが、N課長の色々な介入があり、しかも新技術開発という『華のあるの仕事』は、後輩のSが担当していた。なお若手の、M子が私のグループにいた。私はグループ内の負荷計画はきちんと行っていたが、Sの開発関係は、口出しができなかった。

 さて、ここでM子が結婚することになった。しかし、私はそのことを最後まで知らされなかった。私の計画は、1年程度の含みと6ヶ月の見通しを土台にしているので、結婚休暇なども6ヶ月前には教えてほしかったが、N課長とM子の意見で最後まで知らされなかった。なお、M子の結婚式には、N課長と、Sは呼ばれたが、私にはお呼びがかからなかった。

 この話で

「私を馬鹿にしたN課長、M子に対しての怒り」

は、当時は業務多忙で生まれなかった。当時の私は色々あり、感情が死んでいたのだろう。

 しかし、その後この怒りの心は、時々再発し、私を苦しめることになる。もう少し社内事情を言うと、M子の結婚相手は社内の人間であり、彼は私より出世している。(大手電機メーカーの幹部)

 このような、会社尺度では、私は

「部長にも成れない負け犬」

であり、会社序列では

「許す」

等という資格はない。しかし会社の中では

「出世された方に不満を言ってはいけない」

と言う風も吹いてくる。このような強制された『許し』が本物であるわけはない。

 ただし、

「会社の出世などは人生の一部」

と心から思えるようになった時には、このような問題も矮小化していった。

 しかし、

「現在は強制されて『許す』」

と言わされている人が多いように思う。

2020年2月27日 (木)

支配者の指導力について

 私が考えている『日本教』は、

「神様は全て観て導いてくれる」

と言う根本的な教義(信仰)に支えられている。これは、西洋文明における、プラトンの『国家』が描く

「哲学者の指導」

にも共通するモノがある。ただし、プラトン以降の西洋文明は、『人間の到達不可能世界』への諦めがある。一方、日本においては、大乗仏教が六世紀に入り、小乗仏教の『彼岸への憧れ』を経由せずにいきなり『仏の智慧を得る』ことができると、

「完全な指導ができる」

と、純真な子供のように信じてしまう傾向がある。

 さて、今回は、このような指導者の力について、考えてみたい。皆は指導者に何を求めるか?

「暮らしを維持しできれば良くしてほしい」

これが一つの答えである。そのためには

「一般大衆よりもよくわかっている」

必要がある。この力の候補を考えてみると

  1. 今までの経験
  2. 経験の伝承知識
  3. 思考能力による推論・洞察
  4. 経験の一般化・応用能力
  5. 想像した世界での物語作成(シミュレーション)

等がある。プラトンは、3.の思考能力を重視した。確かに当時の幾何学の論証力は、従来の経験的な知恵を超える一般性を持ち、多大な成果を生んだ。一方、仏教の推論は、比喩的なモノ・現実的なモノが主体であり、西洋文明のような科学の世界を生み出すことは難しい。

 しかし、『法界を自ら造る』力が、人にもあると言うことで、5.想像した世界で物語を作り、展開できる力が人間にある。この力で人を導ける、と言う発想はあると思う。この問題は、もう少し深める価値があると思う。

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