ご縁のあった人たち

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2020年9月13日 (日)

実現のための専門的な智慧の働きについて

 昔書いた、「中間層を育てているか?」という記事に、アクセスがあったので見直してみた。

 当時は、管理職の育成に関して考えていた時期だったので、管理職の役割を中心に考えていた。今回は、理論検討側の立場で、中間管理職などの役割を考えてみた。今回の発想は、真言密教などの五智の発想である。五智とは

 https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E6%99%BA-65136

にある。

(1) 究極的実在それ自身である智 (法界体性智)
(2)
のようにあらゆる姿を照し出す智 (→大円鏡智)
(3)
自他の平等を体現する智 (→平等性智)
(4) あらゆるあり方を沈思熟慮する智 (
妙観察智)
(5) なすべきことをなしとげる智 (→
成所作智) の5つ。

大日如来の力を五つに分けたモノであるが、ここで実行段階の「成所作智」を独立させている。これは、唯識の教えなら、意識のレベルで考える、

「阿弥陀如来の理想的な浄土」
のあり方を、私たちがいる娑婆世界で
「実現するために方便を説くお釈迦様」

の力と理解できる。

 このように、実現するときに、現実に合わせる努力を分離し、

「とりあえず理想像を描く」

ことは、結構役立つ。現実の多様さに向き合いすぎると、いつまでも完成しない。ある程度見通しを立てて、実行時には状況に合わせて修正する。

 このような考えも重要である。

 そのためにも、中間層の活躍が必要である。

2020年9月 4日 (金)

動機付けに関して西洋文明と大乗仏教の文明の発想の違い

 昨日の続きで、動機付けについて、西洋文明的発想と、大乗仏教的発想の違いについて議論しておく。

 西洋文明的発想なら、動機付けならマズローの理論などが出てくる。

https://motivation-up.com/motivation/maslow.html

 しかしながら、この議論の根底には、貨幣経済社会などの西洋文明が前提にあり、しかも

「人間は神の智慧には及ばない」

という諦めがある。又、マズローの5段階説を見ても解るように、

「できるだけ単純な項目で考える」

という発想がある。

 しかし、現実社会をこのように単純化してみる発想がよいのだろうか?

 例えば、会社生活においてて、管理職になる動機付けを考えてみよう。

「出世したい」
「給与が上がる」
「他の皆に遅れたくない」

等の単純な理由だけで出生したがる人間は、どれほどいるだろう。

 管理職の重み、責任を感じたとき、色々な悩みがある。しかし、

「その部門の重要性」
「働いている人たちの個々人の立場」
「他の人間が管理者苦になるリスク」(不適切能力者のリスク)

等色々な事を考えて、悩んだ末に受け入れる人は、よい管理者になる可能性が高い。

 さて、ここで大事な事は、大乗仏教的な発想である。大乗仏教には

「誰もが仏の智慧を持っている」
「仏の智慧とは全てを自分のモノとし、衆生を我が子のように見る智慧である」
「この智慧で社会をよくすることができる」

という発想がある。少なくともキリスト教の

「神の世界への到達不可能限界」

とは別の、可能性を拓く発想がある。

 又、これと併せて、色々なモノを見るとき、具体的に多様な見方をする。例えば、管理職が部下を見るときも、

「契約した機能を果たす部下」

という見方が、西洋文明の経営学敵味方なら、日本的管理では

「個人としての生活のある部下」
「将来的な成長可能性のある部下」

等の、血の通った見方になる。

 こうした、実体観の上で、

「皆のためになる」

という動機付けを行うなら、強い力を得ると思う。

 もっと言えば、仏教では

「皆を救う」

という発願がある。この力は、西洋文明的なモノより強いのではないかと思う。

2020年8月29日 (土)

大企業文明に入っていてもトラブルはある

 先般書いた日本社会の課題の議論で、今回は

「大企業文明の恩恵に浴する場合」

について少し考えてみたい。この場合には

生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである

という議論が普通は成立する。つまり

「大企業の正社員は,生活保障がついている」

が暗黙の了解事項になっている。その代わり、就社であり,どこに飛ばされるか解らないが、生活は保障される。

 これが大企業所属の利点である。これは言い換えると

「大企業村の住人として面倒を見てもらう」

と考えてよい。

 そこでは、

「大企業文明に即したスキル蓄積も行う」

ことも仕事に含まれている。安心したスキル蓄積、経営側の教育投資が上手く回ると、日本企業の「高度技能集団」の力が発揮されるようになる。

 さて、このような大企業文明の恩恵だが、周辺では色々とトラブルが発生している。これは正社員登用とも絡むのだが、企業側の発想では

「正社員にしてやる」

という、上から目線が多くでている。しかし、実際の処遇において

「正規採用に及ばない場合が多々ある」

という状況が発生する。このとき、

「処遇改善された後の不満」

が結構重たくなる。パートタイマーから正規雇用になった人が、処遇に不満を言って退職する場合は少なくない。

 このような、大企業文明の管理職や既存社員側の思い上がり(?)は、少なからず見受ける。

2020年8月27日 (木)

社会の分断の一つの出方

 先日書いた、

一人のシングルマザーが、


「つい先ほど入った子と、同じ評価が腹が立つ」
つまり
「スキルの蓄積などが評価されていない」

という不満である。これをもう一歩踏み込むと

「人間として尊厳を持って扱われていない」

という不満になる。

という記事に関して、もう少し議論しておく。

 この問題を突き詰めると、

  1. パートタイマーの能力を認める
  2. パートタイマーはマニュアル通りの仕事だけすればよい

という異なる二つの姿勢に行き着く。

 

 私の個人としての組織運営方針は、

「誰もが人間としての力を認める」

であり、例えパートタイマーであろうと、

「スキルの蓄積効果は認める」
「意見を言う機会はあるし、よい意見は吸い上げる」

事を事項していた。スキル蓄積に対しては、ほんの少しでも時給を上げるなどをしていた。

 しかし、この考え方が、通用しない組織である場合も多い。一つの考え方は

「アメリカ式マニュアル世界」

である。彼らの発想には、レイバーとしての労働者を見ていて、自発性のあるワーカーやプレイヤーとしてみていない。もう少し言えば

「パートタイマー労働者には、レイバーしか期待していない」

という発想である。つまり、働く人間を階層化し

  1. 知的活動を行うワーカーやプレイヤー
  2. 知的活動を期待しないレイバー

を分断している。この発想は、軍隊組織における、士官と下士官以下の違いに一つの原型がある。士官たちは、命令受領時にも取引をする必要があるし、意見具申や緊急時の指揮権引き継ぎの対応が要求されている。一方、下士官は「命令に従う事のみを要求されている。この根拠として、

「知的能力の違い」

を色々と述べる事が多い。

 しかし、本当に知的な差があるのか?

 さて、もう一つの差別の原因は、

「日本社会の既得権保持機能」

である。

 これは、なかなかいやらしい問題を含むが典型は

「正社員だから偉い」

という発想である。正社員に採用されたという『既得権益』を守る。これは、『正社員共同体』で利益共有している。

 このような発想で、

「パートタイマーの分際で意見を言うなど許されない」
「スキル蓄積など認めない」

という行動を取る人がいる。これも悲しいかな現実である。ある本屋に行くと

「賢い店員がこちらの必要な本を直ぐ見つけてくれた」
彼女は
「何をおいたら売れるか、と話をしていた」

しかし私はある時見てしまった。

「そこの本屋の本部からきた、偉そうにしている『総合職』らしい人間に命令される彼女たち」

現場を知らず、客が待っているのに、従業員への話を優先する『本部職員』、このような店はだめだと思った。

 実際、私が買っていた従業員も直ぐに退めた。

 長く書いたが、パート社員に対する姿勢でも、色々なモノがあり、その根底にあるものを理解しておく事は大切だと思う。

 いわゆる『正義』で通用するものではない。

2020年8月26日 (水)

分断化した社会で罪悪感なしの優位に立てるか

 昨日書いた、キャリアアップ論などでは、一つ疑問が出てきた。それは、

「自分が優位に立つことへの疑問はないか?」
言い換えると
「罪悪感を持っていないか?」

である。

 実は、私自身の底流にこの疑問が存在する。遡れば、大学受験の発表時に、多くの同級生が落ちたとことを考え、

「サバイバーズギルト」

のような感覚を持ったことが、一つの発端である。

 後に判明したが、私の大学入学成績は、「合格最低点の一点違い」であった。その成績が私の人生を変えた。確かに大学で身に付けたモノは多く有り、それが後々の仕事でも生きている。少なくても会社生活においても、生涯賃金の数倍の利益を会社にもたらす貢献はしている。このあたりの経緯は

 「彼は成績しか取り柄がない」 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-3a9e4d.html
等に書いている。

 しかし、大学受験に失敗したとき、対人スキル不足の私が社会でどのような使いを受けただろう?この疑問は、時々私の心に浮かんでくる。これを言い換えると

「自分の給与に比べ、同様に働く協力会社や、非正規雇用の給与は十分といえない」
「自分は給与差だけの事ができているか?」

となる。確かに、技術の世界や、総合的判断では

「私の頭脳でしかできない」

と言い切れるときもあり、その時は少しは精神が落ち着いている。

 さてここで周りを見ると、どうもこの問題でおかしくなっている人が少なくないように思う。

「XXの正社員」

という事だけを振り回し、マウンティングする人間がいかに多いか、更に言えば

「昔成績がよかった」
「XXに合格した」

という、一時期の成果を盾に優位を維持しようとする。

 このような人が少なくないように思う。

 そうして、彼らの多くは、一緒に仕事をしている人間の、恨みなどを買っている。その力が働くかどうか解らないが、私が見るところ

「分不相応な出世した人間の早死には少なくない」

という状況がある。多くは酒などの結果、成人病で体を壊す者が多い。

 この問題に対して、昨日のように理屈を付けて、逃げる事ができるのだろうか?私は、日本人には難しいように思う。

2020年8月25日 (火)

安易なキャリアアップ論にだまされてはいけない

 昨日書いた、「日本社会の課題」について、もう少し議論していく。

 今回は、私が安易なキャリアアップ論に反対する理由を述べておきたい。 

小熊は3通りの解決案を提示している。

  1. 生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである
  2. 「同一労働、同一賃金の原則」からして、同じ仕事なら給与は変わらない。不満があるなら、資格取得や学位取得でキャリアアップすべきである。
  3. この問題は、社会としての生活保障として考えるべき事である

私が反対するのは、生活苦のシングルマザーに対して、安易にキャリアアップが対策という上記2.の姿勢である。

 このような、キャリアアップ論は、どちらかというと、アメリカの自由競争社会的な発想から持ち込まれる事が多い。さて、アメリカというか、西洋文明をきちんと見ると、彼らの発想は私たちと根本的に違う面がある。それは

支配者と被支配者の峻別の伝統
奴隷制度を長く続けた伝統

である。私たち日本人には、根底に大乗仏教の

「皆が仏になる」
という
「究極の平等思想」

がある。一方、西洋文明には

「優れた者が支配する」

という発想があり、場合によっては、

「科学的知見を総動員しても、自分たちが優れていると保証」
例えば、進化論を使うなど

することで、支配の合理化を図っている。

 このような観点で、キャリアアップ論を見ると、

「学位や資格で、支配を正当化」

という発想が見えてくる。

 私が反発するのは、このような支配のための理屈づけとしての、安易な議論である。

 更にこの議論の危険な点は、

「現実的に実現不可能」

な点である。実際に生活苦であえいでいる人が、資格取得の勉強や、学位のために通学などできるだろうか?奨学金などと云っても、またもや謝金を背負うだけになってしまう。このようなリスク負って、時間とお金の投資ができるだろうか?

 確かにチャンスはある。そこで

「機会の平等は与えている」

という、言い訳はできるだろう。しかし、これはあくまで言い逃れであり、他人を低賃金でこき使っている立場の弁解に過ぎないように思う。

 私が、安易なキャリアアップ論、特に「大学で学び直せ」論に反発する理由の一つこれである。

2020年8月24日 (月)

日本社会の課題

 前に書いた小熊英二の「日本社会の仕組み」の終わりに大事な問題提起がある。

一人のシングルマザーが、

「つい先頃入った,高校生のバイトの子と、自分の給与がほとんど違わない」

という不満をもった

これに対して、小熊は3通りの解決案を提示している。

  1. 生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである
  2. 「同一労働、同一賃金の原則」からして、同じ仕事なら給与は変わらない。不満があるなら、資格取得や学位取得でキャリアアップすべきである。
  3. この問題は、社会としての生活保障として考えるべき事である

私は、この問題に関しては、色々な切り口があると思う。

 まず、この問題に関して、訴えてきた人の不満には、二つの側面がある。これを混同してはいけない。

  1. 生活苦の側面
  2. スキル評価がされていない側面

これをもう少し突っ込むと、まず生活苦という面では、「シングルマザーの子育て」のために必要な、金銭収入確保ができているか、という議論である。これは、小熊も指摘している、「大企業文明の給与には、生活保持の側面」があった。しかし、パート労働者などにはその配慮がないという問題である。言い換えると、

「給与だけで生活できる社会になっていない」

という問題である。

 一方、もう一つ別に、働く人のプライドというか、動機付けの問題がある。

「つい先ほど入った子と、同じ評価が腹が立つ」
つまり
「スキルの蓄積などが評価されていない」

という不満である。これをもう一歩踏み込むと

「人間として尊厳を持って扱われていない」

という不満になる。

 この両面を考えて、議論すべきではないかと思う。

 なお、私は上記解決案の2.の姿勢には、強く反対する。この点については、長くなるので別途議論したいが、日本教の根本思想である、皆が平等という発想と、アメリカなど奴隷社会の伝統のある、支配/被支配文明に対して、根本的な反発が根底にある。

2020年8月 8日 (土)

勝利の確保と言うこと

 昨日書いた、記事に関連して、もう少し議論しておく。今回は、海軍の発想と陸軍の発想という観点で、もう少し考えてみたい。なお、今回考える軍隊は、戦前の日本陸海軍を想定している。もう少し言えば、

  「日露戦争で発想が止まった軍隊」

である。つまり

  • 海軍は日本海海戦
  • 陸軍は奉天の戦いか旅順の攻略戦

というレベルの発想で進化が止まった軍隊である。こうしてみると

  • 海軍の場合は、相手の船が沈めば終わり
  • 陸軍の場合には、相手が逃げれば、それを追う

という違いがある。つまり、

  「陸軍の方が継続的な戦いになる」

ということである。一発勝負で、相手の艦船を多く沈めた、日本海海戦は、内外に日本の勝利をアピールした。この功績は大きいが、発想として

  「一発勝負重視」

という偏りがでてしまう。

 一方、陸軍の戦いは、相手を撃退し進軍したら、その場できちんと足場を固め、次の準備をしないといけない。また必要に応じて、繰り返しの攻撃も必要になる。そのためには、戦う人材をきちんと確保することも、戦争指揮には大切なことである。

 このように考えると、

  「海軍善玉、陸軍悪玉」

という単純な発想がおかしいことがよくわかる。

 一つの戦いで勝利したら、その後の足場をきちんと固め、次の戦いの準備をする。このような、継続的な戦い方が大事であり、一発勝負に全てをかける発想は危険である。 

 

2020年8月 3日 (月)

一本道の人材育成の限界 

 現在の人材育成の多くが、一本道というか、単一価値観で動いている。

 学校なら、良い成績で、企業なら、利益をあげて出世、という感じである。

 しかし、学校教育で、志望校に入れな人はどうなるだろう。会社で、出世と言われても、課長のポストは一つしかない。数年の盥回しはしても、恩恵を受ける人数は限られている。このように、単一路線で煽っておいて、

「あなたのポストはありません」

と言われても、おかしくなるだろう。

 一方、単一路線で、1度も挫折感を経験しない人間も、何か怖いものを感じる。一部の霞ヶ関官僚にも、それを感じる。

 例えば、前の東京都知事M氏が、有るテレビ番組で、

「国家公務員の成績優秀者を連れていったので、都の役人の反発を買った。彼らは、(東大の)成績が劣ったので国家キャリアになれなかったコンプレックスがある」

と言っていた。

 このように、大学の成績という、一本尺度しかない人間が国を動かして良いのだろうか。

2020年8月 2日 (日)

効率的な部分をどの程度とすべきか

 現在の社会の歪みの原因の一つは、一本道の学校教育である。

 「良い大学に入り、大企業に正社員で入る」

この単一価値観で頑張っている。

 この動機付けが成功する場合もある。

 現実に、日本の大企業はそれなりの成果を出し、踏み止まる。

 しかし、この流れからこぼれた人間が、存在する。この人達の救済と、従来型の良いとこの、両面を生かす政策が必要である。

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