ご縁のあった人たち

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2019年7月 8日 (月)

管理職の育成に関して経験談

 先日から書いている、ピーターの法則と管理職の問題に関して、私の経験を述べておく。

 まず個々人の状況を考えた管理に関しては、私は『女性部下』との対応で、二つの大きな経験をした。一つは1980年代に、ソフトウエア関連の子会社に出向し、若くして部下を持った経験である。当時、私の部下には女性が多くいた。彼女たちに主担当として仕事をさせたが、そこで壁になったのが当時の労働基準法である。厳しい残業制限のため、実質残業を考慮した工程を組むことは難しかった。一方に当時の空気は、

「24時間戦えますか」

と言う発想であり、私にも

「男の部下に仕事をさせて、もっと成果を出せ」

と圧力がかかった。私個人は、『滅私奉公』は嫌いだったので、仕事の標準化や与え方の工夫で、なんとか対応する方法をとった。

 また、2000年代には、別の仕事に転籍し、シングルマザーの契約社員や、家族持ちのパート社員の部下を持つことになり、彼女たちの状況に配慮した、仕事の与え方を工夫した。

 これらの経験から、

「部下に丸投げせずに、できるだけ仕事と個人のマッチングをはかる管理は可能である」

と思うし、このような管理者の育成もできると思う。ただし、完全な計画通りの仕事の遂行は難しい。トラブルは必ず起こるので、その対応力も併せて育成する必要がある。このような訓練を管理者の予備群に行うことが大切だと思う。

 ただし、私もピーターの法則を絵に描いたような上司の下にいたことが何度かある。

 ・このような上司を、排除し自分が取って代わるべきだったか?
 ・当時の私が課長業務を無事務まったか?

 これを考えると、部下の立場で不満を言うだけの人間にも否定的であるが、その救いをどうすればよいのか、未だ完全な答えは出ていない。

2018年6月21日 (木)

児童虐待についての議論その2(親と社会の問題)

 昨日書いた、児童虐待の話の続編として、今回は原因側の議論をしたい。
 まず虐待の原因は、親の問題である。この点については、既に色々と言われているが、特に注目すべきは、
 「親自身が子供の時に虐待を受けていた場合」
である。昨日も書いたが、虐待を受けた子は、対人スキルが弱かったり、愛情について解らないで育つことがある。そのような状況で親になったとき、子供に対して接し方が判らず、虐待になることがある。このような、悪循環を防ぐためにも、子供に対する支援は必要である。
 https://www.dear-bae.com/  <=戦慄かなのさんの活動
 さて、このような問題には、個人的な側面と社会的な側面の両面から、議論することが大切である。今回議論したいのは、かなのさんが指摘している
金銭的に問題のない家庭での虐待は外からでは分かりにくく解決が難しい
という問題提起に関して、議論を深めてみたい。確かに現在、
    「子供の貧窮」
という問題に関しては、色々と議論が行われている。しかしながら、親の収入が安定している場合に行われる虐待に関しては、目が届いていないことが多い。しかし深刻な事例もある。例えば、東洋経済オンラインの以下の事例を見て欲しい。
 私が見る所、この問題の根本には、感受性の限定という共通の問題があるように思う。
 つまり
   金銭という尺度でしか見ない
   学校成績だけでしか見ない
という、一面的な尺度でしか評価できない。このような、人が多くなっていて、極端に走ると問題が起こっているように思う。
 確かに自然科学の分野でよく言われることは、
   「数値化したものに対して厳密な議論を行え」
である。しかし、これだけで全てと思い込んでしまうと、
   「金銭という数字だけですべてが分かった気になる」
となり、他の問題が忘れ去られてしまう。
 
 このような感受性の偏りにも、親や社会の無理解の原因があるように思う。 

2016年10月24日 (月)

働きやすい職場を実現する経営能力

 今日のNHKの朝番組(関西版)を見ていたら、「元気な中小企業」ということで、女性の働きやすい会社を取り上げていた。そこでは家庭の状況などを考慮、多様な勤務や、当日の勤務変更なども認めている。これを、理想的な職場ということはたやすい。しかし、そこの社長がさらりと言った
  「そのため2倍の人を雇っている。」
ということの重みを考えないといけない。仕事を円滑には裁くためには、必要人員の確保は必須である。その人たちが、当日になって、来るかどうかわからないでは、計画が非常に難しくなる。
 この一つの答えが、人員の余裕である。私も、勤務に余裕を持たせるためには、ある程度の人員余裕は必要だと思っている。
 しかしながら、人員の余裕を持てば、人件費も上がってしまう。私の推測では、この会社では「出来高払い」の査定をきちんとすることで、仕事に応じた支払いで抑えているのだと思う。
 さて、このような会社の欠点も見ておかないといけない。私が感じた点は、注文が少ないときに、働きたい人への仕事が出てこない。その時の、
  「生活保障的な給与がもらえるのだろうか?」
という側面である。生活保障的固定給のようなものはないという、割り切りもあるかもしれない。そこまで割り切った従業員と経営者の関係は、一つの答えだと思う。しかし現在の日本では、まだまだ従業員にも依存関係が見える。
 このような、悪い状況を見据えて手を打つのが、本当の経営者だと思う。
 日本を元気にするには、このような経営者、管理者をきちんと育てる仕組みが必要だと思う。

2016年3月 2日 (水)

正社員登用の面接対策(その2)

 正社員登用の面接に関して、そのための準備ということで少し考えてみた。
 私は、自分の部下であるA子を、正社員登用に合格させた経験がある。彼女は、最初に私に会った時は、少し構えていたが、私が「正社員とその他」「男と女」という風に、ラベルで評価せずに、実力評価で仕事をしているのを知り、次第に打ち解けてくるようになった。
 私も、仕事の合間には、いろいろな人の行動などを話し、このような人は「頭の良い人」という事例を示した。彼女も、これを理解し、「その人頭良いですね!」と、理解を示すようになってきた。
 また、これと並行して、経営者の発想、会社側の発想というものも、少しづつ教えていった。このような会話を通じて、
  「自分は仕事をさせられている」
という認識から、
  「一緒に仕事をしている」
という発想に代わってきた。管理職が無理に詰め込むのではなく、必要なことだから行うという姿勢である。
 このような発想の転換ができたので、忠誠心について、面接での評価でも、高得点を得るようになったと思う。また私との会話を通じて、対話の能力も磨けたし、頭の良いということがどのようなものかもわかってきたと思う。
 このような、日常の会話が、面接試験の準備の一つになったと思う。

2016年2月 8日 (月)

世代間の争いが起こらないか

 先日、どこかのHPで、保育園の設立について、近所の人が
  「騒がしくなる」
と言って、反対しているという話を聞いた。この件に関して、そのページでは、リタイヤした老人が家にいるので、騒がしさに対しても敏感になる、という指摘をしていた。これは、鋭い切込みだと思う。
 この話は、一般化すると次のようになる。

   リタイヤして、家でぶらぶらしている、老人の好みを重視する
          対
   必死で働いている若い世代の支援を重視する

ここでもう一つ言えば、年金生活などの老人は、多くは税金面でも優遇されている。一方、必死で働いている世代は、税金は確実に取られる、しかし年金がもらえるかは不透明感がある。

 このような状況を考えると、世代間の怒りが爆発することがありそうに思えてきた。従来の若い世代の運動と言えば、思想的な教育による原理主義的な活動が多い。これは右翼も左翼も両面とも、経験より理念やスローガンで動くからである。しかし、今後は実生活の経験からの怨念が爆発しそうな気がする。

 このようになった一つの理由は、やはり政治に対し高齢者が力を持っているからである。私が最後に勤めていた社員福祉関係の会社で、社長に対して提言した一つは以下のようなものである。

棺桶に近い世代が検討すると、終活ビジネスや介護などの暗い話が中心となる。若い世代に目を向けて、保育などの前向きの明るい話を考えるべきである。

2015年11月30日 (月)

均一的な学校生活の体験の意味するもの

 昔タレント弁護士時代の大阪の橋下市長がある番組で
  「子供は、教学の公立校に通わせる。
   均質な私学の卒業生は、優秀でもひ弱である。
   子供の時に色々な人がいることを知っておくことは大切だ。」
と言っていた。
 この話について、何となく納得していたが、あるHPの記事を見て、かなり見えて来たものがあるので書いておきたい。
 http://iinee-news.com/post-3755/
 この記事では、シングルファーザーが、娘に今までしてやれなかったことに気づき、それを補うために好きなものを買い揃えて喜ばすと言うハッピーエンドで終わっている。推測であるが、この子の通っている学校は、かなり生活水準がそろっているように思う。
 確かに小学校の時代に、同級生のしていることができずに、傷つくことは多い。その意味では、この子が幸せな感じを味わうことに異論はない。

 しかし、私の子供時代を考えてみた。自分の家も貧乏生活であり、他人と同じことはできないと、諦めた生活であった。そして、クラスに何人かはとても貧しい子がいて、その子たちに皆は少しは気を使っていた。上に書いているような、贅沢が許された子も、周りに気を使って、密かに喜んでいたように思う。
 これが、橋下維新の発想の一つの原点ではないかと思う。自分より恵まれた子もいる、そして自分より恵まれない子もいる。その中で、お互いが気を使い合って生きている。この気配りが、今は少し無くなっているように思う。特に一部の既得権貴族などの発言にそのようなモノを感じる。単に1回の試験で合格した、大企業の社員であるという特権を振りかざす。これらの人間には、自分が幸運で今の地位を得たという反省もなければ、その地位に合う働きをして、皆のために何ができるか考える、このような発想が欠けている人がいるように思う。

2015年10月25日 (日)

多面的な見方ができるのは自分で考えるから

 先般から、甘えと言う切り口から、わが国の「管理的親」に関して、少し議論してきた。これは、指導書通りにしか教えられない教師論ともつながってくる。
 ここでもう少し補足しておくと、NP(育成的親)-FC(自由な子供)の関係の場合、子供には甘えの感情も生じるが、感謝の感情も生まれている。つまり、双方向的に与えるものがある。感謝を受けることの大切さは、人間関係では重要な要素であるが、経済や経営の学問では、まだ十分に着目されていないように思う。

 さて、この話をもう一歩一般化してみよう。物理学を中心とする自然科学の世界では、
  「測れるものは測れ、測れないものは測れるようにしろ」
と言う考え方がある。現実に、ニュートン力学の成立には、ケプラーの天文学が寄与している。ケプラーは、チコブラーエの精密な観測の成果を踏まえている。

 さて、経済や経営では、この原則を適用すると、つまりは「金」と言うことになる。そこで、測定できない感謝と言うものが置き忘れている。または、強引に対価の支払に押し込まれている。このような切り捨てられた側面を、きちんと考えないといけない。

 この話に関連して、乙武―橋下対談が、Twitterで行われていた。
 http://togetter.com/li/890363
 つまり「ひとり親」の支援を、乙武側が議論しているが、それに対して橋下市長は、低所得者家族の支援が重要と言っている。これは、政策として、金銭的援助と言う形になるので、低所得者支援が大切で、ひとり親に限ることはないと言うのが、橋下市長の意見である。これに、乙武氏も同意している。
 しかし、「ひとり親」の苦労は、金銭的なものだけではない。子供の病気の時の対策、学校行事への対応など、多くの負担があり、時間的な制約などでの苦労、例え恵まれた職場であっても、同僚への負担など多くの問題がある。確かに橋下市長のtwitterには、この面への配慮も見えるが、政策としては金銭的になっている。 

 しかし、政策検討する場合には、このような多面的な考えも必要だと思う。

2015年9月27日 (日)

多くの人を生かすためには

 安倍首相が「ニッポン一億総活躍プラン」と言うものを打ちだした。
 https://www.jimin.jp/news/press/president/130574.html
 これは、お説もっともであるが、実行できるかについては、大きな疑問がある。私は、この問題の解決には、経営や管理のプロの育成が重要だと思う。
 多様な人材を活用するには、働き方などの制度設計、勤務状況のきめ細かな管理、属人性の排除と、相互サポートの充実など、従来の管理者の負荷以上のモノが必要になる。例えば、シングルマザーの活用においては、子供の急病などによる、早退などのリスクはきちんと考えないといけない。その時のバックアップをどのようにするか、不可配分などを考慮しないといけない。
 これは、部下に対して
   「チャレンジ」
とだけわめいていた、経営者や管理者にとっては、非常に難しい問題になる。均質で、有能な人間だけをそろえて、仕事ができると言う話では、無くなってくるのである。
 もう一つ例を取れば、一時流行った『セル生産』方式がある。実は、この方式ができる条件として、現場作業者の能力が高く、複数工程に習熟し、ある程度の図面読解力があると言う条件があった。ベルトコンベア方式では、単純作業に特化し、多くの人間に早期習熟をさせて、大量生産を実現したのと、逆の流れである。このような、『セル生産』を導入した場合に、それについていけない作業者の活用はどうなるのだろう。
 すべての人材を活用するなら、このような『個人の力の多様化』に正面から向き合わないといけない。
  「我が社には有能な人だけしかいらない」
このような会社だけでよいのだろうか。一方、『ゆとり教育』のように、最低レベルに合わせて、皆が仕事ができるようにするなら、生産性の低下は大きなものとなる。これでは、国際競争力は維持できない。
 ただし、先ほどのシングルマザーの話でも、個人的に有能な人財なら、その活かし方はまだ手がある。少なくとも、この段階までは、管理職が考えて、活かし方を考えるようにしないといけない。または、そのような制度設計を行う、スタッフ業務をきちんと考えるべきであろう。
 このような、作業分担の苦労などを、
   「現場で解決しろ」
と言うような経営者や政治家ばかりなら、この国の将来は暗いものになる。もう一つ言えば、植民地支配などの経験のある、欧米人はこのような多様化について、対応がまだ上手なように思う。日本人は、平等と言う建前に縛られ過ぎている面もある。
 大学の政治学や経営学では、このような解決について何か発信はないのかな?

2015年5月11日 (月)

学校PTA について考えたこと

 先日から、朝日新聞が学校PTAについて、色々と調べている。
 http://www.asahi.com/articles/ASH54567LH54UPQJ001.html
 色々と考えることがあり、ここでも書いてみたい。なお、私が書いたブログも参考にしてほしい。
http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/pta-99e3.html
 まず一つ目の切り口は、前のブログにも書いたが、女性活用の視点である。私が昔シングルマザーの部下を持っていたことは、このブログでも何回か書いたが、彼女も保育園時代から、小学校に進学した時の落差に嘆いていた。特に働く母親に関しては、PTAの負担が大きいことは一つ認識してほしい。
 さて、今回の朝日新聞の記事で考えてみたいのは、男の扱いである。上記引用にもあったが、男なら会長にと言う動きがある。この話には色々な側面がある。一つの側面は、男の出世物語である。PTA会長、そしてPTA連合や、自治会の幹部、その後は市会議員・・・などと言うコースを考えている。このような人は、昔は結構いたように思う。またそれを受け入れる、自民党などの地域顔役育成活用路線があった。
 もう一つ関連することは、会社勤めをすると、仕事の仕方の訓練をされているということである。例えば、議事録を作り回覧する。このような作業は、会社勤めをすると常に行っているので効率よく裁くことができる。また、官公庁への申請書作成等でも、会社での経験が生きることは多い。このような面から、勤めの経験のある人を幹部にと言うのは一理ある。
 一方、このような会社勤めの論理をし出したとき、消えるものが有ることも考えないといけない。今回のコメントにもあったが、お茶とお菓子でのおしゃべりが長い、と言う話がある。これを、納得や人間関係の信頼性、連帯の構築と考えれば、それほど悪いものではない。
 稲盛経営でも、コンパと言う形で、意思疎通を図っている。そこまで行かなくても、会社生活でも、飲み会などでの人間関係を重視したことが成果を生むことは少なくない。PTAは酒のかわりのお茶とお菓子になっている。このような側面も忘れてはいけない。
 人間関係と、仕事の効率化、そして大局的にあるべき姿、この3者を見て、PTAを考えるべきではないかと思う。

2015年4月27日 (月)

PTAについて(女性活用との矛盾)

 昨日、地域の自治会の総会に出た。そこで、地域の小学校のPTAの方から、廃品回収に対しての協力のお礼があった。廃品回収の収益金で、学校にお祝い金を出すことができたという話である。
 この話を聞いて、色々な問題点が見えてきた。
 まず一つは、PTAの役員たちが、廃品回収の日の午後に、残物の有無を確認しているとのことである。間違ったもののが出ていれば、それを確認の上、自治会の方に話をして、各町会で対応してもらうという話であった。
 この負荷は、結構なものになる。仕事を持っている人には、とてもできないと思う。毎週午後抜けることができるような状況は、フルタイムでの勤務では難しいと思う。昔、わあたしの部下のシングルマザーのA子が、保育園の役員になった時でも、時々勤務をやりくりするので苦労をしていた。しかし、小学校のPTAの拘束はもっと厳しいものがる。女性の活用で、保育所の充実などと言うことも大事だが、PTAなどでの拘束に関しても、考えるべき問題が多いと思う。
 更に気になるのは、廃品回収の収益の話である。廃品回収自体は、資源の再利用でCO2削減と言う意味もあり、悪いことではない。しかし収益を期待するとはどこか狂ってはいないだろうか。学校の運営に関する金は、公立なら行政が負担するか、受益者負担と言うことを表に出して、父兄などに負担を求めるべきものであろう。そこをPTA活動の収益を考えるのはおかしい。
 このようなPTA 活動は、専業主婦が多くいる状況で、学校の運営を手伝わせることで、父兄の参加意識を駆り立て、啓発する狙いがあったと思う。
 しかし、母親でも働くという社会の方針が出た時には、この図式が崩れている。PTAも制度疲労が出ていると思う。

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