ご縁のあった人たち

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2020年10月 3日 (土)

心があたたくなる冊子

 このブログでも紹介している、
   「子育てママさん応援カウンセラー春木めぐみさん」
が、素敵な小冊子を作っている。

 春木さんのブログはこちら↓

   https://ameblo.jp/cocotane-blog/

 メルマガはこちら↓   

 

 さて、小冊子の内容は、美しい花を育てる、言葉の力が美味くまとまっている。

 ワークの内容もきちんとしているし、絵も楽しく暖かくなる。

 春木さんの人柄が伝わってくる、楽しい本です。 

2020年8月29日 (土)

大企業文明に入っていてもトラブルはある

 先般書いた日本社会の課題の議論で、今回は

「大企業文明の恩恵に浴する場合」

について少し考えてみたい。この場合には

生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである

という議論が普通は成立する。つまり

「大企業の正社員は,生活保障がついている」

が暗黙の了解事項になっている。その代わり、就社であり,どこに飛ばされるか解らないが、生活は保障される。

 これが大企業所属の利点である。これは言い換えると

「大企業村の住人として面倒を見てもらう」

と考えてよい。

 そこでは、

「大企業文明に即したスキル蓄積も行う」

ことも仕事に含まれている。安心したスキル蓄積、経営側の教育投資が上手く回ると、日本企業の「高度技能集団」の力が発揮されるようになる。

 さて、このような大企業文明の恩恵だが、周辺では色々とトラブルが発生している。これは正社員登用とも絡むのだが、企業側の発想では

「正社員にしてやる」

という、上から目線が多くでている。しかし、実際の処遇において

「正規採用に及ばない場合が多々ある」

という状況が発生する。このとき、

「処遇改善された後の不満」

が結構重たくなる。パートタイマーから正規雇用になった人が、処遇に不満を言って退職する場合は少なくない。

 このような、大企業文明の管理職や既存社員側の思い上がり(?)は、少なからず見受ける。

2020年8月27日 (木)

社会の分断の一つの出方

 先日書いた、

一人のシングルマザーが、


「つい先ほど入った子と、同じ評価が腹が立つ」
つまり
「スキルの蓄積などが評価されていない」

という不満である。これをもう一歩踏み込むと

「人間として尊厳を持って扱われていない」

という不満になる。

という記事に関して、もう少し議論しておく。

 この問題を突き詰めると、

  1. パートタイマーの能力を認める
  2. パートタイマーはマニュアル通りの仕事だけすればよい

という異なる二つの姿勢に行き着く。

 

 私の個人としての組織運営方針は、

「誰もが人間としての力を認める」

であり、例えパートタイマーであろうと、

「スキルの蓄積効果は認める」
「意見を言う機会はあるし、よい意見は吸い上げる」

事を事項していた。スキル蓄積に対しては、ほんの少しでも時給を上げるなどをしていた。

 しかし、この考え方が、通用しない組織である場合も多い。一つの考え方は

「アメリカ式マニュアル世界」

である。彼らの発想には、レイバーとしての労働者を見ていて、自発性のあるワーカーやプレイヤーとしてみていない。もう少し言えば

「パートタイマー労働者には、レイバーしか期待していない」

という発想である。つまり、働く人間を階層化し

  1. 知的活動を行うワーカーやプレイヤー
  2. 知的活動を期待しないレイバー

を分断している。この発想は、軍隊組織における、士官と下士官以下の違いに一つの原型がある。士官たちは、命令受領時にも取引をする必要があるし、意見具申や緊急時の指揮権引き継ぎの対応が要求されている。一方、下士官は「命令に従う事のみを要求されている。この根拠として、

「知的能力の違い」

を色々と述べる事が多い。

 しかし、本当に知的な差があるのか?

 さて、もう一つの差別の原因は、

「日本社会の既得権保持機能」

である。

 これは、なかなかいやらしい問題を含むが典型は

「正社員だから偉い」

という発想である。正社員に採用されたという『既得権益』を守る。これは、『正社員共同体』で利益共有している。

 このような発想で、

「パートタイマーの分際で意見を言うなど許されない」
「スキル蓄積など認めない」

という行動を取る人がいる。これも悲しいかな現実である。ある本屋に行くと

「賢い店員がこちらの必要な本を直ぐ見つけてくれた」
彼女は
「何をおいたら売れるか、と話をしていた」

しかし私はある時見てしまった。

「そこの本屋の本部からきた、偉そうにしている『総合職』らしい人間に命令される彼女たち」

現場を知らず、客が待っているのに、従業員への話を優先する『本部職員』、このような店はだめだと思った。

 実際、私が買っていた従業員も直ぐに退めた。

 長く書いたが、パート社員に対する姿勢でも、色々なモノがあり、その根底にあるものを理解しておく事は大切だと思う。

 いわゆる『正義』で通用するものではない。

2020年8月26日 (水)

分断化した社会で罪悪感なしの優位に立てるか

 昨日書いた、キャリアアップ論などでは、一つ疑問が出てきた。それは、

「自分が優位に立つことへの疑問はないか?」
言い換えると
「罪悪感を持っていないか?」

である。

 実は、私自身の底流にこの疑問が存在する。遡れば、大学受験の発表時に、多くの同級生が落ちたとことを考え、

「サバイバーズギルト」

のような感覚を持ったことが、一つの発端である。

 後に判明したが、私の大学入学成績は、「合格最低点の一点違い」であった。その成績が私の人生を変えた。確かに大学で身に付けたモノは多く有り、それが後々の仕事でも生きている。少なくても会社生活においても、生涯賃金の数倍の利益を会社にもたらす貢献はしている。このあたりの経緯は

 「彼は成績しか取り柄がない」 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-3a9e4d.html
等に書いている。

 しかし、大学受験に失敗したとき、対人スキル不足の私が社会でどのような使いを受けただろう?この疑問は、時々私の心に浮かんでくる。これを言い換えると

「自分の給与に比べ、同様に働く協力会社や、非正規雇用の給与は十分といえない」
「自分は給与差だけの事ができているか?」

となる。確かに、技術の世界や、総合的判断では

「私の頭脳でしかできない」

と言い切れるときもあり、その時は少しは精神が落ち着いている。

 さてここで周りを見ると、どうもこの問題でおかしくなっている人が少なくないように思う。

「XXの正社員」

という事だけを振り回し、マウンティングする人間がいかに多いか、更に言えば

「昔成績がよかった」
「XXに合格した」

という、一時期の成果を盾に優位を維持しようとする。

 このような人が少なくないように思う。

 そうして、彼らの多くは、一緒に仕事をしている人間の、恨みなどを買っている。その力が働くかどうか解らないが、私が見るところ

「分不相応な出世した人間の早死には少なくない」

という状況がある。多くは酒などの結果、成人病で体を壊す者が多い。

 この問題に対して、昨日のように理屈を付けて、逃げる事ができるのだろうか?私は、日本人には難しいように思う。

2020年8月24日 (月)

日本社会の課題

 前に書いた小熊英二の「日本社会の仕組み」の終わりに大事な問題提起がある。

一人のシングルマザーが、

「つい先頃入った,高校生のバイトの子と、自分の給与がほとんど違わない」

という不満をもった

これに対して、小熊は3通りの解決案を提示している。

  1. 生活を維持できるレベルの給与を支払う雇用にすべきである
  2. 「同一労働、同一賃金の原則」からして、同じ仕事なら給与は変わらない。不満があるなら、資格取得や学位取得でキャリアアップすべきである。
  3. この問題は、社会としての生活保障として考えるべき事である

私は、この問題に関しては、色々な切り口があると思う。

 まず、この問題に関して、訴えてきた人の不満には、二つの側面がある。これを混同してはいけない。

  1. 生活苦の側面
  2. スキル評価がされていない側面

これをもう少し突っ込むと、まず生活苦という面では、「シングルマザーの子育て」のために必要な、金銭収入確保ができているか、という議論である。これは、小熊も指摘している、「大企業文明の給与には、生活保持の側面」があった。しかし、パート労働者などにはその配慮がないという問題である。言い換えると、

「給与だけで生活できる社会になっていない」

という問題である。

 一方、もう一つ別に、働く人のプライドというか、動機付けの問題がある。

「つい先ほど入った子と、同じ評価が腹が立つ」
つまり
「スキルの蓄積などが評価されていない」

という不満である。これをもう一歩踏み込むと

「人間として尊厳を持って扱われていない」

という不満になる。

 この両面を考えて、議論すべきではないかと思う。

 なお、私は上記解決案の2.の姿勢には、強く反対する。この点については、長くなるので別途議論したいが、日本教の根本思想である、皆が平等という発想と、アメリカなど奴隷社会の伝統のある、支配/被支配文明に対して、根本的な反発が根底にある。

2020年8月11日 (火)

社会の二極化を正当化する一派

 先日から、都市への集中問題を考えていると、どうしても

    「低賃金での労働者こき使い」

の問題が出てくる。この問題は、古くは

    「ドヤ街の口入れ屋」

という形で、高度成長時代からあった。そして現在は、

    「派遣労働者やパート労働者に対する低賃金労働」

という形で顕在化している。

 さて、この問題に関して、一つ注目すべきことは、

    「正義感の違い」

である。つまり、昔の「口入れ屋」などには、非合法に誓う後ろめたさのようなモノがあった。実際、後ろのヤクザが見え隠れっすることも少なくなかった。

 一方、現在の低賃金労働者を使っている者には、そのような後ろめたさが見えない。どちらかというと

    「アメリカ流儀の市場競争力重視」
    「労働力対する至当な評価」
    「しっかりしたマニュアルに基づく労働である」

という風な理屈づけを行っている。確かに、アメリカ流儀の

    「科学的な管理方法」

を用いて、単純化して労働対価を計算すれば、このような結果が出るかも知れない。また彼らは言う。

    「単純労働から抜け出したければ、資格を取ったり、学位を取って抜け出せばよい」

というのがアメリカ流儀である。

 しかし、私はこのような

    「下層階級の低賃金を正当化する議論」

には危険なモノを感じる。何故なら、欧米人には

    「奴隷制度を正当化するために、白人優位の『科学的』議論まで育てた」

伝統がある。

 科学の裏付けと称する、正義の振り回しが、西洋文明のどこかに潜んでいるように思う。 

2019年7月 8日 (月)

管理職の育成に関して経験談

 先日から書いている、ピーターの法則と管理職の問題に関して、私の経験を述べておく。

 まず個々人の状況を考えた管理に関しては、私は『女性部下』との対応で、二つの大きな経験をした。一つは1980年代に、ソフトウエア関連の子会社に出向し、若くして部下を持った経験である。当時、私の部下には女性が多くいた。彼女たちに主担当として仕事をさせたが、そこで壁になったのが当時の労働基準法である。厳しい残業制限のため、実質残業を考慮した工程を組むことは難しかった。一方に当時の空気は、

「24時間戦えますか」

と言う発想であり、私にも

「男の部下に仕事をさせて、もっと成果を出せ」

と圧力がかかった。私個人は、『滅私奉公』は嫌いだったので、仕事の標準化や与え方の工夫で、なんとか対応する方法をとった。

 また、2000年代には、別の仕事に転籍し、シングルマザーの契約社員や、家族持ちのパート社員の部下を持つことになり、彼女たちの状況に配慮した、仕事の与え方を工夫した。

 これらの経験から、

「部下に丸投げせずに、できるだけ仕事と個人のマッチングをはかる管理は可能である」

と思うし、このような管理者の育成もできると思う。ただし、完全な計画通りの仕事の遂行は難しい。トラブルは必ず起こるので、その対応力も併せて育成する必要がある。このような訓練を管理者の予備群に行うことが大切だと思う。

 ただし、私もピーターの法則を絵に描いたような上司の下にいたことが何度かある。

 ・このような上司を、排除し自分が取って代わるべきだったか?
 ・当時の私が課長業務を無事務まったか?

 これを考えると、部下の立場で不満を言うだけの人間にも否定的であるが、その救いをどうすればよいのか、未だ完全な答えは出ていない。

2018年6月21日 (木)

児童虐待についての議論その2(親と社会の問題)

 昨日書いた、児童虐待の話の続編として、今回は原因側の議論をしたい。
 まず虐待の原因は、親の問題である。この点については、既に色々と言われているが、特に注目すべきは、
 「親自身が子供の時に虐待を受けていた場合」
である。昨日も書いたが、虐待を受けた子は、対人スキルが弱かったり、愛情について解らないで育つことがある。そのような状況で親になったとき、子供に対して接し方が判らず、虐待になることがある。このような、悪循環を防ぐためにも、子供に対する支援は必要である。
 https://www.dear-bae.com/  <=戦慄かなのさんの活動
 さて、このような問題には、個人的な側面と社会的な側面の両面から、議論することが大切である。今回議論したいのは、かなのさんが指摘している
金銭的に問題のない家庭での虐待は外からでは分かりにくく解決が難しい
という問題提起に関して、議論を深めてみたい。確かに現在、
    「子供の貧窮」
という問題に関しては、色々と議論が行われている。しかしながら、親の収入が安定している場合に行われる虐待に関しては、目が届いていないことが多い。しかし深刻な事例もある。例えば、東洋経済オンラインの以下の事例を見て欲しい。
 私が見る所、この問題の根本には、感受性の限定という共通の問題があるように思う。
 つまり
   金銭という尺度でしか見ない
   学校成績だけでしか見ない
という、一面的な尺度でしか評価できない。このような、人が多くなっていて、極端に走ると問題が起こっているように思う。
 確かに自然科学の分野でよく言われることは、
   「数値化したものに対して厳密な議論を行え」
である。しかし、これだけで全てと思い込んでしまうと、
   「金銭という数字だけですべてが分かった気になる」
となり、他の問題が忘れ去られてしまう。
 
 このような感受性の偏りにも、親や社会の無理解の原因があるように思う。 

2016年10月24日 (月)

働きやすい職場を実現する経営能力

 今日のNHKの朝番組(関西版)を見ていたら、「元気な中小企業」ということで、女性の働きやすい会社を取り上げていた。そこでは家庭の状況などを考慮、多様な勤務や、当日の勤務変更なども認めている。これを、理想的な職場ということはたやすい。しかし、そこの社長がさらりと言った
  「そのため2倍の人を雇っている。」
ということの重みを考えないといけない。仕事を円滑には裁くためには、必要人員の確保は必須である。その人たちが、当日になって、来るかどうかわからないでは、計画が非常に難しくなる。
 この一つの答えが、人員の余裕である。私も、勤務に余裕を持たせるためには、ある程度の人員余裕は必要だと思っている。
 しかしながら、人員の余裕を持てば、人件費も上がってしまう。私の推測では、この会社では「出来高払い」の査定をきちんとすることで、仕事に応じた支払いで抑えているのだと思う。
 さて、このような会社の欠点も見ておかないといけない。私が感じた点は、注文が少ないときに、働きたい人への仕事が出てこない。その時の、
  「生活保障的な給与がもらえるのだろうか?」
という側面である。生活保障的固定給のようなものはないという、割り切りもあるかもしれない。そこまで割り切った従業員と経営者の関係は、一つの答えだと思う。しかし現在の日本では、まだまだ従業員にも依存関係が見える。
 このような、悪い状況を見据えて手を打つのが、本当の経営者だと思う。
 日本を元気にするには、このような経営者、管理者をきちんと育てる仕組みが必要だと思う。

2016年3月 2日 (水)

正社員登用の面接対策(その2)

 正社員登用の面接に関して、そのための準備ということで少し考えてみた。
 私は、自分の部下であるA子を、正社員登用に合格させた経験がある。彼女は、最初に私に会った時は、少し構えていたが、私が「正社員とその他」「男と女」という風に、ラベルで評価せずに、実力評価で仕事をしているのを知り、次第に打ち解けてくるようになった。
 私も、仕事の合間には、いろいろな人の行動などを話し、このような人は「頭の良い人」という事例を示した。彼女も、これを理解し、「その人頭良いですね!」と、理解を示すようになってきた。
 また、これと並行して、経営者の発想、会社側の発想というものも、少しづつ教えていった。このような会話を通じて、
  「自分は仕事をさせられている」
という認識から、
  「一緒に仕事をしている」
という発想に代わってきた。管理職が無理に詰め込むのではなく、必要なことだから行うという姿勢である。
 このような発想の転換ができたので、忠誠心について、面接での評価でも、高得点を得るようになったと思う。また私との会話を通じて、対話の能力も磨けたし、頭の良いということがどのようなものかもわかってきたと思う。
 このような、日常の会話が、面接試験の準備の一つになったと思う。

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